第二話 第一章 あれから五年 其の一
ガラード亜大陸は、南北に360km、東西に(最大幅)240km.、真上から見られたならば、逆二等辺三角形の様な形をした島である。亜大陸と呼ばれるには聊か、見劣りがする。
亜大陸の北部は、標高4000mに及ぶ山々が連なり、絶壁や氷河と至る所に人の歩みを妨げる要衝が存在している。温泉や風穴など、命を助ける部位を見られるが、その場所が変動してしまう。小規模な溶岩流出が頻繁にある為なのだ。西部には鬱蒼とした森林が地面を覆っている。「道を知らぬ者は入れても出る事適わず」の趣がある。
「森の木々は、磁鉄鋼を養分に成長する為、方位磁石も狂ってしまう」と誠しやかに語り継がれている。南部には、ただ単なる草原が広がっている。湿原なのかもしれない。明るく広すぎる視界が、何とはなく立ち入る事を躊躇させている。馬も草原の際で立ち止まり、その上空は、鳥も通わない。実際、何か隠されているらしいのだ。足を踏み入れた者で帰ってきた者がいないので判らない。
人族の暮らせる土地は、現在に於いては、東部海沿いの平地とウル川流域、その水源である、パラ湖沿岸程度であろう。直接統治領の全臣民を数えても2000名程度の人口を養うには充分な広大な領土なのかも知れない。
亜大陸は、ムラージ大陸(こちらは本物の大陸である)の最南端の港町ドーガより、ほぼ南西に位置している。両者の距離は直線にして90kmと、とても近い。しかし、船乗りの格言に「波さえガラードを避け、風はムラージに靡く」とあるように、亜大陸は海と共謀して、ガラードに来る事、それ自体を好んでいないようである。
早舟(三段櫂船の最大船速、左右に十八の櫂を持つ船、漕ぎ手は三交代制)でも四昼夜を要する。通常船では、一週間の行程となっている。逆は非常に容易である。
ガラードの海岸線(ほぼ陸地)から波にさらわれても、一昼夜も浮かんでいられればドーガに着くのだ(敢えて、実験はしたくないが事例は幾つか存在する)。
ガラード公国の首都パルミナは、ガラード亜大陸ほぼ中央、北部と西部と南部に分かれた独特の自然環境に隣接する、東部の最奥部に位置する。
「見栄を張ってこの地に住んでいる」
「大公は、廃品を利用しているのだ」
と、陰口を叩く者も多少は居るようだ。真意は理解されにくい。
この首都パルミナは、亜大陸内でも特に温暖で気候の変化に乏しく、降水量が少ないものの、北側に島内最大の湖「パラ湖」と東に「ウル川」と水源に恵まれ、生活するには、この上もなく便利である。北部山脈からの季節風に影響を受ける程度で、季節は、春と秋に大別されているだけである。細分すると、春、秋共に、早中晩の三節に区分される。対外的挨拶に使用する季節感などは、公務就く者が文書用に必要なだけで、種蒔きの、季節感ほど重要視されていない。誠に、暮らし易い土地である。面倒が少ないのである。
産業は農耕(気温があまり高くならないので収穫量が伸びない)と湖での漁業に生活依存度が高く、その他には、ムラージ国教会聖地メジナの辺(パラ湖畔南岸に国教会発祥の地、国教会開祖テラージャが修行の祈り、神が姿を代えて現れたパラメジナと語らい天啓を受けたとうたわれる場所)を町外れ北方約8kmに有する為、熱心な巡礼者や修行僧が少ないながらも頻繁にに訪れる。彼らの落とす外貨は、貴重な現金収入源となっている。贅沢しなければ、何とか、食べていく事は、不可能ではない。さして、何も困らないのである。
人口も六百人と少なく、非常に温和、平穏な気質の臣民が多い城塞都市(城廓も無いければ、高楼もないのだが、外堀はある水を張ってないけれど)である。
「城塞都市名乗るのもおこがましい、砦の町と言うべき規模である」
ドロア内務卿の舌は、何時も滑らかである。
少ないながらも 、官僚や軍駅関係者がいる為、経済的産業的発展は現状では期待できない。してもいない。
公国の経済的基盤は街として、よほど繁栄している。ウル川河口付近の港町ディンギに重点が置かれようとしている。
ポロフィック大公は、机の上に広げた地図を見ながら呟いた。
「あれから五年、いったい何が出来たのだろう」
「幸い事件らしい事件もない」
「他族とも諍いもない。条約も盟約もきちんと守られている」
「無事これ最大の幸福と申せば、それで、終わるのだが、良いのだろうか。もっと、何かできることがあるはずだ。何かしなくてはならない。統治者として、すべき事は必ずどこかにあるはずだ」
