暮れなずむ陽の後に
オリヘンム城が誇る謁見の間。その真下には、古来より王を務めて来た者達の、大墓所が存在する。なぜそんな場所に墓があるのか、一説では常日頃から王に己の死を予感させ、慢心を防ぐためであったといわれている。
ゲオルグ達が首都を占領してから三日後の朝。大墓所は捕らえられた将軍達の牢獄になっていた。いや、そこはまさに地獄というべきだろうか。
明かり一つない暗闇。地下なので日光が入り込むはずもない。天に見放された地。その中を、一人歩く少女が居る。セレアだ。
じめじめとした空気。歩くたびに埃が舞い、喉の奥を犯していく。セレアの足音が響くと、どこからか惨めな叫び声が聞こえた。
彼らは、許しを乞うているようだった。だがセレアは目もくれず、大墓所の奥へ向かう。いくつか叫び声を過ると、彼女の足はとある牢屋で止まった。
「酷い拷問を受けたのよ。軍の編成や作戦行動を聞き出すためにね。特に東部に関しては不明な事が多いから……まぁ、当然私も関わったのだけれど」
邪悪で、恍惚そうな微笑みを見せるセレア。それは、牢屋に中に居るフェリオットに向けられていた。彼はセレアに目を合わせることはせず、己の内側に根ざした暗い感情の中に意識を埋没させているかのようだった。
「あなたも、彼らと同じ目に遭わせるのも悪くない。でも彼らのように狂ったまま死なせるのは面白くないわ。あなたには、私が味わった恐怖や、悲しみや、苦しみの全てを感じてほしいの」
すると、セレアの顔から歪な微笑みが消えた。彼女は何故だか、言葉に詰まったようで、気まずそうにフェリオットから目を背けた。
「誓いの風穴……あの時私は既に魔族だったから、本当は目が見えていたの。あの暗闇の中で、私は死への恐怖と、猜疑と、諦観で心が壊れそうになった。もう私の居場所なんてどこにもない、私は生きることすら許されない。そんな感情が私の中を満たしたの……その後のことは、もう分かるでしょう?」
セレアの言葉に、フェリオットは何の反応も示さなかった。今の彼は、ただそこに存在していて、己が罰せられるその瞬間を待つ罪人のようだった。
「あなたの居場所はもう、私の中にはない。どうか愚かな姿を晒して、死んで」
言い残し、大墓所を後にする。ふと見やると、城と大墓所を繋ぐ薄暗い回廊の壁に、男が退屈そうに寄りかかっていた。裏切り者、エルティスだ。
「結局殺さないのか?」
エルティスは嘲るような笑みを隠さずに言った。セレアはそれを殺意を以って迎える。
「あなたには関係のないことよ。それと、私に話しかけないで。いくらゲオルグさんに協力しているとはいえ、あなたのような裏切り者は嫌いなの」
「ここ三日間通い詰めだったじゃないか。殺したくて仕方なかったんだろう? そんなに難しいことかね、肉親を殺すのは」
風が、ひゅんと囁いた。エルティスは驚いた様子で、己の頬に触れる。鋭い痛みと共に、薄い切り傷から血が流れていた。セレアの魔法だろう。
「同じことを言わせないで。それにあの人はどうせ死ぬわ。私が手を下すまでもない」
すると、セレアはそそくさと回廊の奥へ消えていった。彼女の小さな背中を、哀れむかのように、蔑むかのようにエルティスは見つめていた。
――――
大勢の人間が詰めかけていた。農民、市民、貴族、聖職者。ありとあらゆる階級の人間が、首都オリヘンムの中央広場に集まっている。
だが、首都を住処にしている者は殆どおらず、近隣の農村や都市から訪れた者が殆どだった。
広場には舞台が設けられていて、その上にはフォルティスの軍服を着た男達が手を縛られ、膝立ちにさせられていた。将軍達と、フェリオットである。
とりわけフェリオットは舞台の中央に配されていて、そこに何か特別な意味があることは民衆の誰もが悟った。
すると、男が一人壇上に躍り出た。セルトゥス・ローリア。突然の登場に人々は驚き、一部の支持者は熱狂に渦を巻いた。
セルトゥスが制止するように手をかざす。演説が始まるのだろう。人々の雑音は収まり、壇上に晒し出された軍服達を不思議そうに見上げた。
「諸君らに集まってもらったのは、一つの悲しい事実を伝える為である。三日前、我が姉であり、我らがフォルティスの王であらせられるラティエス陛下が、ここに居る逆賊共の手によって殺害された」
初めに沈黙があり、その後、至る所から悲泣の声が漏れ聞こえた。ある者は落胆して倒れこみ、ある者は瞳から雫を流して立ち尽くしていた。
