56-12話 最後の部屋は、最初の部屋
「あ、そうだ!」
その緊張感を切り裂いたのは、アンジェリカだった。
全員がぎくりとする。
「クロウはどこまで探索は進んでるの? 地図はあるんでしょう?」
髪をかきあげて勝ち気に微笑むと、まるでいち冒険者に尋ねるようなことを言った。
「……わかった。いいぞ。こっちも情報が欲しい」
その言葉で緊張がほぐれたのか、勇者パーティもホッとしたような空気が流れる。
「だがここも魔物はいるだろう。どうするんだ?」
「向こうに休憩室みたいな場所があったんだ。そこまで行こう」
「……休憩室?」
リクの案内で、そこはあきらかに工場の休憩室のような場所だった。
壁際には木製のロッカーと棚が並び、真ん中にテーブル、それを挟んで椅子が八つ並べられただけの場所だ。一人、ゴブリンが奥でカップに入ったジュースを飲んでいた。ゴブリンが顔をあげて、入ってきた冒険者たちを一瞥する。これといった反応はなかった。
「よお! 使っても?」
リクが尋ねると、ゴブリンは顎でテーブルを示した。
「ジュースはタダだぜ」
「そりゃありがたい!」
リクは笑顔で応答したが、クロウは頭痛が酷くなった気がした。
あまりのことに、まるで茫然としたように見えたのだろう。
「……まあ、気持ちはわかるぞ」
ナンシーがやや目を逸らしながら言った。唖然とすることが多すぎて、完全にここまでに感覚が麻痺するか、諦めるかのどちらかに成り果てていた。
ともかく互いの地図を確認するために、クロウとシャルロットが地図を出した。
リクたちのほうが事細かで詳細な地図だった。一度メモを取ったあとにきちんと縮尺や部屋の大きさなどを考慮して書かれたものなのだろう。
「誰が書いてるんだ?」
「……ああ、今は偵察に行ってるから、ここにはいないよ」
リクがそれだけ答えた。
盗賊もちゃんと来ているらしい、とクロウは記憶を呼び覚ます。
「アンタは意外に雑なのね」
クロウの地図を見たアンジェリカが言った。
「こんなところじゃ、いつ通路を変えられるかわからんがな」
わざとらしくため息をついて言ってやった。その皮肉は主へのものだ。
それからいくつかの点を見せ合ったあと、クロウが自分の地図に無い場所を確認する。
「……ここの菜園というのは? なにか有用なものでも埋まっていたか?」
「いえ、見たところ普通でしたね。ハーブや野菜類が主で、これといって不思議なものはありませんでした」
オルギスが答える。その隣で、シャルロットが言葉を引き継ぐ。
「隣は花畑でしたよ。花がほとんど飴でしたので花畑と言っていいのか迷うのですが……」
「飴……」
「ええと、すごく豪勢な……ケーキみたいなものもありまして……」
呆れとも諦めともつかない感情が沸き起こり、遠い目になる。
お茶会という概念をどう抽出したらこうなるのか、迷宮そのものに問いただしたい。だがその反面、迷宮も困惑しているのかもしれない。なにしろ主には魔力が無いのだから。魔力が無いということは、迷宮の核として接続できるものが無い。だが、接続しようと中に入れば、強大な魔力がひとつ、奥底で眠っているのに気付くはずだ。魔力があるのだから核として接続したくても、どういうわけか接続できない。別人の魔力だから仕方ない。たどり着こうとしても、たどり着けない。結果として、ああでもないこうでもないと、主の願いの上澄みだけが迷宮に反映されることになってしまった。
おそらくそれがこの迷宮がこれほど肥大化した原因だ。結局のところは、いまも暴走状態なのである。そこに乗っかったのがナビであり、クロウだ。
――だがこの状態が続けば。
世界は終わり、主も死ぬ。
「……じゃあ、ここはほとんど庭園まがいなんだな……」
クロウはなんとか、それだけ口にした。
他から見れば、あきれかえっていたように見えただろう。それもまた事実だから仕方ない。
「そう……ですね。造形だけ見れば素晴らしいと思います」
構成しているものは別として。
クロウは気を取り直して、ふと地図の別の場所について尋ねた。
「……ああ、そういえばお前ら、このあたりにガゼボがあったのを覚えているか?」
「そういえばあったな」
「チェスがあっただろう?」
「それがどうかしたか?」
