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イヴェディア  作者: Rais
第六章 夜明け ~無明の光~
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錆び付いた心

 時は少し遡る。クレイグはログナでの軍議を終えると、ウェール全軍にオリヘンムへの進撃命令を出した。


 将軍達は総司令官直々の命令に従わないわけにもいかず、軍備を整え、糧秣を手に南へと下った。クレイグ指揮下の皇帝直轄軍も含めてである。しかし、その軍中にクレイグの姿はなかった。


 一両の幌馬車が、街道を駆けていた。長らく整備されていないのであろう、道は荒れ果てており、ごつごつとした石ころや、大きな枝葉が打ち捨てられたままで、時折、それらが車輪に引っかかるたび、車体が大きく揺れた。言うに、乗り心地は最悪であった。


 馬車の中にはクレイグとフレイヤ、そしてフェリオットとエリスが乗っていた。しかし、幌馬車は四人が乗るには少し狭く、隣り合う人とは体を密着させる必要があった。


 フェリオットの横にはフレイヤが居る。車体が揺れ、フレイヤの腰や膝がぶつかるたびに、フェリオットの口元が少し緩むのを、エリスはじっと眺めていた。


 御者が掛け声を上げると、馬車は停止した。目的地にたどり着いたのだ。方々でうめき声がこだまし、誰かの骨のきしむ音が小気味よく鳴っている。


 クレイグが先駆けて立ち上がり、フレイヤが続いて、二人は幌馬車から出た。すると、クレイグが振り返り。


「歴史が動く時だ」


 と、いつにも増して尊大な様子で切り出した。彼は瞳を鋭く尖らせ、いまだ口元が解れたままのフェリオットを半ば睨みつけていた。


「今やフォルティスという国家は消滅したに等しい。そして我々は、秩序の簒奪者であり、魔族の指導者であるゲオルグ・ウォルティヌスを、人間社会を脅かす存在として征伐する。オリヘンムを攻撃する大義名分としては十分だろう。そしてそれを後世へ証明するために、私はこの会合を記録することにした」


 クレイグの傍で、フレイヤが目を瞑り咳払いをした。彼女は肩を落として、周囲に喧伝するように、あからさまなため息を放った。フレイヤの脇には手帳が挟まっている。腰のポーチには筆記用具が入っているのだろう。


 フェリオットはフレイヤにならい、苦い顔をした。そんな二人に構わず、クレイグは続ける。


「そこで、だ。貴様等も会合に参加しないか? フォルティス西部軍の参考人としてなら問題ないだろう。……ふふ、どうだ? 歴史に名を残すのはいいものだぞ。遠い未来の人々の羨望を矮小なこの身一つで得られるわけだ」


 ふと、クレイグの顔を見やると、彼の峻厳だった瞳が、穏やかな丸みを帯びていた。彼は喜んでいるのだ。彼は今この瞬間、一瞬一時の全てが、歴史として後世に語り継がれるだろうと本気で信じているのだ。その傍らで、フレイヤがもう一度ため息をつき、目を細めていた。


「後世の人々が歴史を尊ばなくなれば、ただの独りよがりですね」


「私一人の絶望で済めばよいのだがな。人々が歴史を語らなくなれば、その時は世界中に恐ろしい悪と欺瞞が蔓延っていることだろう。暗闇を取り払う輝かしい光とは、過去という唯一の太陽から発せられるものだ」


 クレイグの言葉に納得することは、誰も出来なかった。


 ほの暗い雲が空を覆い尽くし、午後の穏やかな陽光が、もがき苦しむように細々とした幾筋かの手を、雲の隙間から伸ばしていた。


「クレイグ・エテルタニス殿ですか?」


 遠くから、呼びかけがあった。クレイグはたるんだ表情をすぐさま強張らせ、鋭い視線を送る。平生の彼が浮かべる冷酷な表情。そして彼の瞳には、兵士達がいつも殺人を犯す時に浮かべる無機質な色が顕れていて、エリスは胸騒ぎを抑えられなかった。


 クレイグを呼んだ男は、フォルティスの礼装を見事に着こなしていた。軍服の赤色を基調としていながら、その色合いは上品で、男の鮮やかな金髪と相成り、まるで貴族の歓迎会レセプションを想起させた。


「そうだが。貴様は何者だ」


「フォルティス東部方面軍の司令官より遣わされてまいりました。アルティヌと申します。クレイグ殿のご盛名を聞かぬ日はなく――」


「時間が惜しい。能書きは十分だ。まずはこちらの要求を伝えよう」


 クレイグの鋭い一言と共に、フレイヤはペンを取り出し素早く筆写を始めた。


「といっても単純明快だ。貴様等東部軍はこの状況を静観しろ。一切手を出すな。とはいえ我が軍への数名程度の武官の従軍なら許そう。貴様等も歴史が変わる瞬間には立ち合いたいだろう? 何だったら賓客として迎えてやってもいい、それに……」


「要求の方、了承しました。元より我々はあの土地を離れるわけにはいかぬので。それにクレイグ殿。時間が惜しいのでしょう? ならば事は簡潔に済ませましょう。当方からはただ一つ、質問だけさせていただきたい」


 アルティヌはそう告げ、傲岸さに満ちた言葉の応酬をさえぎった。


 クレイグはといえば渋い顔をして押し黙り、フレイヤが筆を止めてほっと一息つくのが周囲に伝わった。彼女はそれを隠すつもりも無いらしい。


 アルティヌは少し間を空けてから、再びゆっくりと口を開いた。


「これから何が始まろうというのですか? 首都で騒ぎがあったかと思えば、陛下の行方は知れず、さらに東部軍内部に紛れ込んでいた魔族達の反乱が起きる始末です。こうしている間にも多くの仲間が殺されていることでしょう」


