セオ・アガルマト
ジャンル・ショートストーリーがほしいです
ヴァンス帝国領モーディアニ。東部地方と帝都を繋ぐ交通の要衝にして、帝国各地と大海へと繋がる大河を備えた広大な湖を持つ、まさに天下の要地であった。
彼の地を支配するモーディアニ伯は神に仕える敬虔な信徒であり、皇帝に傅く優秀な臣下であり、奇矯な人物として知られている。
「………師よ。」
「は、はい。」
四十過ぎの痩せぎす男が血走った目を左右に泳がせながら答えた。その男の手には人の手のような物がある。
実際、それは人間の手ではない。この男は錬金術師であり、モーディアニ伯自らの依頼により造り上げた、天使の腕であった。鉄で出来た歯車と僻地で討伐された鯨の髭、そしてこの男が造り上げた被造人皮を組み合わせた美しい腕。その腕を受け取り、太陽の煌めきを反射する爪先を持って指を動かそうとする。だが、まるで建て付けの悪い扉のようにぎこちなく、さりとて力を込めて動かすわけにも行かない。
「これでは、ならんな。
見ろ。関節が硬すぎて動きが悪い。」
「しかし、自在に動かすには必然複雑な機構が必要となり。当然その分巨大にならざるを得ません。試作型のサイズを覚えておいででしょうか?あのサイズが機能性のギリギリのライン。あれ以上小さくすれば必然どこかに皺寄せがいき……。」
「分かった分かった。そう一度に喋るな。」
「は、はい。わ、我が主に向かい、た、たた大変失礼を…。」
「気にしておらん。
しかし、相変わらず師ジュゼッペは技術の話以外は舌の回りが鈍くなるな。」
照れたように頭を掻くジュゼッペの姿を見て、男はこの時代には珍しく髭のない顎を撫でて好ましそうに笑った。
白髪の混じった黒髪に、黒い瞳、年齢を感じさせない平坦な顔付き、フランシス・ラクト・アン・モーディアニその人である。
モーディアニ領は他の領と違い、個人の裁量が明確に定まっていた。つまり、軍人は戦のことだけを考え、政務官は政務のことだけを考え、坊主は神のことを考える。そして彼は領地を富ませることだけを考えた。ただでさえ莫大であったモーディアニ領の収益は彼が領主になってからは更に跳ね上がり、帝国内の物流をほぼ全て掌握しその資金により人を集め更に稼ぐ。口さがない者は彼をこう呼んだ、モーディアニ商会長と。
執務の部屋に、フランシスがいる。革張りの椅子に深く腰掛け、尻と座面の間には布と錬金術師の作った硬質な綿で出来た円形の物が敷かれている。
書類が大量に置かれた机の横にはもう一つ机があり、彼の右腕である執政官が自らの仕事に取り組んでおり、二人の間に一人の侍女が立っていた。彼女は二人に茶や軽食、あるいは食事の時間や次の予定、来客などを伝える、今で言う秘書であった。余談だが、フランシスはとある貴族の館で務めていた彼女の仕事振りを一目で気に入り、彼女を自らの領地に引き込むために、彼の地の領主に部屋が埋まるほどの贈り物と、彼女の家族をまとめて呼び寄せるという荒業を使い、嫁から激怒され一週間自らの館に帰ることを許されず、仕事場の寝床で暮らしたという。
モーディアニが軽快に動かしていた羽ペンを止め、その手を口元に運ぶ。何かを求めるように別の手が動くと、ちょうどそこには紅茶の入ったティーカップがあった。ほとんど無意識にカップを手に取り褐色の液体を流し込む。温めの紅茶はなんの差し障りもな胃へと流し込まれていく。
執政官の男が顔を上げた。
「伯、湖賊による被害ですが今季は例年より多いようです。」
「隣のメルキー男爵に食料と、我が領との境界付近の村々で教会の整備をさせよ。」
すぐに顔を伏せて羊皮紙に何事かを書き付けるとまた顔を上げる。
「シルキー、すまないがこの指示書を渡してきてくれ。」
「はい、畏まりました。」
どこの誰にとは彼女は聞かなかった。誰がどんな仕事をして、どの時間にどこにいるのか、何が得意で何が苦手か、その家族が何をしているのかさえ、この赤髪の侍女は知っているのだ。
彼女が出て行くと、入れ替わりに若い茶髪の侍女がやって来る。シルキーの部下の一人だろう、緊張しきった顔で手と足を同時に動かしながら壁の隅に立った。
政務、会談、家族との時間、睡眠時間。モーディアニ伯は熱心にそれらの時間を過ごしていく。彼は知っているのだ、熱中するほど時は早く過ぎていくことを。
そして、週に一度。あるいは不定期に。彼の待ち望んだ時間がやって来る。
モーディアニ領の片隅。支流の一つが流れ、近くには山脈の尻尾の小さな山と森がある小さな村だ。人口は五十人ほどで、一人の変わり者が住んでいる。
村長よりも大きな家に、共同のパン窯よりも大きな窯を持ち、五人の弟子を持つ。錬金術師ジュゼッペがそこに住んでいた。
門番代わりの戦争奴隷の男を蹴飛ばすように押しのけて、フランシスは扉を勢いよく開ける。
「ジュゼッペ!来たぞ!」
「我が主!
