第三話 第一章 あれから五年 其の二
かたや、公王私室を辞したサイラスは、ドロア内務卿を探していた。今日こそは、侍従として典医として、一言申さねば、と意気込んでいた。公王の病は、精神的ダメージに誘発される傾向が強いようなのだ。公国宮廷一の舌を持つドロアに
「遠慮と配慮、言う単語を理解させなければ」と。
しかし、ドロアを発見したサイラスは、機先を制された。
「サイラス典医殿、お願いが一つ、公王陛下の病、本日はやや重症としておいて下さい。もうすぐへいかにとって、災厄が来るでしょうからね」
ドロアが失政ばかりをあげつらうのにも今日だけは訳があった「内緒の」。
楽しそうに微笑み、ドロアは走り去って行ってしまった。
サイラスもはたと気が付き、宮廷警護官達に全てを押し付けて、王宮から逃げ出した。
重症の公王を放り出して、逃げ出す内務卿や典医、公国の未来は、大丈夫だろうか、聊か心許ないかもしれない。
「ムラージ帝国特使ポンパドール憲兵総監、ご令嬢を伴い御参内されました。公王に謁見をお求めでございます」
後ろの方から、怒声とも悲鳴とも取れる警護官達の叫び声が聞こえてきた。
「只今到着した旨をご報告に参った。お取り次ぎ願う。ご病気、では、お見舞いを致さねば、皇帝陛下の特使として、大義が立たん。ご様子芳しくないのか。それ程ならば、皇帝陛下に、なおさら事の次第をしかと、この目で確認しご報告せねばならん。お目もじさせて頂く。通せ」
ムラージ帝国特使ポンパドール憲兵総監殿は、石造りの大義名分なのである。
「ムラージ帝国特使ポンパドール憲兵総監殿、僭越ながら、言上奉ります。ムラージ帝国特使殿は、和親友好の盟を結んだガラード公国の臣下の言を、お信じ頂けないのでありましょうか? それでは、某共あまりに悲しく、言葉もありません」
警護官達も「公王陛下のご病状篤し」を心の盾とし、頑張っているようだ。
「警護官殿、良くぞ申された。婦女子の言葉でありますが、父は特使の大任の栄を賜る際、皇帝陛下直々に『モノリスの名代として、くれぐれも、兄上に宜しく』と、親しく私事なる御用件を賜って参りました。それは父が弟として公王陛下を思うに同じこと、お目通り、お願い致せませんか?」
脚色された大儀、名文使い、ロイーレ特使令嬢は、甲高い、聞く者を滅入らせる超音波の美声を以て、この様に申された。
警護官達は戦術を変換した。
「ムラージ帝国特使ポンパドール憲兵総監殿に慎んで申し上げます。実は公王陛下のご病状篤く、臣達も心より案じておりました。先日までは、今朝がたから快方に向かい、この様に申されました。先にお詫び申し上げます。陛下のお言葉を忠実にお伝えいたします。故にムラージ帝国法に於いて不敬に問われる場合があると思われます。しかしガラードの臣と致しましては、陛下のお言葉を完全に再現いたします。
『そろそろ、特使殿が首都に参られる頃だ。出迎えできぬが、明後日の約束の日には、一番元気な姿でお目にかかれようぞ。さすればモノリスも安心してくれようぞ、特使殿は目端の利く、公明正大な御仁、虚偽は通用しない。本当に元気な姿以外を見せたら、少しでもモノリスが心配し悲しむことになる。明後日でよかった。それなら万全じゃ。皆にも心配かける。すまぬことだが、今日までゆっくりさせてもらう。頼むぞ』
と、申され、お休みになっておられます」
ポンパドール卿でも、引き下がらざるを得なかった。石造りの大義名分は、鉛の忠誠心に敗北した。
サイラスは心の底から
「君たちよく頑張ってくれた。陛下もをもだしに使うとは。この件に限り誰も咎めはすまい」
と警護官達を褒め称えた。さらに、ドロアに感謝した。
「お陰で私も逃げられた。配慮はご存知のようだ。しかし、方法論をお教えせねば。私こそ迂闊だった。明後日から建国祭だ。来るはなぁ。憲兵総監と令嬢よりは、まだドロア卿の毒舌の方が公王の精神衛生上好ましいかもしれない。なにせ、仰々しく騒がしいからあのお二方は。帝都ジールでは、皆で羽を伸ばしている事だろう」
一方、ポロフィックも扉外の騒ぎをよそに寝た振りを決め込み、ドロアに感謝していた。
「お陰であの二人に会わずに済んだ。余に結果として一番良い事をしてくれているのだ。
たまには、方法も選んで欲しいものだ。サイラスと同じような事を思い、そこまで望んでは贅沢かな。
だから、金が足りないって言うから、考えてるんだ。それも判ってくれているんだよ、ドロアは。口以外は、良い臣下だ。
