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51話 ミルフィーユを食べよう

 ブラッドガルドが顔をあげると、スマホの画面とにらめっこしながら眉間に皺を寄せている瑠璃が視界に入った。

 ここはいつもの境界部屋。真ん中に置かれたテーブルを挟んで、ブラッドガルドと瑠璃はお菓子の後の暇を潰していた――もとい、ブラッドガルドは暇を潰していたわけではないのだが。

 瑠璃がスマホに見入っていることなどよくある光景だが、ここまで頭を悩ませているのは珍しい。手に持った魔石のプレートへもう一度視線を流したあと、口を開く。


「……何をしている」

「んんーー?」


 いまにもテーブルに溶けてしまいそうな顔をあげて、瑠璃が起き上がる。


「いやほら、この間、ボア……、だっけ? 解体してたじゃん」

「……ああ、小僧のところでか」


 小僧、というのはカインのことだ。

 ボアは現代日本でいうイノシシや野豚に似た生き物で、収穫祭に捕獲したものを解体して皆で分ける、というのが習わしだったようだ。二人はたまたまその収穫祭に乗り込んだ形になる。


「それがどうした。貴様も貰ってきたのか」

「さすがにお肉を貰うのはね。代わりに毛皮はちょっと貰ったけど」

「……それをここに置くな」


 部屋の隅を指さす瑠璃に、真顔で言うブラッドガルド。


「それで、私のとこにも似たような肉があるよって言ったら、何か変わった調理法は無いかって聞かれちゃって」

「……それで必死に探していたと? すぐに思いつかんのか」

「うーん。カツとかはわかるけどさあ」

「カツがわからんが」


 すかさず言うブラッドガルドを瑠璃は意図的に無視する。


 ソーセージやハム、ベーコンといった加工品は向こうにもある。

 当然、中に風味付けのハーブや刻んだ野菜などを混ぜるなどの加工も行われていることだ。となると、当然それ以外の豚肉料理ということになる。


「そっちで何が使えて何が使えないかとかもあるし」

「ほう。それでカツは使えないと判断したと」

「お、おう……」


 目線がますますブラッドガルドから離れる。


「ま、まあとにかく、それで何を選べばいいかって考えてたわけだよ。豚つくねとか肉巻きとか……!」

「そうだな。我が実物を食わねば、此方の世界に受け入れていいものかわからんしな」

「どうしてそういうツッコミ所しかない言葉が出てくるの?」


 絶対そんな殊勝な理由じゃないことを看破する瑠璃。


「あとはほら……えーと……ミルクでも作れそうなものっていうと、ミルフィーユ鍋とか……」

「……鍋? 肉で?」

「え、鍋知らない?」

「違う。ミルフィーユは菓子ではなかったか?」


 ミルフィーユが菓子という認識があったからこそ、鍋と豚肉という発想に違和感しかなかったのだ。


「いや、お菓子なんだけどね。……というか、ミルフィーユって持ってきたことあったっけ?」

「無い。だが一度話には出た」

「ええ……、そんな時のことよく覚えてるね……」

「実物が無いとわからんが」

「……」


 そろそろ瑠璃が返す言葉を無くしかけてきた。

 ブラッドガルドは無言のまま見つめ続ける。二度目は無い。瑠璃は頭痛のような表情であっちを向いたりこっちを向いたり、上を向いたり下を向いたり。とうとうテーブルに突っ伏して溶けたようになってから、頭をあげた。


「……まあ……、カツをおやつにするよりはいいけど……」


 それだけの言葉を引き出すと、ブラッドガルドは視線を魔石に戻した。

 瑠璃は再びテーブルに突っ伏し、豚料理探しに戻った。


 そういうわけで、瑠璃は翌日、近所のケーキ屋に赴くことになったのだった。


 前日と変わらないテーブルの上に、ぽんとケーキの箱が置かれる。


「……貴様はよくもまあ、バカ正直に持ってくるものだな……」

「は? 要らないの?」

「いや、感心しただけだ」

「そう……」


 まったく褒められた気のしない会話にあきれつつ、瑠璃はお茶の準備をしはじめた。甘いケーキなのだから、今日は砂糖の無い紅茶だ。


「あっ、とりあえず早く食べよう!」

「は?」

「なんかね、えーと……」

「早く食えというのではなかったのか」

「そうだな!?」


 思わず手を止めて説明しようとした瑠璃は、慌てて我に返る。


「しかし何か……早く食うものなのか?」

「んっとね」


 ひとまず箱の中からケーキを取り出すと、皿に載せる。

 そこには、長方形の形をしたケーキが載せられていた。三枚のパイ生地の間に、それぞれクリームが挟んである。上にはカットされたイチゴとブルーベリー、そしてミントが乗っていて、彩りを添えている。

