第六章 幼馴染
僕がトイレの中でがっくりと肩を落としている間に、
居間では、母さんとエツ叔母さんとシズクの三人が盛り上がっている。
「あらぁ~シズクちゃん、素敵じゃないのぉ。」
「えへへ・・。」
「良く似合ってるでしょう?シズクちゃん、私の若い頃の服がピッタリなのよ。」
「姉さんは若い頃の服、もう入らないのぉ?」
「失礼ね。ちゃんと入るわよ。デザインが若いだけ。」
「シズクちゃん、これであいつもちゃんと見てくれるわよぉ~。」
「わ!わ!大声で言わないで!」
「うふふふふ。」
どうやらシズクが、母さんの昔の服を着ているらしい。
「ところで姉さん、わたしも何着か試してみていいかしらぁ?」
「あら、エッちゃんも試着してみる?
シズクちゃん、ちょっと待っていてもらえるかしら?」
「は、はい。じゃあお茶、頂いてますね。」
「ふふっ、うまくやんなさいよぉ。」
「じゃあエッちゃん、物置部屋に行きましょうか。」
今度はエツ叔母さんが試着するらしい。
母さんとエツ叔母さんは、一階の奥にある物置部屋に行ってしまったようだ。
また家の中が静かになった。
人の気配がするのは、居間にいるシズクだろう。
静かになった家のトイレの中で、僕はエツ叔母さんの態度が変わった理由を考えていた。
エツ叔母さんにH本の回収を頼んだが、よく分からない理由で不完全なまま終わってしまった。
何が悪かったのか分からない。
僕は、H本が存在するメリットをちゃんと説明したつもりだ。
エツ叔母さんも、僕の話に納得して、自分から協力してくれたはずだ。
エツ叔母さんの機嫌を損ねてしまったのだろうか。
何でも僕の望みを聞いてくれると言われて、H本みたいな想像をしてしまったのがバレてたのだろうか。
僕がトイレの中で頭を抱えていると、誰かがこちらに近付いてくる気配がした。
海風 雫
お隣さんの家の娘で、僕の幼馴染。
家族ぐるみの付き合いで、物心ついた頃には一緒だった。
勉強も運動もそつなくこなし、学校では誰からも頼られる。
性格はとても愛くるしく、僕にとっては年の近い妹のような存在。
人の気配が、僕の入っているトイレの前で止まった。
「タカちゃん・・?いるんだよね?」
この声はシズクだ。
「ああ、いるよ。何?」
僕は頭を抱えたまま、シズクに応対した。
「タカちゃん、私ね、今、タカちゃんのお母さんのドレス着てるんだよ。」
「ああ、そう。」
「もしよかったら、タカちゃんに見てもらいたいんだけど・・。」
「今は無理だよ。トイレから出られないんだ。事情は母さんから聞いてるだろう?」
「H本・・・取り上げられたんだよね。」
やっぱり母さん、シズクにも話したのか。赤っ恥だ。
「ああ、そうだよ!H本が母さんに見つかっちゃったんだよ!」
「ごめんね、タカちゃん。でも私、気にしてないから。」
しまった、気心知れた相手だから、つい当たってしまった。
僕に怒鳴られたシズクは、とぼとぼと居間に戻ろうとしている。
「ごめん、シズク。お前に当たる事じゃなかった。」
「いいよ。私こそ、余計な事を聞いてごめんね。」
それだけ言って、シズクは居間に戻ろうとしている。
そういえば、エツ叔母さんは何を言ってたんだっけ。
シズクに頼んでみろ・・・だったか。
確かに幼馴染のシズクなら、僕の相談を聞いてくれるかもしれない。
しかし、シズクには相談しにくい事情がある。
最近、シズクとは少しだけ疎遠になっているのだ。
シズクに、H本の回収なんて頼んで良いのだろうか。
僕のせいでシズクに迷惑はかけたくない。
相談して断られるのも嫌だ。
だけど今の僕は、H本の回収にも、母さんの説得にも、両方で行き詰まっている。
幼馴染のシズクは、きっと良い相談相手になってくれるだろう。でも。
僕はシズクに相談するべきか迷った。
もう一度、エツ叔母さんにシズクに相談しろと言われた時の事を思い出した。
エツ叔母さんはきっと何か理由があって、シズクに相談しろと言ったんだろう。
だったらここは、エツ叔母さんの言う事に従っておく方がいいかもしれない。
「待ってくれシズク。相談に乗ってもらいたいんだ。」
僕が呼び止めると、シズクは立ち止まった。
そして・・。
「うん、話してみて?」
僕の話を聞いてくれるようだった。
