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閑話2

 吟遊詩人は語る――女神は勇者を遣わした。


 細々と存在した噂が、確固たる事実として広まったのは突然のことだった。

 謀略により詐欺師として突き出された少年を断罪せしめんとした瞬間、その背後に美しい白き女神が降臨したのだ。

 かの女神は王をはじめとした人々だけでなく、信仰者をも大いに慌てさせ、その面目を完膚なきまでに潰したのだ。


 国民は小気味良い茶番劇を大いに楽しんだあと、各地で小さな騒ぎを巻き起こした。勇者の存在は、人々の善も悪も呼び起こすのに充分だったのだ。それはあっという間に広がり、勇者の使ったという怪しげな剣がいくつも売られ、逸話が生まれては消えていった。

 だが、当の本人がそれらを関知していたかは怪しい。

 なにしろその面白おかしな大騒ぎの内に彼は迷宮へ潜り、多くの人々と絆を結び、いくつかの騒動を収束させたのちに、奥地へとたどり着いていたのだから。

 最後まで旅路をともにした仲間たちと、彼に助けられたほんの僅かの人々は、誇りを胸に、含み笑いとともに口を閉ざしたのだった。


 あとは唄に残るばかり。


 最も深遠たる迷宮の主は牢獄に閉ざされた。

 迷宮の中はいまだ魔物が溢れ、倒された主の代わりに成り代わろうと、闘争心をむき出しにしている。

 だがもはや最悪の脅威は存在しない。

 長い間王都を蝕んだ魔物の巣窟は、今や浄化の道にあると言っていい。


 新たな迷宮の主が誕生するその前に、失われた道を復活させて迷宮を解放する。

 それこそが、勇者が去った今、人間に与えられた新たな課題なのだろう。


 ブラッドガルドの死は、明確な事実になりつつあった――。







 その牢獄の暗闇で、ブラッドガルドは思った。


 ――……腹が減った。


 ここ暫く忘れ去っていた感覚だった。

 体の再生は順調そのもの。未だ失われた力は戻っていないが、エネルギー供給は定期的にある。体の再生は急務であったものの、少しばかり調子に乗っていた事実は否めない。生命維持の為のエネルギーに回す余裕を忘れた分、空腹となって襲ってきたのだ。

 胃の不快感に、思わず顔を顰めそうになる。


 迷宮の主ともあろう者が情けない。

 しかし一度は死の瀬戸際に立たされ、味わった屈辱に比べればどうということはない。空腹を覚える程度に回復できたのは、予想外の幸運をつかんだお陰なのだ。


 封印の間というにもおこがましい小さな部屋には、ことさら不釣り合いな木製扉が存在していた。

 わざと古くしたような作りのそれは、ルリという名の小娘の部屋に通じていた。閉口するような事実だが、幻覚を見ているわけではない。

 だいたい幻覚にしてはバカバカしすぎるし、荒唐無稽すぎる。

 偶然にしては出来すぎで、ただの願望にしても遊びが過ぎるだろう。


 ではこれほど強固な封印の中にどんな規格外な者がやってきたかというと、これまたひどいくらいの凡人なのだ。

 魔力を持たず、魔術を知らず、世界に精通しているわけでもない小娘が、庭にでも出るように境界を越えてくる姿は、あらゆる魔術師に憤怒と困惑の情をけしかけるに違いない。


 だが、だからこそこの奇妙な関係に落ち着いたともいえる。


 閉じ込めるはずの強固な結界に開いた穴。

 その向こう側に広がる違う世界。

 お互いの文字を読めないにもかかわらず、通じている会話。


 この幸運にはあまりに不可解な点が多すぎるが、今はただ恩恵を享受すればいい。


 この暗闇ひとつとっても、異形化した半身を見た途端に逃げ出していた可能性もあったと思うと、あらゆる偶然が味方したと考えるほうが良いだろう。

 持ってくる菓子もまあ、悪くはない。

 手を変え品を変える浅知恵も、菓子に変化を与えている点でよくやっていると言っていい。

 中でも――いや、そんなことはどうでもいい。

 しかし、チョコレートのほろ苦くも甘い味が頭を過った途端、胃が緊と締め付けられた。


「……くそ」


 誰にともなく悪態をつく。

 こんなことで思考が途切れるとは、なんとも嘆かわしい。

 屈辱と憎悪で床を這いずり回るよりはいいが、ため息をつくしかない。

 小娘も、偶には少しくらい早くやってきてもいいのではないか。


 別に自分は、あの甘く香しい菓子の数々を子供のように待っているわけではない。時には来訪時間に大幅な変化があった方が、ある程度時間を感知するのに役立つと思っただけだ。加えて小娘は魔力すら使えぬ凡庸以下の役立たずだが、もてあました長い暇を潰すにはちょうど良い。今に限ってのことだが、それだけは認めてやるに吝かではない。


 満足に眠ることすらできない現状、諦めたように壁に頭をつけたときだった。

 ふと一筋の光が現れた。


 ――……小娘か?


 確かに少し期待したのは否定しないが、いかんせん早すぎる。

 光は確かに古びた木製扉からだったが、開き方も妙だ。ほんの少し開いたまま、それから動きもしない。


 確か、向こうでは鏡になっていると言っていたのを思い出す。

 となれば、何らかの要因で鏡として使用したのち、完全に扉が閉まらぬまま放置されたのかもしれない。

 しばし無言でその様子を見ていたが、ブラッドガルドは不意に思い立つと、幽鬼のように立ち上がった。


 ぼろぼろの衣服が広がる。

 その隙間から、異形化した半身の足先が顔を出した。黒灰色のぶよぶよとした不快な弾力を持つ足だ。蛇のようにひび割れていながら、カエルのようにねじ曲がっている。その隙間からはところどころ鳥の羽根のようなものがぐったりと垂れ下がっている。かつて勇壮なドラゴンへも変化できたものとは似ても似つかない。

 ひたりと前に出ると、それらはねっとりと腐り落ち、ぼろぼろとこぼれて灰と化していった。その汚泥と塵の中から、不意に真新しい足が石畳を踏みしめた。


 人型の足。

 片足の感覚はいまだおぼつかないが、再生状況としてはまずまずだ。

 無茶な回復を繰り返した結果、呪いを吐き散らし、病を撒き散らす存在へと成り果て、それすらも浄化され一切の攻撃を封じ込められた――その足をようやく脱ぎ捨て、ひたりと前へと進む。


 途端に、封印術式が起動し、ブラッドガルドを捕捉した。

 ありとあらゆる生命に存在する魔力を感じ取り、けしてその先に進ませない術式。

 魔力を感知した封印は、近づくモノの魔力を奪い取り、押さえつける。たったそれだけの単純な作りだが、とてつもない驚異でもあるのだ。何しろ自分を閉じ込めて確実に死に追いやるためだけに作られた術式なのだから。


 が、今はこのやっかいな錠前と遊んでやるには、いまだ魔力が足りなかった。

 もう一歩前へ進むと、唐突に目の前がぐらつく。

 魔力をむしり取られる不快感が牙を剥いた。


 ――ここまでか。


 未だ封印を破ること叶わず。


 突きつけられた事実は現実を思い起こさせたが、木製扉の前まで来れたのは僥倖だ。

 意を決して最後の一歩を踏み出すと、そっと扉を向こう側へと押しやった。


 そうして、今まで見たこともない明るい部屋へ踏み込んだのだった。

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