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60話 柿の種を食べよう

「飽きた!!!」


 瑠璃の一声がお茶会部屋に響いた。

 ブラッドガルドは、特に表情を動かすこともなく入り口で叫んだ瑠璃を見つめる。


「唐突になんだ、いったい」

「飽きたんだよ!! ここしばらくずっとチョコレートじゃん!! いつまでボンボン食べるつもりなんだよ!! たまには炭酸とポテチとか食べたい!!」

「殺されたいのか?」


 特にテーブルから動くこともなく尋ねるブラッドガルド。


「ってかブラッド君、甘党なのにお酒好きだよね?」

「誰が甘党だ、殺すぞ」

「ええ……」


 どう見ても甘党の魔人に睨まれる瑠璃。

 甘党は日本酒などを好む辛党の対義語である。甘いお菓子好きを示す言葉だが、実際のところは甘党の中にも酒も好きという人や、酒が苦手だからといって甘い菓子が好き、というわけではない人もいる。

 とはいえ瑠璃は『辛党』という言葉を、酒好きではなく、酒好きな人は辛党、つまり唐辛子などの辛いものが好きな人、として理解していた。そのあたりで齟齬が生じていたのだが。


「まあいいけどさ。というわけで今日のお菓子は柿の種です」

「本当に殺されたいのか?」

「なんか柿の種久々だから食べたいなって思って……。お父さんがお酒のつまみによく食べてる」

「……」


 瑠璃が袋を出すのを見ながら、なんとも言えない表情で見つめるブラッドガルド。


「あ。……本物の柿にできる種じゃないよ。そういう名前のおかきだよ」

「おかき?」


 瑠璃は袋を破ると、その中から個包装の袋をひとつ取り出す。中にはオレンジ色の細長く歪曲した――確かに柿の種に似ている――おかきと、ピーナッツが一緒に入っていた。

 開けた袋の中から、ざらざらと小皿の中へと中身を落とす。

 瑠璃が二つ目の袋を開けるのに苦労している間に、ブラッドガルドはおもむろに手を伸ばす。おかきをかき分けて、ピーナッツを手に取って口に入れた。口に入れた瞬間からやや動きが緩慢になり、カリ、と牙がピーナッツに立てられる音がする。そうして、同じように緩慢に口が動いた。


「……おい、ちゃんと豆から塩味がするぞ……!」

「そうだけど!?」


 当然のような言葉に慄く瑠璃。


 ――あれ、でも持ってきたことなかったっけ?


 思えばブラッドガルドはあんこ――特につぶあん――の存在に衝撃を受けていたから、ちゃんと塩味のする豆も存在するということが頭から飛んでいたのかもしれない。

 ブラッドガルドの世界では、そもそも豆を甘く煮詰めるという発想そのものが存在しないのだ。


「だいたい何故……ピーナッツが……入っているのだ」

「延々食べながら聞かないでもらえる?」


 とりあえずツッコミはしておく。


「ピーナッツ入りのやつもあるんだよ。ちなみにここの製品のおかきとピーナッツの割合は、黄金比を求めて時代によって変わってるんだって」

「菓子に対する貴様らの異常な情熱はいったいどこから来るんだ」

「美味しいもの食べたいじゃん?」


 たぶんそういうことだと思う。瑠璃はその思考で断言した。

 ブラッドガルドは鼻で笑うと、呆れたように続けた。


「わからん。……なんでもいいから語れ」


 瑠璃は何も言わずに笑ってから、サイダーのペットボトルを開けた。シュワッと心地良い音が、静かに響く。ふたつのコップにそれぞれ注ぎ、ブラッドガルドの目の前にひとつを差し出すと、瑠璃はスマホに手を伸ばした。


 瑠璃はもう片方の手で柿の種に手を伸ばして、指先でピーナッツと一緒に何個か取る。口の中に入れると、周囲にまぶされたタレが、舌の上でピリッとした大人の味を醸し出す。パリッとした歯ごたえは爽快だ。そして、ピーナッツが味と食感を緩和してくれる。