母さんに取り上げられたH本の回収はあと少し。
しかし、母さんにH本を探さないでもらうよう説得する材料は多くない。
ここはエツ叔母さんに従って、幼馴染のシズクに相談してみよう。
「ボクのH本が母さんに見つかったのは、シズクは知ってるんだよな?」
「うん。」
「僕は、取り上げられたH本を取り戻したい。
そして、母さんがもう僕の部屋のH本を探さないようにして欲しいんだ。」
トイレのドアの向こうのシズクは、僕の説明を黙って聞いてくれている。
「それで、もしシズクが良いって言ってくれたらなんだけど、
僕のH本を取り戻すのに、協力して欲しいんだ。」
「協力って、何をすればいいの?」
「取り上げられたH本は、僕の部屋のテーブルに置いてある。
それを他の本と入れ替えて、取ってきてもらいたいんだ。」
僕の話を聞いて、シズクは考え込んでいる。
「やっぱり、難しいか?」
「それって、タカちゃんのお母さんを騙すことになるんだよね?」
「多かれ少なかれ、騙すことにはなると思う。
でも、これは母さんの責任を軽くするためのものでもあるんだ。」
「お母さんの責任?」
「そう。母さんが僕のH本を見逃したら、母さんの責任になるかもしれない。
でも、取り上げた本を入れ替えてあれば、見逃しても責任は軽くなるかもしれない。」
「う~ん。」
この説明でも、シズクは考え込んだままだ。
無理もない。シズクは母さんの茶飲み友達でもあるんだ。
「タカちゃんの頼みだし、お母さんに内緒って事なら引き受けても良いんだけど・・。」
「もちろん内緒にしておく。」
「私はタカちゃんの事、家族みたいなものだと思ってるし、
家族としては、丸く収まるなら協力したい。」
「僕もシズクの事は、家族みたいなものだと思ってるよ。」
これは嘘じゃない。子供の頃からいつも一緒だし、大人になっても変わらない。
「でも、でも私、学校で委員長なんだよ?」
やはり、そういう話になったか。
僕は、シズクに相談しにくくなった理由を思い出していた。
シズクは学校で委員長をしている。
学生の自治組織の、一応トップということになっている。
シズク自身は委員長をやる感じではないのだが、
委員長を決める会議の多数決ということで、シズクが委員長に選ばれてしまった。
仕方なく一年間だけという条件で、自治組織の委員長を引き受けたのだった。
今は秋だから、シズクが委員長をやるのは後半年ほど。
もし今シズクが不祥事のような事を起こせば、委員長は解任されるかもしれない。
シズクは委員長を解任されても気にしないかもしれないが、
自分を委員長に選んだ人たちに迷惑はかけたくないだろう。
だから、僕の幼馴染としてのシズクは助けてくれても、
委員長としてのシズクは、僕を助けてくれないかもしれない。
シズクが委員長になってから僕は、シズクとの距離が少しだけ遠くなったと感じていた。
それまでは、シズクに会おうと思えばすぐに会えたし、
どんなことでも相談することが出来た。
でも、シズクが委員長になってから、それが出来なくなってしまった。
僕がシズクに会おうとしても、委員長の仕事で会えない時が出来た。
僕がシズクに何かを相談しようとしても、委員長相手だと言えない事もある。
もちろん、シズクから僕を見た時もそうだっただろう。
僕は自治組織のメンバーではない。
片やシズクは、自治組織のトップだ。
ふたりの立場のほんの少しの違いが、ふたりの距離を隔ててしまった。
それが、エツ叔母さんに言われるまで、シズクに相談出来なかった理由でもあった。
取り上げられたH本の回収を、幼馴染のシズクに頼もうとした僕。
しかし幼馴染のシズクは、学校では委員長をやっている。
幼馴染としてのシズクは相談を聞いてくれても、
委員長としてのシズクは、僕の頼みを聞いてくれない。
幼馴染で同じ学生なのに、立場のちょっとした違いで、こんなに離れてしまうなんて。
でも僕はこれを機に、離れてしまったシズクとの距離を取り戻したい。
委員長のシズクは、どうして僕の相談を聞けないのだろう。
「シズク、どうして委員長になると、僕の相談を聞けないんだ?シズクはシズクだろう?」
僕の質問に、シズクはちょっと辛そうに答える。
「だって、タカちゃんが取り上げられたのはH本なんでしょう?