そうだ。一思いに摂政にして、全部任せた方が国の為かなぁ。いっそ、宰相にして、国事を壟断させようか。国は栄えるだろうなぁ。少々、悔しいが。嫌がるだろうな、人の失敗に文句が言えなくなる。きっと、そう言うだろう。サイラスが泣いて怒るだろうし」
と、できもしない空想に思いをよせつつ、再び、今日の現実に立ち返った。
「そう、あれから五年経ったんだ。」
帝国歴二八二年春、四月一日、
ムラージ帝国御前会議が開催された。
ムラージ帝国有史以来、多分、最初で最後の皇帝不在の御前会議が開催されるはずだった(常識的には御前会議とは呼べない)。
しかし、若き第十一代皇帝モノリスは不名誉を潔しとせず、世界統一に向け、最後の障壁ガラリア王国に親征中であったにも拘わらず、取って返し会議に出席したのだった。戦況絶対有利動かずと確認ができた為、全ては掌に、との二十一才の若々しい覇気に満ちた清々しさがあった。
皇帝は三頭の馬を乗り潰し、二日間駆け続け、たった今陣営から戻ったばかりであったが、きちんと皇帝にしか着用を許されない深紅の礼装を身に纏い、高らかに杓杖を掲げ、会議の開催を促した。見事な振る舞いであった。居並ぶ文武の高官達や地方行政長官等も感嘆の意を露わにしていた。
モノリスには、どうしても会議を自ら出席運営したい事情があったことは、誰も知らなかった。
ポロフィックは、皇族であったことは誰も知らなかった。官位はそれほど高くない。いや、無い。広い巨大な会議室の玉座まで40mは在ろうか。なかほどよりやや遠い席から、その様子を眺め、
「そこまでしなければならないのだろうか? 体は大丈夫だろうか? 手伝える事はない? 白い石壁に深紅は映え過ぎる。的になり易い、警戒せねば」
などと、余計な心配をしていたのだった。
この時点ではまだ、この会議の席上に自分の名前が挙がり、よもや大命が与えられようとは、予想だにしていなかった。皇族としての義務を全うする為だけに、この席に臨んでいたのだから仕方が無い。
統治者や国家運営者としてポロフィックより無能な人材は多分、この席には居ない。まして、発言を彼に求める者は絶対に居ないのである。皆、判ってくれているのだ。
何時ものように、折り目正しく閉会まできちんと座っている事、それが大事と心に決めているのである。服装も今日だけは、礼装用のローブを羽織ってきたのだ。ポロフィックとて、考えているのだ。
そもそも、ムラージ帝国は、専制君主国家であり、議会も会議も必要としていない。
この帝国御前会議も、名称とは裏腹に、皇帝より本年度の運営方針伝達の場出しかないのであった。
今回の会議は当然のように、ガラリア王国征服後の措置に重点がおかれていた。今日の時点ではまだ、ガラリアは滅んでいないのに気の早い話であるが、ムラージ帝国が対外戦争を行った場合、皇帝親征は不敗のジンクスをもっている。最低でも敵の十二倍の兵力を動員して戦うのだから、負けるのも難しいのである。
ガラリア王都ソリア陥落以降の差配は、パース外務卿を特務大使として、全て執り行うことになった。彼は、今までも征服された側の民には恨まれたことが無いのである。 決して甘い男ではない。占領政策の専門家なのだ。
妥当な人選である。明後日、出立し遠征軍に合流するのだそうだ。
ポロフィックは、また、つまらぬ心配をしていた。
「世界が統一されてしまっては、彼も最後の仕事になるのだ。外務卿という職業がいらなくなってしまう。失職してしまう。家族を養っていけるだろうか?」
余計なお世話である。パース外務卿が聞いたらどんな顔をするだろうか? 彼はナイランド地方の領主でもあるのだ。金にだけは、困らない。間違いない。
帝国領内における改革として、本年度より税率を引き下げる事が決定され、臣民皆兵制の見直しを検討することが列席者への課題とされた。
ポロフィックは、喜んでいた。できそうな事が見つかったからである。宿題でもやるつもりになっていた。
「課題は、意見書でも良いのだろうか? 期限は何時までだろう。やっぱり公募が良いだろう。後は、応募資格の問題を詰めなければ」
などと、考えていた矢先、最も聞き覚えのある声で、聞き慣れない、聞いたことのない言葉を耳にした。
場内がざわついている。珍しく皇帝モノリスが復唱した。初めての事だったかもしれない。
「改めて申す。三度目はない。ガラード亜大陸に公国を建国する。属領にあらず。ガラード公国とし、ポロフィック卿を擁立する。公告建国までの準備一切、帝国と皇帝モノリスが無条件で支援する。ただし建国は、ガラリア王国征服後とする。余も一時でも世界に君臨した証が欲しい。以上」
この懸案のため、遠旅、帝都に戻ってきたのだ。