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イヴェディア  作者: Rais
第一章 昔日 ~少年時代~
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幕開

「それで質問なんだけど、お兄ちゃん。私がここに居る意味を、説明してほしいな」


 大勢の人々が、白日の下にさらされていた。


 フェリオットはエリスと別れて後、妹のセレア、そして父も引き連れ、教会の南に位置する大広場を訪れていた。広場の中央には、石造の舞台が置かれていて、大人達が忙しそうに、しかし粛々と、処刑の準備を進めていた。


「いいや。やっぱり質問じゃなくて、端的に私の今の所感を述べるよ」


 彼らは教会関係者で、中には老神父とエリスの姿もあった。彼女は珍しく大人びた黒色の修道服を着込んでいて、フェリオットは思わず見つめてしまった。


「眠い。だるい。帰りたい。もう、これ以上にないくらいね」


 すると、父親のカールが広場の端に出ていた露店から、牛肉の刺さった串焼きを二本持ってきた。処刑を見世物にした商売を、カールは疎んだが、フェリオットに押し負けてしまったらしい。肉を見るやフェリオットは笑顔で飛び上がり、嬉しそうに頬張ったが、セレアはそっぽを向いたままだった。そうしているうちに、フェリオットは二本目を父の手から奪い取ってしまった。


「後悔はないんだな?」


 父の、言葉だった。彼は眉をひそめ、フェリオットの瞳を見つめている。串焼きの事を責め立てているわけではない。カールは、突然魔族の処刑を見に行きたいと言い出した息子の決意を、真誠に、誠実に見定めようとしていた。


 カールは昔兵役に就いていた。これから行われようとしている物事には、慣れているだろう。だからこそ、慣れているからこそ、父は問いた。


「うん、大丈夫」


 フェリオットは、肉を頬張りながら、笑顔で言った。


「火刑は見るもんじゃない。お前も焼けた人間の匂いなんて、嗅ぎたくはないだろう?」


「人間じゃなくて、魔族でしょ。見た目は同じようなもんだけど」


「まぁ、いい。セレアは父さんの近くにいなさい。たぶん、大騒ぎになるだろうから、お前には危険だ」


 カールはこれ以上詰め寄ることはしなかった。それは、フェリオットの純粋な言葉に応えるためなのか、幾たびの戦いを経て感情が麻痺してしまっているのか、カール自身分からなくなっていた。


「父さん? ……やめてよ、そんな目。“あの人”みたいだ」


 息子の言葉に、カールは我に返った。フェリオットに視線を置いたまま、ぼうっとしていたらしい。かぶりを振り、もう一度、息子の赤い瞳を見つめる。言葉を交わさずとも、フェリオットが抱いていた不安は払拭された。


 すると、無数の虫のようにひしめき合っていた人の群れから、虫の羽音のようなおぞましさに似た、耳障りな声が上がった。舞台で動きがあったのだ。


 男が一人、衛兵に連れられてきた。両手を縄で縛られており、姿はみすぼらしく、表情は暗く沈んでいる。人々は皆、この一見凡庸な人物に対して、並々ならぬ激情を発露させていた。


 フェリオットは息を飲んだ。それは、よく見知った地元の人々が、何の憚りもなくひたすらに憎悪へ身をなげうっていることを恐怖したからではない。舞台の上に現れた男は、昨日フェリオットに掴みかかってきた、ゲオルグという青年だったからだ。


 心臓に、血液がどっと流れ込む。昨日の理不尽が脳裏にまざまざと映し出され、その時覚えた恐怖や不安がフェリオットの全てを埋め尽くしていった。再燃した恐れは意思を弱らせ、力を奪っていく。なぜあの男がそこに居るのか。彼が魔族である事は、状況や昨日の言動から推察できる。だがあれほどまでに強い意志と力を宿していた男が、昨日の今日で、こうもやすやすと捕らわれ、座して死を待つことなどありえるのだろうか。


 フェリオットは震えた。ついにはこの場から逃げ出したくなり、足を動かしかけたが、大きな手が彼の肩を掴み、止めた。


 父の、カールの手だった。顔を上げ、父の表情を見る。だが、視線が交わることはない。


 カールは舞台の上を、ひたすらに見つめていた。彼の瞳には鉄のような頑なな意志が表れていて、フェリオットは息をするのもはばかれた。父が舞台の上に何を見出していたのかは分からない。しかし父親としての力強さをたたえた横顔に、フェリオットは不思議と勇気をもらった気がした。


 処刑は演説もなく、観衆の熱気に反して静かに、厳かな様子で進んでいった。ゲオルグはそのまま舞台の中心へ連れられ、大衆の面前に跪かされている。


 人々を見下ろしながら、一身に憎悪と怒りを被る感覚は、どんなものなのだろう。魔族であるという理由で死を手向けられることになったとき、どんな感情を抱くのだろう。フェリオットは、判然としない思考とぼやけた情念を抱いたまま、父とともにじっとゲオルグの行く末を見つめていた。