委員長がH本に関わるなんて、出来ないよ。」
「それは、僕が取り返したいのがH本だから?それとも、シズクが委員長だから?」
「どっちもよ。」
「もしも取り返したいのがH本じゃなかったら?」
「タカちゃんのお母さんを騙す事になるのは変わりがない。」
「もしもシズクが委員長じゃなかったら?」
「タカちゃんのお母さんを騙す事になるのは・・・。」
「ほら、どっちでも同じ理由になるだろう?
だから、問題なのは、取り返したいのがH本だからじゃない。
シズクが委員長だから行動が制限される、それが問題なんだ。」
H本じゃなければ母さんに取り上げられる事もないので、
シズクが委員長なのが必ずしも問題ではないのだが、僕はシズクとの距離を埋めたかった。
かしこいシズクもそのことには気がついているかもしれないが、
シズクはそれには触れずに、僕の話に乗ってくれた。
「そうだとしても、私にはどうしようもないよ。
私が委員長なのは、変えようがないんだから。」
「頼み事をする僕が言う事じゃないけど、委員長なんてもう辞めたらいいじゃないか。
どうせシズクは押し付けられただけなんだろう?」
「そうだとしても、引き受けたのは私だし、選んだ人に迷惑かけたくないよ・・・。」
「シズクが委員長に決まったのは、多数決だと言っていたよな?」
「うん、そうだよ。委員長を決める会議は、多数決で決めることになってる。」
「シズクに投票した人は、委員長を決める会議の出席者の一部だけなんだろう?
委員長を決める会議なんて、その出席者は自治会の中の一握りの人間だけだ。
自治会の全メンバーを含めれば、シズクに投票した人はさらに一部の人間だ。
学校の全員を含めれば、もっと少数になる。多数決なんて、全然多数じゃないよ。」
「まあ、そうだけど・・・。」
「内緒にしておくから。」
「・・・うん。」
シズクは委員長である事に、そんなに大きな責任感は感じてなかったらしい。
このくらいの話をしただけで、僕とシズクの意見が一致するなら、、
エツ叔母さんの言う通り、もっと早く相談しておくんだった。
「協力してもいいけど、私のお願いも聞いてくれる・・・?」
「ああ、僕に出来る事だったら良いよ。今はトイレの中だけど。」
「私の事・・・もっとちゃんと見て。」
「どういう事だい?」
「前みたいに、もっと一緒にいよう?っていうこと。」
「う、うん。いいけど。」
シズクが委員長になる前は、もっと一緒にいる機会が多かった。
その時に戻ろうって意味なんだろう。
僕もシズクとは、シズクが委員長になる前の関係に戻りたかった。
だから、シズクも同じことを思ってくれていたなら丁度いい。
その時の僕はそう思っていた。
エツ叔母さんの勧めで、幼馴染のシズクに相談をした。
その甲斐あって、疎遠になっていたシズクとの仲も戻せそうだ。
それはそれとして、シズクにH本を取ってきて貰おう。
「シズク、僕の部屋にあるH本を取ってきて貰えるか?」
「わかった、いいよ。」
「母さんがH本を見逃したって事にしたくないから、
出来れば他の本と入れ替えておきたいんだ。大体の本はもう入れ替えてある。」
「いいよ、入れ替えてきてあげる。」
「それが、入れ替えるための本がないんだ。」
「持ってくればいいH本って、どのくらいの大きさ?」
「大きめの漫画本くらいのサイズかな。」
「それじゃあ、私の鞄に入ってる本と入れ替えるね。」
「その本はもう返せないかもしれないけど、良いのか?」
「いいよ、タカちゃんのためだもの。どんな本でもいいの?」
「漫画本に見えるなら何でもいいよ。出来れば何冊か多目に置いてきて欲しい。」
そうすれば、エツ叔母さんがH本を入れ替えるための本を用意出来なかった分も補える。
多少冊数が違っても、全体の数がそこそこ多いので、それで誤魔化せるだろう。
「大丈夫だよ。それじゃ、表紙に絵が描いてある本を選んでおくね。」
「うん、頼むよ。」
話が終わるとシズクは、居間に戻って行った。