「柿の種が生まれたのは大正時代。だいたい、いまから百年とちょっとくらい前だね」

「……意外と最近だな」

「ブラッド君が言うとどっちの意味なのかわかりにくいよね……」


 果たしてお菓子の歴史から見て最近なのか、ブラッドガルドの年齢から見て最近なのか。


「まあでもそれだけ新しいからちゃんと残ってるみたいでね。新潟県長岡市にある浪花屋製菓ってところが売り出したみたいだよ。この会社はいまでも柿の種を作ってて、『元祖』ってついてるね」

「……ふむ」

「で、まあその会社は、もともと小判型のおかきを作ってたんだよ」

「……もともとというなら、そのおかきというのは何なんだ」

「んー。簡単に言うと、米菓かな。お米から作るお菓子」

「……」


 それを聞いたブラッドガルドは、ますます眉間に皺を寄せた。


「……米は、食事として食うものではなかったのか」

「あ、普通のご飯にもなる」

「……。バカなのか?」

「小麦粉だってパンにもケーキにもなるじゃん!?」

「米は形がそのままだろうが」

「っていうかお米にもいろいろあるんだよ! うるち米とかもち米とか!」


 簡単に言えば、うるち米が食卓に並ぶ『ご飯』としての米だ。コシヒカリやササニシキ、あきたこまちといった名前のそれがうるち米と言われるものである。いわゆる白米だ。米菓でいうと、煎餅がこのうるち米から作られる。

 対してもち米は、赤飯やおこわなどに使われたり、餅としても利用されるものだ。米菓でいうおかきやあられなどの種類のあるあられ餅と、ひなあられなどに代表されるもち米あられの材料がもち米になる。

 こちらは日本以外でもラオスなどでは主食として存在しており、日本人の口にあう、といった話がある。


「……というか、そっちの世界ってお米あるっけ? ってかこれ聞いたっけ?」

「あることはあるが……基本的にスープの中に入れたり、スパイスや肉とともに蒸して使うものだ」

「インディカ米っぽい!」

「いいとこ、丸めて食うかだ。……だが、貴様らのように米炊き専門の器具があったりなどせん」

「改めて言われるとぐうの音も出ない」


 米を炊くためだけの調理家電が存在するということ自体が、ブラッドガルドにとっては異質だった。最近では炊飯器でいろいろと他の料理もできるが、本来はそれが普通だ、という感覚だった。フライパンは卵を焼くためだけの器具ではないし、鍋はシチューを作るためだけの器具ではない。


「じゃあ、やっぱりそっちのお米ってこっちで言うインディカ米に近いのかなぁ。あとはもち米とか……。そうなると食べてみたいよねえ」

「東の国までどうやって行くつもりか知らんが、それほど手に入るものではないな。貴様の迷宮のおかげでオムライスなるものは入り込んだようだが」

「えっなにそれごめん!?」


 どうやら迷宮でよくわからない料理が提供されていたということで、いくつかがブラッドガルドの世界に持ち込まれてしまったようだ。そのほとんどは瑠璃の世界の料理である。リクが頭を抱えた原因のひとつでもあった。


「……聞きたいか?」

「……や、やめとく」


 これ以上聞くと、自分が気を失っていた間の悪行がとんでもないことになっていそうだと思った。地上がいまどうなっているのか、あまり考えたくはない。現実から視線を逸らすためにも、これ以上聞いてはいけない気がした。


「我は構わんが……?」

「話を! 元に! 戻そう!!」


 薄笑いを浮かべはじめたブラッドガルドを前に、瑠璃は強引に話を元に戻した。


「ま、まあおかきの説明はおいおいするとして。とにかく、おかきはもち米から作られるお菓子だね。もち米を一度お餅状にしてから、現在だと一度冷やして固めてから作るみたいだよ」