 皿のひとつをブラッドガルドへと滑らせると、用意してきた紅茶を淹れた。


「真ん中にクリームが挟んであるでしょ?」

「そうだな」


 色は薄い黄色で、カスタードクリームだと思われた。


「それ、私はカスタードだと思い込んでたんだけど、どうも違うみたいでね。確かに昔はカスタードだったみたいだけど、今はカスタードと生クリームを混ぜて作ったクリームなんだって」

「ほう?」

「食感が軽くなるその代わりに生クリームから水分が出ちゃうみたい。そうするとパイ生地が湿りやすくなるから、お早めにって」


 レストランなどでは、そうした対策を取っているところがあるらしい。


「どうりでいつも置いてないと思った」


 ケーキの値札はあるのに置いていないミルフィーユがいつも不思議だったのだ。


「……貴様、それでなかなか持ってこなかったのか……?」

「そうともいう」


 瑠璃はそっと視線を外した。


「ほら、そういうわけで食べよう。ね!」

「……」


 微妙な粗忽さ加減に無言になりながら、ブラッドガルドはフォークを手にした。

 フォークを突き刺す。フォークでは割り切れないのではと思ったが、意外にもさくさくと小さな音を立ててフォークを受け入れていった。瑠璃の持ってきた時間のせいか、クリームとの接地面がわずかに湿り気を帯びていたものの、気になるほどではない。


「ミル(mille)は千、フィーユ(feuille)は木の葉で、千枚の葉だって。落ち葉みたいに、千枚の葉を重ねて作るパイのケーキ」


 ただ、日本で通常言われるようにミルフィーユ(fille)だと、現地では「千人の娘さん」になってしまうらしい。本来はミル・フィユとか、ミルフォイユのような発音が近いようだ。

 とはいえそんなことはいまは関係ない。

 瑠璃は口の中にフォークを入れる。


 サクリとした食感が心地いい。それこそ本当に千枚の葉に足をそっと落としたような軽さだ。

 そこに、クリームが冷たく柔らかに甘みを届けてくれる。

 ほんのわずかに湿り気を帯びた接地面も、柔らかくていっそ心地が良かった。上に乗ったイチゴを突き刺して口に入れると、ちょうどいい酸味が変化を与えてくれる。


「千といったって三枚しかないが」

「どっちかっていうとパイの作り方のほうかな?」


 パート・フィユテ。

 画家だったクロード・ロランが作った話や、コンデ公のお抱え菓子職人フイエが作ったとも言われる折り込みパイ生地だ。 

 作り方は生地にバターを包んで三つに折り、それを六回繰り返す。七百近い層になるそれは、水分が蒸発する際の膨張力で、焼き上がった時には綺麗な生地の層になるというものだ。