「貴様等の王は死んだ。これは連中も発表していたことだと思うが」


 クレイグの割り込みに、アルティヌは柔らかな物腰に暗い影を落としこんだ。彼は構わず言葉を続けていく。


「私達は軍人です。皆、己の命を捧げるに足る何かを守るために、務めを果たしています。敵が存在する限り、私達は戦うことを止めるわけにはいきません」


「殊勝な心掛けではあるがな」


 クレイグはまたも口を挟んだ。その音色は怒りに満ちていて、空気が張り詰めたものに変わったのが全員に伝わった。緊張の中、ただフレイヤだけは臆せずにじっとクレイグの横顔を眺めていた。


「魔族達の反逆は自ずと予期できたことであろう。彼らを排斥する貴国の風習、文化、価値観……古の大帝国から連綿と続いてきた“誇り”を貴様等は捨てることもできたはずだ。しかし貴国の大半の人々は愚かにも。人間を絶対とする選民的な思想を潔しとしてきた。誰かを踏み台にすれば自身が高い位置に居ると思い込めるわけだからな。全く、どこまで愚かなことだ!」


 クレイグの口ぶりは、いつもと変わらぬ傲慢さそのものであったが、それ以上に、彼は目前のアルティヌに対して、いやフォルティスという既に実体を失くしてしまった国家に対して、怒りと呼ぶのも易しい深い憎悪の念に身をやつしていた。


「……総司令。今の発言、記録に残しますが」


「構わん。私の言葉を制することは誰にもできんぞ」


 フレイヤは再び黙々と作業に取り掛かった。


 アルティヌはクレイグの剣幕に驚いたようで、目を見開き、ぽかんと小さく口を開いたまま呆然としているようだった。すると彼は続いて目を伏せ、自らの両の手を細目でじっと見つめていた。ややあって、彼は呟くように声を発した。


「……罪があるとするならば、私達皆が罰を受けなくてはならないのかもしれません」


 アルティヌは目を上げると、クレイグを見つめ、そして順番にこの場に居る全員へと無機質な瞳を向けた。エリスが小さく身じろぎをし、フェリオットは一瞬だけ身体を強張らせたが、クレイグとフレイヤだけは、何の反応も示さなかった。


 するとアルティヌは何かを確かめたかのように、小さく頷くと、再び口を開いた。


「我々東部軍の介入を心配せずとも、私達は皆あの地に留まり続けるでしょう。それが私達の贖罪であり、為すべき義務であると、私は思います」


「そうか」


 クレイグがそう呟くと、アルティヌは身を翻し、自らの馬車へと足早に戻っていった。


 短い会合が終わりを告げた。クレイグ達も馬車へと戻り、御者へ目的地を告げると、小気味良い鞭の音と共に馬が嘶いた。馬に引かれ車が走り出し、ゆっくりと南へ下って行く。


「奴らは勝つつもりなのだろうか?」


 狭苦しい車内で、クレイグが窓を眺めながら呟いた。


「もしこの状況に諦観しているのなら、我々に保護を求めるものとも思ったのだがな。奴は戦い止めるつもりは無いとまで言い切った。それはある種、軍人としての誇りから来ている選択なのかもしれんが、それにしても彼らの立場はあまりにも悪いだろう。玉座は崩壊し、連座して国家も滅びた。それでもなお戦い続けようという意志……まるで理解ができん」


 クレイグは別段、誰かに話しているわけでもなかった。憎まれ口の一言でも出そうなフレイヤは書き留めた会合の内容の清書にいそしんでいたし、フェリオットもただ黙って話を聞くばかりだった。


「あの人は、贖罪と言っていました」


 ただエリスだけは、クレイグの一言一句を傾聴し、自身の考えを述べる準備をしていた。


「勝つつもりなんて無いのかもしれません。誇りなんてものも既に打ち砕かれ、欠片程だってありはしないでしょう……きっと彼らにはもう、何も残されていないはずです」


「だから……死を選ぶのか?」


 耐え切れずフェリオットは、こらえるような声で言った。


 クレイグは外に向けていた視線を車内に戻すと、素早く瞬きを繰り返した。


「馬鹿な。死ぬことばかりが罪人の辿るべき道だと、本当に思っているのか……?」


 クレイグはぽかんと口を開け、目を見開いて言った。彼はアルティヌが選んだであろう選択に対して、心底理解に苦しんでいるようだった。彼は続ける。


「だが精兵と謳われる東部軍がそうやすやすと敗れるだろうか? 数百年負け無しの常勝軍だぞ?」


「組織化された魔族の勢力が居るのかもしれませんね」


 フレイヤがペンを走らせる手を止めずに言葉を繋いだ。


 クレイグは顎を指で押さえ、視線を降ろし、何やらあれこれ思案を始めた。一分ほどが経ち、彼は目を閉じるとゆっくりと口を開いた。同時に、フレイヤのため息が再三こぼれた。


「フレイヤ。走れるか?」


「馬がありません。まさか誇り高きウェールの総司令ともあろう方が、私に歩けと申すのですか?」


「馬車のを使えば良いだろう。その為の四頭馬車だ。四頭が三頭に減ったところで、問題はあるまい」


「……到着が遅れても知りませんからね」


「ふふ。“救世主”は遅れてやってくるものだよ」


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