どうぞ、どうぞこちらに…!」
ジュゼッペに案内されてこの屋敷で一番明るいアトリエへと招かれる。
そこには真鍮の台座と、頭のない人形が立っていた。
モーディアニはまるで産まれたての赤子を抱くようにそっと、その手を握る。微かに押し返してくるような弾力と、滑らかな肌の下にあるしっかりとした硬さ、そして握り返してくるような手のひらの動き。
「………素晴らしい!」
「我が弟子の一人が鉄の新しい精錬法を発見しまして、硬度はそのままにサイズを小さくすることに成功しました。また、この技術はすでに我が主の商会に伝えましたので、そちらでもお使いになられるかと。そもそもこの精錬法ですが……。」
「あぁ、そうか。うん。」
全く上の空でジュゼッペの講釈を聞きながら、フランシスは頬ずりでもしそうなほど熱い瞳でその手を見つめていた。
「これで、手が完成したな。
あとは…顔か。」
「必然我が主が常々仰っていた馬車の車軸の件も……ししし失礼、何か?」
「ん?あぁ顔だよ。顔と頭だ。
また、それに合わせて全身も作り直して貰うが…。」
「か、かかか構いません。最初からうか、う伺っておりまし、たし。」
「資金については誰に?」
「ゼニスキー!」
悲鳴のようにジュゼッペが呼ぶと、アトリエに一人の青年がやってきた。ふくよかでどこか花のような匂いがする小奇麗な男だ。
「お呼びですか、師よ。」
「い、いくらだ?」
「はっ。
この人形を一から造るとして、金貨で千五百枚。それに工期が凡そ半年、そしてその間の生活費と経費を併せまして金貨二千枚ほどかと。」
「いいだろう。
だが、基本は材料のままで渡す。経費としては村長とそちらに銀貨と銅貨を混ぜて金貨百枚分預けておく。」
「……全て我々に任せてくださらないのですか?」
不満そうなゼニスキーの声に、目をひっくり返したジュゼッペが叫ぶ。
「ゼニスキー、下がれ!」
師の言葉に逆らうことなく、不満そうな顔のまま一礼してアトリエから去った。
これまでゼニスキーの姿に一目もくれずに、恍惚とした表情で手を撫で擦っていたフランシスは蕩けた顔のまま呟く。
「気を付けろ。アレはあまり良くない。」
「は、ははい。ですが、ああの子の母は私のい、妹でして……。か、勘定も上手いのです。」
「……私の方から一人出そう。
奴の下につけてくれ。」
「は、ははっ!」
フランシスにとって生涯とは、この人形を完成させることであった。
そのために領地を富ませ、軍備を強化し、人々と関わり、家族と時を過ごした。彼には三人の妻と七人の子がいて、すでに長男を後継者として指名し教育している。すでにその成果も出ており、湖は彼の手によって幾倍も栄えるだろう。すでに要職を幾つか引き渡し、彼の自由な時間がかなり増えた。
そして自宅に戻り季節が変わった頃、人形を造る準備が出来た、と連絡があった。しかし、フランシスは深い苦悩の中にいた。
「……見つからんな。」
彼の求める人形、その顔が彼には見えなかった。
美しい顔を求めて著名な絵師を幾人も呼び付け、描かせたが何一つとして満足する絵はなかった。そもそもイメージがあやふやなのだ、納得できるわけがない。
評判の美人がいればそれが帝国の僻地であろうと、敵国であろうと乗り込んだ。だが、どこの誰も心に残りはしなかった。
彼の広い邸宅の一室。その部屋は中と外から鍵を掛けることが出来た。その鍵を持つのはフランシスただ一人で、一度入って鍵を閉めれば、他の誰でも開けることは出来ない。
その部屋には真鍮の台座と、顔のない人形があった。布を巻き付けた肢体は腰の辺りをベルトで留められ、そこにいない誰かを抱きとめるように両手を広げるその姿を、フランシスは円形の敷物を付けた安楽椅子に座り、揺らしながら眺めている。
