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イヴェディア  作者: Rais
第一章 昔日 ~少年時代~
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虚しき強さ

「道を誤ったな」


 カールは剣を振り払い、付着していた血液を目前に散らした。それらは他の衛兵や、ゲオルグに対しても降りかかり、彼らの頬や服を染め上げた。カールは相手を挑発していた。


 怒り心頭に発した衛兵の一人が雄たけびを上げ、力任せに袈裟斬りを仕掛けた。カールはそれを難なくを打ち払い、流水のような剣筋がするすると肉体を撫でていった。


「私にも罪がある。お前達が復讐心を抱くのも当然だし、私がその是非を問うのは愚かなことだろう」


 カールの前に立ちはだかる者はいなくなった。ようやくカールの並々ならぬ強さを理解した衛兵たちはゲオルグを囲い、守護するような隊形をとったが、ゲオルグは衛兵を制するように手をかざし、中から割って出てきた。


 ゲオルグは短剣を捨て、傍らに居た衛兵から、細身で背の高いレイピアを一振り。さらに柄の部分が鋭く尖り、手元を覆い隠すハンドガードの付いた短剣マンゴーシュをもう一振り、受け取った。


 彼はレイピアを左手に、短剣を右手に持ち、構えた。どうやら左利きらしい。


 カールの頬には、一筋の汗が流れていた。


「道を誤った、と言ったな。元東部方面軍総司令官カール・ロイエ」


 ゲオルグはくぐもった声を発すると、レイピアの切っ先をカールに掲げて見せた。


「焦土と化したレッキルドの地。死んでしまった大勢の子供達。あいつらの……彼らの犠牲を良しとしたお前が、よくもそんな――」


 弾かれた弓の弦のように、ゲオルグは駆けだした。感情が、憎悪が、力となって彼の剣を奔らせる。


「私は許しを乞うつもりはない。罪とは死してなお、消え去ることのない呪いのようなものだ」


 憎悪の剣は諦観の剣に迎えられた。火花が辺りに舞い、二振りの鋼が軋みを上げる。


「なら、裁定は俺が下すとしよう」


 ゲオルグの得物が二撃、カールをめがけて放たれた。一つは防がれ空を切り、もう一つはカールの剣を弾き飛ばす。


 ――そうして、空っぽになったカールの懐に、無慈悲な短剣の一撃がもたらされるのだった。


 鮮血が舞い。噴出した血液がぽたぽたと地面に流れていく。腹を貫かれたのだ。激しい痛みによって薄れゆく意識の中で、カールは息子の叫び声を、耳に焼き付けた。


「お前には、私を殺す権利がある」


 朦朧とした意識。だがカールは、自分でも理解できなかったのだが、武器を地面に捨て、自らを貫くゲオルグの手を、優しく握った。


「だが全ての人々にまで私の罪を課すことは許さない。それに血を流すことばかりが、世界を変える為の手段なのだろうか」


 その時、遠くから甲高い鐘の音が響いてきた。街の人々が何度も聴いた、教会の鐘だった。鐘は、新しい世界の誕生を祝しているのか、それとも滅びの道を辿り行く世界に警鐘を鳴らしているのか。どちらにせよ、鐘の音が届いたとき、ゲオルグが無機質で不気味な笑みを浮かべたのは間違いなかった。


「……これはお前達のためだけに鳴らされた鐘ではない。この鐘は万人の、遍く全ての人々の為に鳴らされた鐘なのだ」


 カールは手にぐっと力を込めた。武器を捨てた手が、ゲオルグの手を制するように握られる。カールは命乞いをしているわけではない。ただ諭すように、説き伏せるように、瞳を見つめ、じっと鐘の音を聞いているだけだった。


「アラクは上手くやってくれたようだ。お前達人間には、同族で殺し合い滅ぶのが相応しい末路だろう」


 ゲオルグは短剣をカールから引き抜いた。カールは力なく倒れ、弱々しいうめき声が漏れたが、虚しく鳴り響く鐘の音にかき消されてしまった。


 だが、消えゆく意識の中で、彼は告げる。残された全ての力を振り絞った、魂の断末魔。


「フェリオット! 我が息子よ、よく聞いて欲しい。セレアはお前だけが頼りだ。 あの娘はお前にしか守れない」


「父さん!」


 もう、何度呼び続けただろうか。羨望と憧憬を宿した呼び声。それはもう届くことはない。カールは死んだのだ。


 フェリオットは呆然と立ち尽くすばかりだった。悲しみや怒り。内側に宿ったあらゆる感情が、過っては潰え。滾っては穏やかになった。


 ――そうして、もつれた縄のように解けていた意識がようやく紡がれると、目の前には父を殺したあの男が、ゲオルグが立っていた。


「!――」


 瞬間、フェリオットのこころには、憎悪とも怒りとも形容するには易しい、真っ黒で醜い感情が溢れ出てきた。武器さえあれば今にも斬りかからんと、フェリオットは瞳に強い意志を宿らせ、じっとゲオルグに相対する。すると、彼の願望が叶った――いや、叶ってしまった。フェリオットの目前には一振りの長剣が投げ出されていたのだ。


 剣の稽古の度に何度も見た、真紅の柄。すらりとした姿で、凹凸は少なく、これが何十年も父と生死を共にしていたとは想像だに出来ない業物。そんな父の剣を、ゲオルグはフェリオットの目の前に投げつけたのだ。


 フェリオットは目を見開き、何度も父の剣と、ゲオルグの表情とを交互に目配せした。


 勝てる見込みはない。だが皆無というわけではない。ゲオルグは機会を与えているのだ。復讐を成し遂げる機会。憎悪と怒りに支配されていたフェリオットは、半ば糸を引かれた人形のように、柄を握った。


 途端、鉄が金槌に打たれたかのような、甲高い金属音が響いた。かと思えば、稲妻が天から降り注ぐ時に感じる、恐ろしい胸中のざわめきが、より強い、痛みを伴うしびれとなって、フェリオットに襲い掛かった。


『うそだろ……』


 フェリオットは、こころの中で毒づく他なかった。父の剣を握った瞬間、ゲオルグは容赦なく斬りかかってきたのだ。反射的に剣を構えたが、不十分な防御である。ゲオルグの刀身は肉薄し、切っ先がフェリオットの手首を掠め、鮮やかな血液がぽたぽたと地面を染めていった。耐え難い痛みに襲われ、フェリオットは思わず剣を落としてしまった。


 ゲオルグは、追い打ちをかけることはしなかった。ただ彼は、つまらなそうに目を細め、冷ややかな視線を少年に向けている。


 これ以上に無い理不尽。力量の差。不公平。一体どこに、機会が与えられているというのだろう?


『それでも……』


 フェリオットは諦めなかった。諦められなかった。父が死に、この男がのうのうと生きている事が許せなかった。目前に武器があるのなら、戦い続ける。それこそが自分の使命だと、フェリオットは信じて疑わなかった。


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