「勝負の途中のように見えたから、何か意味があるのかと思ってな。勇者なら貴族たちと逢うこともあるだろうし」
「……ひととおり触ってみたけど、たぶんあれはああいうオブジェだな」
ナンシーが肩を竦めた。
「そうか。あれだけか」
クロウは首を傾いでから、あとは他愛の無い箇所を確認する。
そもそもリクたちはクロウよりも先に来ているだけあって、比較的地図も埋まっていた。
「このあたりが怪しそうだな」
クロウが白紙になっている箇所を指す。
地図を見る限り、この工場の建物内の最奥と見ていい。
「おそらくシバルバーまで通じているか……、それとも、この先にまだ階層があるのか。既に来たお前たちならわかるんじゃないか」
「そうかな」
リクの問いに、クロウは静かに頷いた。
「賭けてみるか?」
そこから全員が立ち上がり、白紙の場所を目指すまでにそう時間は掛からなかった。
工場深部という呼び名が存在するのなら、そこはまさにそうだった。
奥に行くにつれて、どういうわけか工場内には不穏な空気が流れ始めた。それは別に、黒いヤスデのようなキャンディが道の側で蠢いていたりだとか、壁にはめ込まれた目玉状のゼリーがパーティを見送ったりだとか。はたまた、溶けたチョコレートの固まりのような、どろどろしたチョコレートゾンビが襲いかかってきたとか。あるいは、その骨のすべてが砂糖菓子で出来たスケルトンが襲いかかってきたとか。
そういうことではない。それはもう、そんな区域があったというだけの話だ。
どれほどおかしくて、不思議で、理解のできない迷宮があったとしても。
ただひとつ、封印された鉄扉の向こうから来る嫌な空気は、それだけでは言い表せないなにかがあった。
「……これは」
全員が押し黙っていた。
工場の奥。荘厳な扉があったのは、薄汚れた石造りの壁に囲まれた小さな空間だった。どういうわけか、誰もが忌避していた。魔法生物のゴブリンをはじめとして、敵性の魔法生物までいない、というのはあまり考えられる事態ではない。工場の内部のそこだけが、陰鬱で暗澹たる物々しい空気に包まれていた。外にはあったはずの星々や、工場内を彩る灯りは存在しない。進入不可の警告文は何枚もあり、剥がれてもなお何度も張り直された跡がある。同じように石造りの地面には、泥と血のようなものが混じったような奇妙な液体があちこちにある。
主が座す場所であるなら、もう少し荘厳な空気になるはずだし、警護がなされるはずだ。だがここには、何もいない。
なにもかもを拒絶する空気がそこにあった。そして扉の向こうから間違いなく漂い、足元から立ち上ってくるもの。
「まるで……牢獄……」
誰かが呟いた。その感想は、当たっていた。
ガコン、と音がして、まるで招き入れるように扉が開いた。その向こうにはいままでになかった闇があった。永遠に続くような廊下は、ほんの数メートル先ですら見えない。
『う……』
耐えきれないようにセラフが少しだけ呻いた。そしてその苦しみこそが、証明になった。この先にブラッドガルドの魔力がある、と。勇者とその仲間の誰もが――同じことを考えていた。
対してクロウは、まったく別のことを考えていた。
――……こ、れは……。
豪奢な庭園の奥底に、どうしてこんな空間があるのか。
記憶の底から、強烈な既視感がのぼってくる。
――……そうか。
クロウは勇者パーティの後ろで自分の足下を見た。
「こ、これほどの場所に門番がいないとは……」
オルギスがわずかにたたらを踏みながら言った。
クロウは周囲を見るふりをして、視線を逸らす。
――ブラッドガルドは孤高の迷宮主。そして我が主は……。
迷宮の実情を知らぬ人間。
それを知っているのは勇者だけだろう。そして、この状況をどう解釈するかは勇者次第だ。
「でも、ブラッドガルドの迷宮も門番がいなかったからなあ」
不思議ではない、ということだ。
『リク。……本当にこの先なのでしょうか?』
「……」
『いえ、確かに……微かにブラッドガルドの魔力を感じます』
「ああ。それは俺も感じてる」
その会話は小さな声でなされた。
後ろでクロウが聞いていることを知っていたからだ。
『ですが……いままで秘匿されていたものがこんなに急に?』
女神の言い分はもっともだ。