「余は、去年の今日も、一昨年も同じ事を申さなかったか? ドロア内務卿」
「一昨々年も同様に申されました。陛下。そして一昨々年は、必要のない物にお金は掛けられぬと親衛隊を半数に縮小され、余剰人員を以て、臣民の安全を図るためと、元親衛隊員雇用確保のため、公国巡視隊を新設されました。ウル川沿いに衛所を設け治安政策を強化されました。今日現在までの巡視隊活動実績は、巡礼者と身分を偽って、入国した、摺り師を二名検挙し、帝国に強制送還しております。陛下は、帝国から、感謝状と謝礼を送られましたが、当然のことを行っただけと、謝礼はお返しになったはずです。臣としましては、巡視隊の遠隔地手当ては、いまだに理解しかねる支出と考えております。
一昨年は、全臣民に対し一般租税を完全撤廃されました。伯国、自治領、自由人同盟、と公国直接統治下の臣民に区別があってはならんと申されました。国庫は、瀕死の重病人のようになっております。
去年は、公国外商部を設立され、交易を始められました。「パラの水を販売する。」発想は非常に宜しかったのですが、臣の助言(専売の確確立)をお聞き入れ頂けなかった為、日を追わずして、皆に模倣され、帝国内での市場は、値引き合戦の様相を呈しています。
公国印は、人件費が高く、市場獲得合戦は敗色濃厚であります。臣としては、打開策も進言させて頂いたと思っております。陛下には、お金の話は難しすぎる様でございます。
最悪の場合でも、「公王府」有り体に言わせて戴きますと、公王陛下個人の「おこずかい」が非常に潤沢にあるので、一時拝借いたせば、如何様にもでも取り計らえます。
さて今年は、何をなさいますか? 巨大温室でも建築いたしましょうか?」
ドロア内務卿は、滞りなく、爽やかなる弁舌を以て、公王陛下の問いかけに答えたのだった。そして、侍従官サイラスに、「いつもの用意を、」と密かに目配せを送った。
「あれは使ってはならない。それに、資金が無い、金が無いと、何時も寝言のように申しているのは、ドロア、貴様…………。」
ポロフィック大公は、これ以上言葉を繋ぐ事ができなかった。彼の持病が発病してしまった。彼は、病に冒されていた。
「突発性失語症」地上世界において、ただ一人の患者なのだ。原因も精神的問題か、肉体的問題なのか、研究対象が一人しか居ない為、データが不足している。いまだ、治療法は究明されていない。
極めて最近、対処法のひとつが辛うじて判明した。「内務卿を黙らせろ。」
彼は、はや十五年の長きに渡り病と戦っている。二、三時間程度の休息で回復する事、命と行動には全く支障がない事。とだけは判明しているので、最近は騒ぐ者も少なくなってきたが、目の当たりにすると、あまり気分の良いものではない。
金魚のように、口をパクパクさせ、「あぁ。」とか、「うぁ。」としか、言えなくなってしまう。日に何度も発病するときもあり、二、三日何事もなく過ごす日々もあるのだ。
発病するとポロフィックも、無駄な努力をせず、俯いてしまう事が多くなってきている。傍目から観れば、考え事をしているように観えるよう芝居をしているつもりなのだ。
元来、ポロフィックは、非常に英明な君主の資質を持っていたのである。
「この病さえなければ、」と、彼を惜しむ者も多かった。もし、彼が望めば、彼等は、今の彼の境遇を打開して見せてくれただろう。ただ、ポロフィックの為に。
それとは別に、「それでも、まあまあ立派な公王だ良くやっている。ムラージ皇帝モノリスと比較すれば見劣りするが、それは、比較する方が悪いのだ。」誰の言かは知れよう。最大級の賛辞らしい。
そしてその実、ポロフィックの政策の失敗例はこの三件しかないのである。
サイラスに付き添われ、私室に引き上げたポロフィックは、窓辺に佇み、薬湯の用意をさせ飲み干した。効かないと判っていても、律儀に飲むのだ。そうしないと、役儀の者が困る。ポロフィックは、そうかんがえられる。立派な統治者のなせる業だ。
何時も発病後の手順は決まっている。言葉は要らない。正確には使えないのだ。サイラスも心得たもので、一呼吸おいて部屋を辞して行った。別に、身体に異常があるわけではないので、一人の方が気楽なのだ。喋ろうとしなくて済む。暫く、休んでいれば良いのだ。
公王私室と言っても5m四方の小部屋である。質素なもので調度品の類いは一切ない。机にベットにテーブルにソファー、後は大き目の書棚が一つ。宿屋の部屋と変わらない。
