挿話27 勇者、ヴァルカニアの真相を知る
馬車よりも速く、魔導機関車はもうひとつの駅についた。
ロンドンを思わせる駅に、思わずリクも周囲を見回してしまった。だが、奇妙なちぐはぐさに違和感を覚える。
なにしろ魔導機関という技術自体はおそらく誰かがイチから作り上げたものだ。それなのに、駅や、そこから見える時計塔を持つ城はあきらかにロンドンの――つまりは現代の――ものを模倣しているのだ。魔導機関車も、外観のつくりは蒸気機関車からの模倣なわけなのだが。
――これを作ることで得られるものっていうと、称賛……かな?
現代と違ってこちらには魔法がある。大気には魔力があり、人々は魔力を持っていても、魔術師でないと扱いきれない。その魔術師はいまだ秘密主義。おいそれと使うことはできない。
反対に、現代にもこちら側にない知識がたくさんある。いわば中世から近世にかけての知恵しかない異世界人にとって、現代の進んだ知識は簡単に称賛を得られるからだ。
「こちらです」
事実、巨大な時計塔に仲間たちも圧倒されていた。
魔力嵐に晒され、荒野としか考えられていなかった土地。軽度の罪人たちの追放場であった魔力嵐の奥に、これほど進んだ文明の国があるとは信じられないようだった。
城の元となっているのも、時計塔、すなわちビッグベンと同じく、ロンドンのウェストミンスター寺院だった。さすがにリクも中は見たことがない。だから内部に関してどうこう言えないが、確実に違うと言えるところがひとつある。ウェストミンスターをそのまま持ってきたわけではなく、内部が小さな城塞都市のようになっているのだ。
地区によってはまだ人の手が入っていない箇所もあるが、石畳の作りは美しく、古さをまったく感じない。人々は物珍しそうにリクたちを見送っている。
案内された城内に関しても、バッセンブルグと比べても遜色なかった。ワインレッドの、金糸で装飾されたカーペットがどこまでも伸び、壁には魔力型のランタンが均等に並べられている。扉も木製だが、金色の装飾がつけられていて、あまりに豪奢だ。
「こ、こんな豪華なお城……はじめて見ました」
「あ、ああ……。バッセンブルグ以上だ」
さすがのナンシーも戸惑いを隠せない。
「……私の城でもこんな豪華ではないわ」
その後ろで、アンジェリカが思わず呟いた。
奥まで行ったところでとうとう案内人が立ち止まると、こちらを振り返った。
「この先に、俺たちの王。カイン様がいらっしゃる。失礼のないように」
にやりと笑いながら、グレックが言った。
大仰な音を立てて扉が開かれる。ふわりと、焚かれたハーブの良い香りが吹き抜けていく。奥にまで続くカーペットの先に、はたしてその人物はいた。王の血を引いていることを示す白金色の髪が、吹き抜けた風によって揺れた。その瞳はしっかりとリクたちを見つめている。衣服はシンプルで、マントの他は最低限の品格だけで、これといって着飾ってはいない。一瞬、城に似つかわしくないとも思ったくらいだ。
――あれが……。
「……う、あ……」
オルギスが小さく呻くような声をあげた。目を見開き、石化したように動けず、仲間たちの視線を受けても硬直していた。
「なに? 知り合いなの?」
こういう場面でもあまり動じることのないオルギスに、思わずアンジェリカが尋ねた。だがいまは詳しく聞いている暇は無い。リクは意を決して、歩き出した。この迫力にも負けなかったリクの背を見ながら、仲間たちが続く。最後に、ザカリアスが少し離れて続いた。
周囲に立つ騎士はほとんど人間だったが、不思議なのは近衛兵の中に亜人がいることだ。衣服から見ても奴隷にも見えないし、まるで人間同様に扱われている。だがそれを気にする暇はない。
「ようこそおいでくださいました」
カインは少年のように笑った。
リクとあまり年齢も離れていないように思える。
だがここにいるのは、かの迷宮の主ブラッドガルドと言葉を交わし、先祖の地を人間の手に取り戻し、そしてなお交渉権さえ持った稀代の少年王、カイン・ル・ヴァルカニアその人なのだ。
「僕はカイン・ル・ヴァルカニア。ヴァルカニアの末裔にして、この国の王を引き受けている者です。お逢いできて光栄です、勇者様」
「どうもありがとう。俺はリク。勇者、と呼ばれていますが、一介の冒険者です。お逢いできて光栄です、稀代の少年王、カイン様――」
リクは頭を下げた。続いて、仲間たちがそれぞれ礼をする。
カインは少しだけ笑った。
「僕たちは貴方がたを歓迎します。どうぞ楽にしてください」
だがリクがそれ以上何か言う前に、再びカインが口を開いた。
「まず最初に伝えておきたいのは――」
仲間たちがぎくりとして姿勢を正す。
「僕たちは、貴方がたや他国と争うつもりはない、ということです。僕たちはブラッドガルド公の仲間ではありませんから。あくまで話し合い、交渉の座につくことを許されただけです」
「そうか。それなら安心したよ」
話し合いや交渉といった言葉に違和感を覚えつつも、リクは答えた。
思わず砕けた話し方になってしまったが、カインも周囲もそれを咎めることはなかった。
――ブラッドガルドが交渉ねえ……?