「餅、というのはそれだけで料理のひとつなのだろう? わざわざそこからやるのか」

「んー。っていうか、おかき……あられとも言うんだけど、そういうのってもともとは飾って固くなった鏡餅を割って作ってたお菓子みたいなんだよね。昔はどこの家でも作ってた、お正月のあとのお楽しみみたいな……。でも、だんだんと製造業者が作るようになった感じじゃない?」

「ほう」

「柿の種が『発明』された頃も、そういう製造業者がいたからこそ出来たわけでしょ」

「発明だったのか」

「……いや、発明っていうか……」


 瑠璃はスマホの説明に目を落とす。


「最初に、ここの会社はもともと小判型のおかきを作ってたって言ったでしょ。でもある日、奥さんが不注意で金型を踏んで曲がっちゃったんだ」

「曲がるものなのかそれは」

「わかんないけど、薄い鉄板で作られたみたいなやつならそうかも」


 そう言いつつ、親指と人差し指に、ほんの少しの隙間を作ってみせる。


「代わりを作る気は無いのか」

「うーん。この当時って金型を新しく作るっていっても大変だったんじゃない?」

「ふむ」

「でもとにかく、代わりが無いからそのまま使っておかきを作ったんだよ。その形が柿の種みたいだから、そう名前をつけて売り出したら大成功!」


 喋る瑠璃に対して、ブラッドガルドはぴくりとも表情を動かさないまま柿の種を口にしていた。口の中に散らばった欠片を流し込むように、サイダーを飲む。


「まねして作る店も現れたりしてね。たぶんそんな風だから、いつからピーナッツが入ったのかは諸説あるみたい。けど唐辛子のピリッとした大人の味で、特にビールのおつまみに好まれたんだよー」


 ブラッドガルドはコップに口を付けたまま、睨むように瑠璃を見た。思わずコップを指で割るところだった。

 口から離して、なんとかテーブルの上に置く。


「何故貴様はわざわざそんなものを持ってきた……?」


 ビールが無いくせに、という視線で見られる。


「だって普通にお菓子としても食べるし」


 瑠璃は平然と言ってのけると、数個の柿の種とピーナッツひとつを取って口の中に入れた。


「ちなみにこの会社のピーナッツとの比率は、当初は7:3。途中で6:4になって、いまは7:3に戻ってるみたいよ」

「……」


 改めて聞かされたものの、ブラッドガルドは既にどう反応を返したものかといった表情で、視線を逸らしただけだった。


「……本当に貴様らはどうして……」

「そういうこと言うなよ。これも持ってきたんだからさあ」


 どうしてそこまで、という言葉はすべて言わせなかった。

 その言葉が音として部屋の中に生み出される前に、瑠璃は持ってきていたもうひとつの袋を取り出した。それを両手で持ち、ブラッドガルドに見せる。


「ブラッド君のためにこれも買ってきたんだよ、わざわざ!」


 瑠璃が掲げた袋を見て、ブラッドガルドに静かな衝撃が走った。


「ほら、甘い物食べたあとって辛いもの食べたくなるじゃん。それを一口で満たしてくれるみたいな」

「……」


 やや唖然としているようにすら見える。


「意外と美味しいんだよこれ。ものによってはチョコ部分が結構厚くて。ポテチにもチョコかかってるやつもあるし」


 それは、柿の種にチョコレートをコーティングした菓子だった。主に冬期限定で作られることの多い、いわゆる近年の新種である。とはいえ最近では浸透してきたのか、おかきの専門業者だけでなく、チョコレート業者のほうが製造販売していることもある。

 ブラッドガルドはしばらく、逡巡したように黙り込んだ。

 その頭の中で何を考えているのかは瑠璃にはわかりかねたが、どうも反応に迷っていることだけは見てとれる。


「……どう。いまから」


 ――開けてみない?


 と、まるで悪事に誘うように瑠璃が言う。


「………………まあ……、まあいいだろう……」


 どれほど迷っても、答えはひとつだった。


「開けろ」

「うえーい」


 やる気のあるのかないのかわからない返事をしながら、瑠璃はいそいそと袋を開け始めたのであった。

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