戯れにその手を取れば、まるで生きているかのように滑らかに動く。ジュゼッペは触れた人の動きに反応すると言ったが、まさにその通りで、抱き止めるとまるで処女のようにその身を固くし、その手を優しく握れば、こちらに身を預けてくる。そっと離れれば元の姿勢に戻り、再び抱かれるのを待つ。
『なんだろうなぁ。
どんな顔が似合うんだろうな、お前には。』
そう言って何も乗っていない首を撫でる。そこにはつるりとした被造人皮があてがわれており、触ると擽ったそうに人形が身悶えする。
『見つからん以上は、作れないよなー。うーん。』
その時、扉がけたたましくノックされた。
フランシスは深い溜め息をつくと、埃がつかないように布を被せて扉の鍵を開ける。
「お爺さま!まぁ、やっぱりここに居ましたわね!」
海人の青い髪とフランシスとよく似た黒い瞳をした少女が可笑しそうに笑った。そのままくるくると彼を中心にして回る。
「キュリス。いつも言っているだろう?淑女のように振る舞えと。
全く、我が息子は何をしているのだか。」
「いいえ、いいえ。お爺さま。お父様はこう仰っていました。」
フランシスの前にひらりと飛び出すと、二、三度咳払いをして低い声を出して言う。
「"いいか、キュリス。父上は無礼な振る舞いを好まないが、人の好悪をよくよく感じられる。好意から出た行為に嘴を入れるようなことはしないよ。"」
コウイだけに!と言ってまた笑い出した。全く次のモーディアニ伯はジョークのセンスをどこかに忘れてきてしまったらしい。
フランシスの白い髪の下は、しかし優しく微笑んでいる。
「全く、キュリス。
お前は朝の小鳥のようだな。騒がしい上に気ままに飛び回る。」
「ふふ、ふふふ!小鳥みたいに可愛らしいっておっしゃりたいの?
全くお爺さまったらそんなお年でも女の子が好きなのね?それに、いけない人だわ。実の孫を口説こうだなんて!」
口では敵わないと分かったフランシスは抵抗することを止めた。するとキュリスは男の手を引いて次々に口から言葉を零しながら歩き出す。きちんと答えなければ万の文句を零すくせに、話題は秋の空よりも変わっていく。
そんな理不尽に晒されながら、フランシスはやっぱり微笑んでいる。
「ねぇ、お爺さま。
さっきお部屋でなんて仰ってたの?"May too cut run in joe…"なんてめちゃくちゃなのかしら!」
「聞いてしまっていたか。仕方ない、お前には教えてやろう。」
フランシスは周囲を伺って誰もいないことを確認すると、そっと彼女の耳に口を寄せて囁く。
「私はね、実は別の世界の人間なんだ。あの言葉はその世界の言葉なんだよ。」
彼女の耳から口を離すと、目を輝かせたキュリスが何かを言おうとする。その前に桃色の唇にフランシスは皺だらけの指を当てて抑えた。
「これは秘密だから誰にも言っちゃいけないよ。」
キュリスはハッとした顔で口を両手で塞いだまま、周囲を何度も確認する。青色の髪が何度も振り回された後、絞り出すような小さな声で少女が言った。
「お爺さまは、神さまがいらっしゃる世界から来たの?」
フランシスは何も言わずに、小さな少女の頭を撫でる。
結局、人形に頭は乗らなかった。春を迎える前にフランシスは風邪を引き、ある朝目覚めることなくそのまま永遠に目を覚まさなかったからだ。
新しいモーディアニ伯は生前の彼の遺言の通りに、教会と帝国の規定に背いて遺骸をジュゼッペが用意した窯で焼いた。そして焼跡の灰の一部を方寸の箱に詰めると、人形の胸の中に入れた。
そのまま人形は台座に乗ったまま保存され、数百年経ってある国の美術館に寄贈される。
作者であるジュゼッペがその手記に記録したように、あるいは筆まめなモーディアニ伯フランシス二世が自伝に書いたように、その人形は組んだ手を胸に当てて首を伸ばすようにして立っている。