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1話・死んで欲しい母親


「あぁ、早く死んで欲しい」


 30歳になる俺は、母がデイサービスへの送迎車に乗って走り出す車を見送った後にそう呟いた。


 介護生活とは殺人を犯す境界線の綱渡りだ。


 母子家庭で育った俺は子供の頃から希薄な親子関係だった。母は俺が3歳の時に父親と離婚していた。


 何故か母はそれを隠して生活していたが、一緒に暮らしていた祖父や祖母の言動を察するに離婚というのは子供ながらに察した。


 母は若い時から派手な服やメイクを好み、いわゆるバブル期の人間だ。

 父親がいないので、祖父や祖母に育てられた俺は外に働きに出ている母とはあまり接点も無かった。子供の頃はたまに出かけるとオモチャを買ってくれる事が嬉しかったが、だんだんと自分の理想を押し付けてくるようになり、成績優秀・スポーツ万能な息子という枠組みに収まれない俺の心は母から離れた。



 現在、すでに祖父も祖母も他界していて認知症になる母を俺は介護している。

 まだ60歳と認知症にしては若く、見た目も老人ではないのでデイサービス内でも浮いている存在だ。


「さて、今日は何をするかな……」


 そうして、まだ独身の俺は彼女も作れずにデイサービスから帰宅する時間の母を出迎える為に時間を潰している。

 テレビでたまたまやっている認知症特集などはどうしても見てしまう。内容はいつも同じで、介護の光の部分だけだ。


「いつもテレビが見せるのは綺麗な介護だな。みんながみんな、笑顔で介護は出来ない。介護にマニュアルはあっても臨機応変だ。機械を扱う訳じゃない。テレビじゃ、介護の闇は死なないと明らかにならないからしょうがないか」


 介護生活に慣れると、常に諦めが先に立つようになる。惰性と諦めが楽をしたい自分に甘く囁いて来るんだ。


「土曜日の朝はテレビよりネットでも見てた方がいいか?」


 と、思いつつもスマホを取るのも面倒な俺はテレビのチャンネルを回すと、今度は老夫婦の介護殺人のニュースが流れていた。老いた旦那が夫人の介護に疲れ切り、首を締めて殺害したというニュースだ。これも、最近では当たり前過ぎて大きなニュースにもならない。


「介護殺人……あって当たり前だ。俺の場合は自分をしつけた親だ。介護をしてその立場が逆転しても、相手は子供扱いして来る。そのストレスとの戦い。会話は都合良く解釈して、他人の言葉が全て理解も出来ない。それが介護者に人間性を失わせる瞬間が来る……」


 増え続ける自分の独り言の多さにウンザリもするが、事実俺もそんな瞬間は何度も経験している。歩いて十分の所に親戚家族がいるが、所詮は頼り切る事は出来ない。


 母は近所の人間などの名前は忘れる事も無く、特に変な事をするのも無い。昔の事は驚く程よく覚えている。


 認知症でも昔の事は鮮明に語れるが、最近の事はわからないんだ。それも、わからない事に関して自分に不都合な事が多い。


 認知症とは自分の都合の良い世界を生み出す「悪魔の人間」を生み出す病気とさえ思う。


「来週は計画してどこか外に行こう。明日は誰を誘うかどこへ行くか、色々と考えるか」


 今日考える事を明日に持ち越し、携帯用ゲーム機を手に取る。土日は休みでもほとんど人と遊ぶ事も無く、家にいる時は無駄に独り言が増えていた。一日中録音していれば、自分でもビックリする程多い独り言だと思う。


「このゲームも飽きたな。タイムセールの時間より早いけど買い物でも行くか。五時のタイムセールに行くと、五時半過ぎに送迎車来るからなぁ……」


 と、また独り言を言いながら携帯ゲームのスイッチを切る。このゲームも時間潰しのようなもので、中古で買ってまた中古で売りさばき、実質数百円でゲームをしている状況だ。介護にも金がかかるので、変な節約方法すら身についている。