どんな利があって、どんな気まぐれを起こせばそんなことがありえるのだろうか。あるいはそれこそが宵闇の魔女の策略のひとつなのか。瞳の奥を虚無で満たした魔物に、なにを与えればそんなことになるのかさっぱり思いつかない。
「それと――オルギス様」
唐突に名前を呼ばれたオルギスが、ぎくりとしたように前を見た。
「お久しぶりです」
「……カイン……」
目は見開いたまま、何度も瞬きをして、唾を飲み込む。そうしてようやっと、絞り出すように声を出した。
「……生きて……いたのか」
「はい。どうにか。オルギス様もご無事で何よりです。遅くなってしまいましたが、これを帰還の報告とさせていただきます」
オルギスは困惑するような、言葉を選ぶようなそぶりをしていた。表情には複雑な感情が渦巻いているようだ。目の前の王が、あの日の新人騎士なのかどうかさえ疑っているようだ。経験を越えて肝が据わったといえばそれまでだが、オルギスの記憶の中にある少年とはまるで別人だ。
リクはオルギスをちらっと見ると、声をあげた。
「確か、カインは魔物にやられて死んだ、って報告されたみたいだけど、どうやって生き延びたんだ?」
「……ああ、そのように報告されたのですか」
カインの目が少しだけ細くなり、声も鋭さを帯びた。
「え?」
「ああいえ、こちらの話です。そうですね――いまはブラッドガルド公の気まぐれということにしておきましょう。何故そんな気まぐれを起こされたのかは――まあ、ブラッドガルド公のことですから。今となっても、人間には理解できませんね」
――気まぐれ……。
巧妙に隠された気がするが、いまは追求はできなかった。
「僕もいまでも夢を見ているようなんです。本当は僕はまだ迷宮の底にいて、生死の境を彷徨いながら理想の夢を見ているのではないかと」
言い得て妙だった。そもそもブラッドガルドと会って無事で帰れたことだけが奇蹟だ。逃げ切れた冒険者もいることはいるが、それもブラッドガルドの気まぐれが引き起こした奇蹟なのだ。挑んで死ぬか、逃げ切るか。そんな存在なのだ。
「じゃあ聞くけど――今後もし、俺たちがブラッドガルドを倒すことがあっても……」
「それに関して僕たちが何かすることはありませんよ」
「では、私達が倒したら、土地はどうするおつもりなのです?」
アンジェリカがたまらず聞いた。
「ブラッドガルドを倒した者が、その土地を所有する、という協定のことですか?」
「ええ」
「まず断っておきたいのは、ヴァルカニアの王族は誰一人としてその協定に参加していません」
カインはきっぱりと言い切った。
協定には各国の王たちが署名した魔血印があるというから、それはちょっと調べればわかること。王の魔血印は絶対だ。偽造も効かない特別なもの。
「それに、ブラッドガルドが自分の領地としている地上の土地など、もはや存在しないではないですか」
穏やかに続けるが、目は笑っていなかった。それに気付いたアンジェリカと、オルギスだけが背筋に冷たいものを感じた。その背後で、ザカリアスだけが面白そうに見ている。だがカインはそんな機微などまるで気のせいだとでも言わんばかりに、にこりと笑った。
「しかし、僕たちが取り戻した土地には、元は他国のものもありますからね。それに関しても何かあれば今後交渉の席につかせていただきます」
そのまま返すという流れではなかったものの、この謁見はひとまずの成果を見せようとしていた。
カインはあくまでブラッドガルドの気まぐれによって交渉権を得た者。ブラッドガルド側について敵対する意志はない。この土地そのものを狙っていた国々にとっては屈辱だろうが、それでもずいぶんとマシだ。少なくとも表向きには朗報だろう。
だがリクは、カインをしっかりと見ながら言った。
「でも、この城を作ったのもブラッドガルドだろう?」
その場にいた仲間の全員がギョッとした。
「ええ、そうですよ」
カインはこともなげに肯定する。
他の兵士たちにも僅かな動揺すら見受けられず、ここにいる全員は少なくとも城の
「あの方は、迷宮以外はほとんど『誰のもの』という感覚を持っておられないようで。この城塞も、作って放棄したものです」
「何を参考にしたとかは言ってなかったか?」
「えっ。参考……、ですか? ……さあ、ちょっとそこまでは……」
演技なのかどうかを見極める。参考と言われて逆に驚いていたようである。その反応は嘘には見えなかった。
「では、もうひとつ――」
リクは話を変えた。
「この建物を作るにあたって、ブラッドガルドに進言なり何なりした人物がいたはずだ。その人物は――宵闇の魔女、というんじゃないか?」
そう尋ねると、カインの眉が少しばかり動いた。
――ビンゴか?