 膝立ちになっている彼の前に、今朝会ったばかりの神父が、普段よりも優美な装いで現れた。


 神父は目を閉じぶつぶつと何か呟くと、再三、ゲオルグを見つめる。


 神父は憂いていた。魔族とはいえ、このような若者の生命を奪わねばならない事を。この者の行く先には未来が、道が、あらゆる可能性が横たわっていたはずなのだ。それら全てを自分は、奪い去ろうとしている。


「一つ、聞かせて欲しいのじゃが。青年よ」


 一体何に保障された権利なのか、何に裏付けられた運命なのか。


「おぬしは、自分自身の不甲斐なさや臆病心の為に、誰かを死なせることは罪だと思うか?」


 人々の怒声の中にあっても、神父の問いかけはしっかりと青年に届いた。ゲオルグは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにまた、色彩を帯びない虚無の瞳に戻った。彼が問いかけにどんな所感を抱いたのか、理解には及ばない。すると、ゲオルグはゆっくりと口を開いた。


「後悔しているのか」


「あるいは、そうかもしれぬ。じゃがわしは、贖罪のために今日まで人生を費やしてきた。救いは求めぬし、許しも乞わぬが……わしは、わしの人生は、意味のあるものだったと思うよ」


 神父は笑みを浮かべていた。曇り一つない満面の笑顔。だがそれは一瞬のきらめきのまま、彼が表情を浮かべることは、二度となくなった。


 ぐらりと、回転を止めた独楽こまのように、神父の体が崩れた。どよめきが舞台上の人々に走り、神父の近くに居た数人は顔を蒼白にさせている。そしてフェリオットは、壇上に居たエリスの悲痛な叫びを、聞き逃すことはしなかった。


 幕が開かれた。主役は交代され、演目が切り替わる。新たな主役に成り代わったゲオルグの手には、血塗られた刃物が握られていて、見るもおぞましい悲劇の序章を物語っていた。


 エリスに続いて、方々で悲鳴が上がり、熱狂で混乱していた大衆は恐怖で錯乱した。大河のうねりのごとく、流れるように人垣が崩れていく。その流水の中で、フェリオットは呆然と立ち尽くすばかりだった。


「貴様!」


 衛兵の一人が叫び、剣を抜き去る。この男が一体どうやってなわを解いたのか。何にせよ、自分の失態である事を痛感していた衛兵は贖罪を果たすために、躊躇なくゲオルグへ斬りかかった。


 二度目の流血。血塗られた序幕はさらなる残虐さを引き出していく。そして物語の冒頭で死する主役など、存在しなかった。


 衛兵の胸部が貫かれた。砕かれたあばら骨と弾けた血飛沫と共に、背中から貫徹された刀身がそびえ立っている。衛兵は突然自分の体内から現れた異物をどうしたものか所在なげに弄んでみせると、ほどなくして絶命した。心臓を一突きであった。


「目的は果たした」


 ゲオルグは小さく呟いた。衛兵を突き刺したのは彼ではない。彼は衛兵の前に立っていて、その血飛沫を一身に浴びていた。


「教会堂はどの方角だ?」


「ここより北へ。例の鐘楼もそちらにあります」


「アラクを向かわせる。それと教会の人間は全て殺せ」


「では、まずここから始めないといけませんね」


 衛兵を殺したのは、他ならぬ衛兵だった。ゲオルグを連れ出したもう一人の人物。人間を裏切った人間。ゲオルグの解放を手引きしたのも彼なのだろう。


 するとゲオルグに指示された衛兵は、舞台袖に目をやった。視線の先には市民の混乱を抑えるために配された他の衛兵が数人立っていて、彼らは視線に応じると、剣を握りしめ、おもむろに舞台へ上がり、エリス達、教会の人間達へ得物を向けた。


 剣を構えた衛兵の一人が叫ぶ「妻の仇を取らせてもらう!」と。神父の部下である助祭が救い主の御心に従ったまでだ、と反駁し、聖句を唱え、祈りを捧げたが、もたらされたのは救済ではなく、冷え切った鋼鉄の刃だった。


 一人が死に、また一人が死んでいく。流される血が止まることはなかった。教会の人々は舞台の上で次々と突き刺され、切り裂かれていき、出来の悪い人形のようにばたばたと倒れていった。時折、勇気ある人間が舞台へ駆け上がり、剣を振るったが数で勝るゲオルグ達に敵うはずもなかった。


 すると男がまた一人、剣を片手に舞台へと上った。衛兵は見るや得物を振るい、男に向かって吶喊したが、衛兵の剣は素早くいなされ、勢い余った衛兵はそのまま男へ突っ込んでしまった。


 その勢いに任せて、鋭く研ぎ澄まされた切っ先が衛兵の首を出迎え首筋を撫でていき、インクを散らしたような血液が辺りに美しく舞った。


 ぼんやりと舞台を眺めていたフェリオットは明確な既視感を覚えた。相手の無計画さを逆手に取った、流れるような戦いの技術。見間違うはずもない。あれはまさしく父の技だ。


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