 人生ハードモードだから、ゲームはイージーモードしかやらない。ゲームの中ではストレスフリーでありたいんだ。


「……」


 そして、さっきやっていたゲームの中のストーリーも、血の繋がりや親子関係が描かれていた。


「血の繋がり、親子関係……それでも他人でしかないんだよ」


 そのゲームのエンディングはユメの世界で死ぬ「ユメセカイエンド」はバッドエンド。けど、そこまで悪くは無いだろう。


「ユメセカイの中で死ねれば」


 そうして、予定していた買い物を済ませて母の帰宅の時間になった。一軒家の前に止まるデイサービス送迎車からスタッフがまず降りた。


「着きましたよ戸田さん。ゆっくり降りて下さいね」


「はい。今日も楽しかったよ。それじゃあね」


 母は思っても無い事を言っている。

 親戚との集まりではデイサービスの連中はバカ共と罵っているのに。また演技してるな……と思いつつ、俺はスタッフに声をかける。


「ありがとうごさいました。明日もよろしくお願いします」


 そうして、デイサービス送迎車は走り去った。


 俺が土日などの休みの日には必ずスタッフには出迎えるようにしている。平日なら俺がいないから、母は自分で家に入る。近所に親戚もいるからその辺は心配していない。徘徊云々も無いしな。



 一年程前から母の行動や言動の異変に気付き出し、病院で検査すると認知症というのがわかった。そうして、介護関係の施設に連絡をしてケアマネジャーが決まった。その後、文句を言いつつも母はデイサービスに通い出している。


 勿論、デイサービスでも母は問題が多い。


 人がいなくなるとその人間の悪口。

 デイサービスでは家族の悪口。

 家族の集まりではデイサービスの悪口。

 悪口ばかりで他人の信用や信頼を得られない事もわからないのか?

 だが、これは認知症のせいではない。


 昔から母は「そういう女」なのだ。


 デイサービスでも恋愛などの揉め事がある。

 認知症のジイさんから愛用の時計をもらってしまう。

 車椅子を押してジイさんの部屋に勝手に行く。

 他のバアさんへの暴言。

 職員との不仲。

 それらを記したデイサービスとの連絡帳を破る。


 俺もこんな事でいちいちデイサービスにまで足を運ぶのは面倒だ。コッチの生きる気力さえもあそこに行くと奪われてしまう。



 色々と母は問題が多いので、これからはケアマネージャーと直接連絡を取り合う事になった。

 デイサービス連絡帳はその日にあった出来事など、どうでもいい事のみを記載してもらい、問題行動などは直接連絡になった。


 そうして、ある日の夕方ケアマネージャーからメールがあったんだ。


「電話連絡出来たら電話連絡をお願いします? 何かあったのか? ま、いつも通りだろうが……」


 今日も早速、母の悪い癖が出たようだ。

 一応、電話連絡という話なので夜にケアマネージャーに連絡する事にした。


 すると、まず昨日また起こった入浴の件と、最近嫌だと言っていた食器洗いの件だった。その件を俺はケアマネージャーに説明する。


「……入浴の件は男性スタッフが呼ばなければ解決出来ます。男性に呼ばれると、男性に身体を見られると勘違いしてしまうのは仕方ないと思うので。これも初期にあった出来事です」


「わかりました。確かに入浴の件はデイサービス側のミスです。こちらからも強く伝えておきます」


「次の食器洗いの件ですが、食器洗いなどは本人が「やりたくない」としつこく親戚との集まりなどで言っていて、それを本人にデイサービス側に伝えるか? と聞いてから連絡しました。その後、自分がデイサービスで都合が悪くなるから、母は俺が勝手に言ったと言ったのでしょう。なので、社会活動に参加するいう目的の、食器洗いという行いをやるか、やらないかは本人に聞いて下さい。よろしくお願いします」


「わかりました。ありがとうごさいます。その辺もデイサービス側と話し合って、本人が納得する方法を考えてみます」


「よろしくお願いします。後は何かありますか? 電話連絡をという話だったので?」


「電話連絡の件はデイサービスから住み込みになれる新規事業所があるというお話です。戸田さんの今後を考えて、検討されてもいいと思う事業所があります」


 そして、ケアマネージャーから近場の新規事業所があると聞く。


 それは、前々から話していた母を日帰りのデイサービスから、完全に寝泊まりまでするグループホームに入所するという話だった。

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