しかしそれほど間を空けずに、カインは続けた。
「ブラッドガルド公はこうおっしゃっていました」
「ああ」
「宵闇の魔女の正体を知りたければ、神の実を持って来い、と――」
「……神の実?」
リクは一瞬きょとんとした声で聞き返してしまった。
仲間たちも、困惑でお互いの顔を見る。
「……僕もはじめてその名を聞いたのは、探査団の一員だった頃です。ですが、ブラッドガルド公に尋ねても、宵闇の魔女について僕が与えられた情報はそれだけです」
「神の実については何か言ってなかったのか?」
「ええ。ただ神の実を持って来いと」
*
迎賓館に通されたリクたちは、豪奢な居間でようやく一息ついた。
「それにしても、驚いたなぁ」
リクは持ち込まれた紅茶を飲みながら言った。
「まさか、魔力嵐の中に空間があったとは!」
ザカリアスも興奮していた。
魔力嵐は一帯を覆っていたわけではないこと。そこで村を形成していたこと。カインは”偶然”そこにたどり着き、祖先の地を取り戻すべく協力をあおいで動いたこと。その真相が外にでれば、それも驚くべきことだろう。
追放処分の罪人たちは、『戻ることができれば許される』のがほとんどだ。外からいまさら何か言ったところで何もできないし、誰がどの国の人間なのかを確かめる術は無い。
「本当に。ここに来てから本当に驚くことばかりだわ」
「あの魔導……きかんしゃ? もそうですし、お城も驚きましたね!」
「でも、どちらもブラッドガルドが気まぐれに作ったものだ。油断はできない」
女性陣が言い合う中、オルギスは黙ったまま思案に沈んでいた。
「ところで、神の実ってなんだ?」
リクは虚空を見ながら言った。
目線の先にいた女神セラフが『私っ?』という顔をする。
『えっ?』
「いや、なんだその反応……」
仲間の前だというのに、駄女神か、と言いかけてしまう。
「……女神様は、なんと?」
ようやくオルギスが顔をあげる。
「セラフも知らないみたいだ」
「ちょっと待ってくれ! 女神セラフはここにいるのか!?」
「ザカリアス。黙ってろ」
間髪入れずにナンシーから牽制が入る。リクは一瞬あきれた後に、気を取り直すように視線を巡らせる。
「オルギスたちは? 教会でそういうのを聞いたことは?」
「いえ、申し訳ありませんが……」
「私もはじめて聞きました」
全員が神の実について何も知らなかった。
最後にザカリアスにまで回ってきたが、肩を竦めるだけだった。
「ってことは、これは単に『教えるつもりはない』ってことかもな」
ブラッドガルドが、『宵闇の魔女』は現代の人間だと知っているなら、それを隠していてもおかしくない。その割には
――それとも、もしかして。
リクはひとつの可能性にたどり着く。
――これは、俺に向けたメッセージなのか?
そもそもコピー紙も蒸気機関車もロンドンの建物も、現代のものだ。完全に日本のもの、というわけでもない。だが、リクの素性を知っていると暗に言っているのかもしれない。
リクが考えに沈んでいると、部屋がノックされた。
「失礼します」
男が一人、おかわりの新しい紅茶を持って入ってきた。
「ああ、ありがとう」
リクが顔をあげると、男はすぐ近くで古いカップを回収した。その際に、耳元で小さな声がした。
「……宵闇の魔女は、ブラッドガルドにくっついてる」
ぼそりと呟かれた一言に、リクは目を見開いた。
「背は低めで、顔は見えなかった。髪は金色。三角の帽子に、オレンジのワンピースに、黒いローブだ。頭に髑髏のついた特徴的な杖を持っている……」
男はそれだけ言うと、新しい紅茶を置いて去っていった。
「……なるほど。ありがとう」
リクは仲間の一人へと声をかけた。どうやらハンスは一足先にここにいたようだ、と理解する。どうしてここにいるかはさておき、宵闇の魔女とやらは確実に実在するようだ。おそらく何人かはその姿を見ているだろうが、素性については謎なのだろう。どれほどの力を持っているのか。リクは気合いを入れ直した。
*
その頃、王の間。
「稀代の少年王だってよ、王様」
「やめてください恥ずかしい!!」
周囲の騎士に普通にいじられているカインの姿があった。
「まあ結構とんでもない事したからわかるけど」
「というかカイン様ってほんとのところいま何歳なの?」