これほど『きてください』と言いたげな罠も無い。
「……だが、この先に行くのはお前たちの役目だろう?」
クロウはできるだけ言葉を選んだ。
「ブラッドガルドと因縁のあるお前たちが」
これほどわかりやすいのは他にはない。
けれども、あまりにわかりやすすぎて、どういう意味か掴みかねている。やはり全員が押し黙った中、声をあげた者がいた。
「そうね」
そう答えたのはリクでもセラフでもなく、アンジェリカだった。
クロウの目がアンジェリカを向く。
アンジェリカのどこか挑戦的で、自信に満ちあふれた目が、一瞬まっすぐにクロウを射抜いた。思考が読めなかった。何故自分をここまで泳がせたのか――いまここで確認してやることもできる。
勇者の手によって主が解放されるようなことがあれば、ブラッドガルドの復活とて危うい。そんななかで、リクの仲間でありその右腕といってもいいアンジェリカが、どうして自分を泳がせるというのか。
だが、どちらかが武器を抜く前に、アンジェリカはもう一度言った。
「そうだったわね」
ひときわ澄んだ声だった。
リクに向き直る。
「なにしてんのよ、リク」
リクの腕を取り、ずんずんと先に進む。
「ここまで来たんだもの。とっとと行きましょ」
『え。あ、アンジェリカ!』
「大丈夫よセラフ。アタシたちはいままでもこうやってきたでしょ! だから、怖じ気づくことなんてないのよ」
『いえ――怖じ気づくというより……』
「それ以外にいったいなんだっていうのよ。リクも戻ってきたし、あとはブラッドガルドの欠片が残ってるっていうなら一緒にぶちのめせばいいのよ。今度こそ、完全にね」
自信たっぷりのその様子に、オルギスやナンシーもやがて頷いた。後を追うように歩き出す。
『あっ、ま、待ってください、みなさん!?』
「ふふん。あとはこの勇者リクに任せなさいよ!」
振り返ったアンジェリカともう一度目が合う。
その目は――。
――……何を考えているか、知らんが……。
最後に、ヒュッと影が通り抜けた。
影を名乗る盗賊もまた、ともに入り込んだらしい。クロウが入らないとみるや、扉は再びゆっくりと閉まっていった。そうして永遠に拒絶するように、ひどい音をたてながら勇者たちを呑み込んでいった。
「……」
しばらくクロウはその場に留まっていたが、勢いよく後ろを振り返ると、そのまま走り出した。次第に明るくなっていく廊下を突っ走り、一気に階段を駆け上がり、忙しげにチョコレートを持って歩き回るゴブリンからチョコレートスティックを一本拝借してから口に放り込んだ。美味い。背後から「はあ!?」という悲鳴が聞こえたが、知ったことか。ぺろりと口の端を舐めて、更に工場の入り口を目指す。
――何もかもを拒絶した、封印の間を模した場所があるということは……。
あそこは、拒絶するための間だ。
勢いよく来た道を戻る。
あの牢獄は、普通であればブラッドガルドに浸食されていると――そう認識してしまうだろう。だがあそこは瑠璃にとってはそうではない。どれほど女神と勇者の出会いに憤りを感じようと、どんな場所であれブラッドガルドと出会った運命の場所なのだ。この第五階層が反映しているのがお茶会そのものなら、牢獄があったって不思議ではない。
そして、二人だけの秘密の部屋は――本来、封印の間であった。なんぴとも訪れることのない場所。であれば、その先に進んだ末路はひとつだけ。
――それなら、どこが裏口になっているか、といえば……。
――こんなもの、使い魔の記憶ぐらいしか頼りにできんからな。
使い魔に継承される記憶や性質は、普段は主の意識にのぼらないものも存在する。
だからこそ、途中であっても覚えていられる使い魔でしか扱えないしこの先のゲームを続けることしかできない。
――まあ、間違っていたらそれまでだ。
クロウは外にでて、真っ先にガゼボにたどり着いた。
息を切らしながら、記憶を遡れる限りにチェスを動かす。プレイヤーといえど、それはキングダムランドのキャストのようなもの。キャストでしか動かせないものがあるのなら、可能性はじゅうぶんだ。
あの日、ブラッドガルドと勇者が戦う前に行われた、最後のチェス。
ここから先は時間の問題だ。
その最後の駒を動かしてチェックメイトを決めたとき、魔法陣が起動した。