さっき言っていた鞄を取りに行ったのだろう。
「それじゃ、行ってくるね。」
「ああ。」
シズクは階段を上がって、二階の部屋に入っていった。
シズクの説得は思ってたより早く済んで良かった。
何はともあれ、話をしてみるのって大事なんだな。
立場の違いがある相手でも、話し合う事でその違いも解消出来そうだ。
間もなく、二階からシズクが降りてきた。
「H本を入れ替えて持ってきたよ。どこから渡したらいいの?」
「えっと、庭に出てトイレの裏に回ってくれるか?窓から受け取るから。」
「うん。ちょっと待ってて。」
シズクは子供の頃から何度も家に来ているので、
勝手知ったる我が家という感じで、すぐにトイレの裏までやってきた。
「はい、どうぞ。」
トイレの窓からシズクがH本を手渡してくる。
その時、トイレの窓の外に、シズクの姿が映った。
シズクは真っ白なドレスに身を包んでいた。
その姿は、まるでお嫁さんのようだった。
「・・・。」
「タカちゃん・・・?」
「・・・あ、ああ。ありがとう。」
思わず、シズクのドレス姿に見とれてしまった。
「それで足りてる?」
「ちょっと待って、調べてみる。」
僕は、シズクが取ってきてくれた本と、
オサムとソウが撮った写真を見比べてみた。
確かに、写真に映ってる本は全部ある。
オサム、ソウ、カオリ姉ちゃん、妹のメグミ、エツ叔母さん、幼馴染のシズク。
たくさんの人の協力を得て、僕はとうとう、
取り上げられたH本を全て取り戻すことに成功した。
委員長になって疎遠になっていた幼馴染のシズク。
エツ叔母さんの勧めで話をして、その溝を埋めることが出来た。
そして、シズクの協力で、母さんに取り上げられたH本を全て回収する事が出来た。
しかし、この感覚は何だろう。
H本を取り戻せた喜びよりも、違う感情の方が大きい。
すぐそこにいるシズクと、もっと話がしたい。
「H本が揃ったみたいでよかった。じゃあ、私は戻るね。」
「あ、あのさ!まだ相談があるんだけど。」
「何?」
「か、母さんを説得したいんだけど、何か良いアイデア無いかな?」
声が裏返ってしまった。
元々、母さんを説得する方法を、シズクに相談するつもりだったのだけど、
今は話の内容はどうでも良かった。ただシズクと話がしたい。
「説得って、タカちゃんのお母さんに、部屋を触らないようにして貰うことだったよね?」
「そうそう。」
「でもタカちゃんの部屋、お母さんに掃除してもらった方が良いんじゃない?」
「部屋を触ってもいいけど、H本を探してほしくないんだ。」
シズクは白いドレス姿で、顎に指を添えて考えている。
「それだったら・・・まず、部屋の掃除はタカちゃんがやる方がいいね。
そうすれば、タカちゃんのお母さんが掃除する必要はなくなるし。」
「ああ、それから?」
「勉強はちゃんとする。」
「するする。してる。」
「タカちゃん、勉強してたかなぁ。それと、夜更かしはしない。」
「これからは夜は早く寝るようにするよ。」
「朝はちゃんと起きる。」
「これからは朝寝坊しない・・・ようにする。」
「好き嫌いはしない。」
「これからはピーマンもセロリも食べる。・・・って母さんか!」
「あははははは。」「ははははは。」
僕とシズクは、他愛もない冗談で笑い合った。
シズクは、白いドレス姿でくるくると器用に回って、僕を指差した。
「つまり、いい子にしてるって事。
そうすれば、タカちゃんのお母さんも、タカちゃんを認めてくれるよ。」
いい子、か。母さんに内緒でH本を持ってる僕は、いい子なんだろうか。
すると、一階の奥の物置部屋から、人の声が聞こえ始めた。
母さんとエツ叔母さんが戻ってきそうだ。
「それじゃ私、戻るね。」
「ああ、ありがとう。楽しかったよ。」
「助かった、でしょ?」
「そうとも言う。」
「タカちゃん、あんまり無理しないでね。」
「シズクもだよ。」
「ありがと。それじゃ。」
シズクは僕に手を振って、家の中に戻っていった。