後宮への抜け道などあるはずもなく、本来(王と名の付く者ならば)必要な脱出用の隠し扉さえない(襲われる心配も、襲われても心配ない。)
それに、王宮自体もガラード亜大陸が、ムラージ帝国の属領だった時代の領事館を改装(掃除)したものである。その時代もガラード亜大陸は、それ程重要視されていなかった。税収がほとんど、上がらなかったためと「属して属さぬ風土」であったからである。だから領事館と言っても、たかがしれている。
その領事館を代用しているに過ぎない王宮は、三階建て、一階左手には、護衛官詰め所と厨房に浴室、右手に閣僚執務室、二階には、左手に謁見の間と、右手に大会議室。これでも30m四方の大きさしかない。
三階には、右手奥から公王私室、何も入っていない宝物庫、親衛隊詰め所、左手に図書室に、侍従官控の間。地下には、ほとんど、使われない牢屋、練兵所。玄関正面に向かい左手別棟に、馬屋と武器庫にサイラス医療研究室、資料室兼ポロフィック私有財産置き場となっている。
L字型の建屋の内側は、芝を張った広場になっている。広場は一番重要な公的行事開催施設、芝の手入れは、ダーヤ翁の手に委ねられ、行き届いている。芝は何処にも負けない。
最近のディンギの宿屋より小さいくらいの王宮である。ポロフィックは、何事にも、華美を嫌っていた。彼にはちょうど良かった。
ポロフィックがムラージ帝国皇子時代のことである。朝一番に畑を耕し、温室を見回り、午前中一杯、近衛兵と剣技を磨く、「袈裟懸け」と呼ばれる技一辺倒だけ徹底的に修行していたのが幸いしてか、型にはまった時、「無敵」の強さを持つことになった。午後からは、学問と書物とを愛する地味な皇子となった。愛読書は「植物の栽培とその条件」「エルフの自然観察日記」「ドワーフの生活」「ホビットその在り方」「ノームとして」等、他種族に関する興味と造詣が深かった。
特筆すべき点は、真冬に温室で夏の農作物を栽培する実験を行ったことだろう。五本で四万ベール。生産コストの掛かったキュウリの栽培に成功している。ポロフィック以外に成功と認めた者は居なかったが、観賞用植物以外の実用的植物を多大な経費を掛け栽培した点に、何か片鱗を窺わせると、過大評価されたものである。ケチでない証明だったのかもしれない。
ちなみに、一般兵士の賃金は、月給制で五百ベールである。
地味ではあるが、着眼点と勘所の良さには定評があったが、なかなか、金銭的価値観が身につかなかったようだ。
実際、ポロフィックは、貧乏性でもなく、ケチでもないのだ。「必要最低限の条件でも、何でもやらなければならない。贅沢不要」と信念を貫いている様子が強かった。
得意な例としては、帝国武術大会にも、常からの平服に愛用していた薄手の皮繋に長剣一振りを携え、鎧も兜も小手も盾も一切身に付けない。其のままの出で立ちで出場し、あっさりと、優勝してしまった。
試合相手の武官達は、「何かある。」ろ疑うか、「万が一、皇子の身に何か起こしてしまったらと、怯えた。」と、口を揃えて申し立てた。
後日談によれば「動きが馴染まぬし、奇を衒った訳ではない。だが、負ける気もしなかった。武官達には悪い事をした。」と、静かに語った。
そして優勝商品を金に替え、出場者全員に配ってしまった。
ともかく、バカ正直で、地味で、頑迷、他者への誠実さが篤すぎるという。人として偉大で、皇族としての華が無く、若くない分別くさい若者だったのだ。
それでいて、他人に蔑ろにはされない。人徳なのさろうか、皇族だったからかもしれない。この答えはポロフィックだけには今でも判らない。嘆かわしいことなのだ。
「ポロフィック、お前は「騎士道」の偉大な遵法者にしかなれない。これはこれですごいことなのだが、我が子でなければ残念だ。雑念が無さ過ぎる。」
彼の父、第十代皇帝パラス二世が生前最後にポロフィック掛けた言葉は、彼の運命を決定付けた。本人も若干の例外を除く世間も納得できる内容だった。そして案の定、ポロフィックは、皇帝になれなかった。
「公国史一、二巻に描かれているポロフィック大公の置かれている「現状と人となり」を、大まかに要約するとこんなものでしょうか。去年までに、学んだ事を良く加味して下さい。取捨選択は皆さんの自由です。」
ローデック教授は、この様に告げ、さらに続けた。
「これから三巻の主体に入ります。」
やはり、奇妙な空気の中、頭の中に直接響くような声だった。僕の記憶の中では、今でもそう思えるのだ。