 それらが、落ち葉のごとく重なった薄い千枚の葉にたとえられているのだ。


「本をめくるのか落ち葉なのかはっきりしろ」

「え? ……あっ、よくそんなこと覚えてるね!?」

「当然だ」


 アップルパイを食べた時に、確かそんな話をした気がする。


「最近は軽さ重視っぽいね。カスタードもそうだけど、最近は上の部分も軽く粉糖をかけるだけとか」


 ブラッドガルドは紅茶を一口飲みながら、少し考える。


「千枚の葉、なあ……自分たちを世界樹の葉と称する奴らはいるが」

「えっ、なにそれ。そういう種族?」

「エルフだが」

「おお……!? そういえばエルフ居るんだっけ。なんで世界樹?」


 瑠璃の目がきらっと光る。


「世界樹は精霊の力が混ざりあって産まれた原初にして最古の樹……とも言われる樹で、奴らはそこから産まれた。ゆえに、世界樹の葉と」

「カイン君のとこにはいないよね? なんかここで聞いてるだけだと実感ないけど」

「数は減っているからな。どこかの国が保護したらしいが。物好きなものだ」

「えー、いいじゃない。種族を守ってあげようっていうのは凄いことだよ!」

「世界樹から聞こえる声が予言になっているからだと思うが」

「えっ、待って。なんかすごい事言われたんだけど」


 さすがに真顔で言ってしまう瑠璃。


「実際のところは我も知らんが」

「一番気になるところ知らないの何なの……」

「貴様だって似たようなものだろう、ほら、次はないのか」


 なんだか適当にあしらわれたような感じがしつつも、瑠璃はスマホに視線をうつした。

 それを待っている間に、ブラッドガルドは二口目もフォークを突き刺そうとした。だがしばし見つめたあとに結局指先でつまみあげ、口へと持っていく。

 そのままかじりとると、何度か口をゆっくりと動かした。唇についたクリームを指先で拭き取り、視線を戻す。


「それじゃ、話を戻すとね」

「ふむ」

「作ったのはアントナン・カレームっていう、シェフの帝王とまで呼ばれてる人。……って説があるんだけど」

「またか」

「……うん、またなんだよ」


 実際にはアントナン・カレームの時代より以前から、文献に登場している。


「でも、なんでアントナン・カレームが作ったことになってるのか、ってのはどうも推測できるみたいだね」


 というのも、これまたジョセフ・ファーブルなるスイス出身の料理人――ただの料理人ではなく、フランス料理アカデミーの創設者でもある、その道のかなり重要な人物――が著した『実用料理大辞典』の中に、それらしいエピソードがあるというのだ。どうも面白エピソード的な記述のようなのだが、その筋の権力者がそう言っているのだから間違いないだろう、と見られて広まってしまったとみることができるようなのだ。


「でもカレームの著作の中にも、それまでと現代的なミルフィーユの記述があるみたいで、改革者って意味はあるみたいね」

「ほう」


 ばりばりと残りを平らげつつ、ブラッドガルドは言った。


「あとは結構色んなバリエーションがあったり、各国で名前は結構バラバラみたいだね、英国だとバニラ・スライス、ドイツだとクレームシュニッテンとか。あと、日本では特にイチゴを挟んだやつをナポレオン・パイって呼んだりもしてるよ」

「ナポレオン……?」

「フランス革命期の革命家だよ。最終的に流刑地に流されたけど、革命後の混乱を収束させて皇帝に就任したり、就任中もヨーロッパ大陸の大半を勢力下に置いたりしたヤバイ人」

「……ああ、確か一度……、名前だけは聞いたような気がするな」

「えっ、嘘。覚えてんの?」


 瑠璃はおののきつつ、スマホをスクロールさせる。


「で、その皇帝ナポレオンがかぶってた帽子に形が似てるとか、お菓子の中の『皇帝』ってことでそんな名前になったみたい。まあ、今は普通にミルフィーユって呼んだりもするけど」


 首を傾ぐ。


「ただ、アメリカでもナポレオンって呼ばれてるみたいだけどそっちは謎かな……」


 ただしそれは、フランスで出版された「オフィス概論」なる本に、ガトー・ナポリタンなるお菓子が掲載されていることで推測できるらしい。

 これはイタリア発祥のクッキータイプの生地を使って作るお菓子なのだが、アプリコットのマーマレードを塗って数枚重ねにしたり、パイ生地を使っていないものの、ミルフィーユを模したジャンルに属するとあるらしい。

 そのナポリタンという名が、アメリカでよりインパクトの強い名に転じたのが原因ではないか――というのが、瑠璃が引き当てた情報だった。


「まあそんなとこかな。で、どうよ?」


 瑠璃が視線をあげると、ブラッドガルドは手持ち無沙汰に、手についたクリームを舐めているところだった。


「まあ暇は潰れた」

「そりゃそうだろうね……ってか、そうじゃなくて味だよ、味!」

「……貴様はなぜ毎回我に感想を聞くんだ」

「気になるから以外に理由は無いけど」

「……」


 興味津々といった風に、目を輝かせてブラッドガルドを見る瑠璃。

 ブラッドガルドは眉間にやや皺を寄せて、目線だけを横に逸らした。


「それより、何故ミルフィーユ鍋なのかはわからんのだが」

「ん? だからほら、ミルフィーユってそういう何層にも重なってるって感じじゃん。そういう材料を重ねた感じで作ってある料理はだいたいミルフィーユ」


 だから白菜と豚肉を交互に挟んで重ねた鍋はミルフィーユ鍋というわけだ。

 正直、名前やその見た目が無ければ普通の豚鍋と言われていてもおかしくはないのだ。


「なるほど。じゃあそれをレシピとして持っていくわけか」

「え? ……あっ」


 瑠璃の意識は逸れたようだった。

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