「諸君らの嘆きはよく分かる。彼女はフォルティスの王である以前に、私の良き姉であった……なればこそ、私は我が肉親の為に復讐を果たす。罪には罰を。そして私は王位を継ぎ、姉への弔いと、フォルティスの民の為に戦う!」
すると、悲しみに打ちひしがれていた人々の間には、打って変わって憎悪や怒りが蔓延し始めた。それらは当然、フェリオット達に向けられたものである。
滑稽だ、とフェリオットは思った。
ここに集まり、罵声を浴びせ続ける人々も、自分を殺そうとしている魔族達も、自分自身でさえも。
あの日から五年。自分は一体何をしてきたのか。ただひたすらに人殺しの術を極め、多くの人々を殺し、傷つけていった。
ゲオルグを殺す為? セレアの為? しかし、それらは詭弁と成り果てていた。
死が、頭の中を巡った。最初の死、父と母の死だ。それから、己が手にかけたウェールの兵士達、彼らを殺した瞬間の光景や感触がまざまざと思い出される。
そして仲間。王の為に命を散らした兵士達……レイミア。
すると、目の前に分厚い縄が一本、垂れ下がった。雑に編まれていたが頑丈そうで、先の方には大きな輪が作られている。
これが、最後の死だ。
フェリオットは立ち上がり、自ら輪の中に首を入れた。突然の行動に、監視していた兵士達は驚く。自分から死に向かおうとする彼の姿が、恐ろしくてたまらなかったのだ。
セルトゥスはもう少し何か喚き散らしたかったようだが、フェリオットの覚悟と諦観とを見て取ると、傍に居た兵士に何かを指示した。
数人の男達が、フェリオットの後ろで、まるで綱引きでもするかのように縄を持ち上げた。それは舞台上の柱に着けられた車輪を通して、フェリオットの首に繋がっている。
「やれ!」
誰かの掛け声。同時に、後ろの方で男達が慌ただしくなる。すると、身体が宙に浮いた。
首が焼けるように痛む。気道を寸断された身体は至る所で悲鳴を上げ、意識が遠のいていった。
痛みと苦しみと恐怖とで、目に涙が滲む。まるでそれを恥じらうかのように、顔は真っ赤に染めあがっていた。
死はこんなにも恐ろしい。自分はこんな場所へ何人も送り込んできたのだ。自分の利己心と不甲斐なさの為に、何人もの人間をこの奈落に放り込んできたのだ。
すると、何故だか自分の身体は舞台に戻されていた。いや、落ちたというのが正しい。何にせよ、自分の意識が消えるよりも前に、刑の執行は終わった。上を見ると、フェリオットを繋いでいた縄は途中で千切れていて、柱には矢が一本刺さっていた。
すると、方々で火が上がった。火は一瞬で消え、大きな音を伴い、何かが放たれる。次の瞬間には、舞台の下で群衆を抑えつけていた兵達が、血しぶきを上げながら、次々と倒れていった。
突然の流血沙汰を前に、これまで罪人の死を望んでいた民衆達は混乱した。兵の死を目の当たりにした者達は怯え逃げ惑い、状況を理解できていない後ろの人々とぶつかりあった。
「おい、起きろ! 早く来い」
舞台下から声がする。下には男が居て、フェリオットに手を伸ばしていた。男はヨルフだった。
フェリオットもまた人々と同じように不明な状況に狼狽していたので、何故自分に手が差し出されているのか分からない。だが彼は、あくまで本能的な活動として、生への渇望から彼の手を取った。
縄を外し、舞台を降りて導かれるまま走り出す。フェリオットを監視していた兵達は混乱に不意を突かれ、すんでのところで逃がしてしまった。群衆に紛れているので、探し出すのも容易ではないだろう。
「お前は、一体……」
声は上手く出せなかった。だが、ヨルフに言わんとしていることは伝わったようだ。
「ヨルフ・ラエタリア。ウェールの将校だよ」
「どうして、ウェールの人間が俺を」
「こっちが聞きたいよ。ま、感謝するなら俺じゃなくて、可愛い幼馴染に言ってやってくれ」
「エリスに……?」
暫く進んでいくと、ヨルフは群衆から離れ、路地裏に入った。そこには馬車が一台あり、扉が開かれたままだった。中に誰か入っている。
ヨルフに連れられるがまま、フェリオットは馬車に乗り込んだ。そして、中に居た人物に驚く他はなかった。
「ここまで追っ手はありません。他の連中も上手く逃げたと思います」
「よし、成功だなヨルフ。それに、小型化したマスケットの実用性も証明できた。大戦果だぞ」
無機質な声。特徴的な白髪。
「お前は――」
クレイグ・エテルタニス。ウェール軍総司令官。まさかウェールの首魁が直々にフォルティス国内に居るとは。
「貴様には我々の国に来てもらう。詳しい話は着いてからだ」




