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イヴェディア  作者: Rais
第一章 昔日 ~少年時代~
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願い

「罪は、どこにあると思う? フェリオット」


「いきなりなんだよ」


 エリスは彼女の自室に居た。彼女の部屋は、本来は客人用のものだったが、肉親を亡くした彼女を見かねた老神父がエリスの家として、居場所として与えてくれたものだった。


 装飾の類は見当たらず、聖像がただ一つ箪笥の上に置かれているのみ。とはいえ、華やかさが皆無なわけではない。エリスが今腰かけているベッドには彼女自身の手で花の模様が彫られ、他の家具も同様に、多様な模様が施されていた。彼女は手先が器用だった。


「やっぱり質問を変えるわ。フェリオットは、どんなものが罪だと思うの」


 エリスは微笑を浮かべて言った。彼女は歳の近い、もしくは下の相手に、わざと漠然とした質問を投げかけて困らせるのを楽しんでいた。これは、彼女にとっての『明けの祈祷』であった。それも、毎日執り行われる。主な被害者はフェリオットだ。


「ねぇ、答えて欲しいの……」


 様子がおかしい、とフェリオットは疑念を抱いた。今のエリスには、いつもの意地悪さが感じられない。顔に微笑こそは浮かべていたが、普段の嘲笑の色はなく、むしろ自嘲の色が表れていて、今にも、その暗い影が彼女の全てを覆い尽くそうとしているように見えた。


 フェリオットは問いに答えることにした。


「うーん。罪か……」


 とはいえ、彼女の質問が難解であることには変わりない。フェリオットは考えているふりをしながら、窓を眺め、雲に隠されてしまった太陽を見つけ出そうと、視線を泳がせた。


 少年を見かねたエリスは口をすぼめると、ベッドから立ち上がった。そのまま箪笥に歩み寄り、無造作に置かれた聖像をじっと眺めている。


「聖者ニメリア像。人類最初の魔族との戦い〝魔法戦役〟において、救い主〝ニエフ〟を降臨させた英雄。当の彼自身はその戦いで命を落としてしまったけど」


「あー。その人の名前、土地にも付いてたよな。〝ニメリア平野〟ってそのまんまだけど……」


「そう。そしてそれは、私達の国〝フォルティス〟と北方の大国〝ウェール〟とを別つ緩衝地になっている」


 エリスは黙った。何故だろう口を結んだ途端、彼女の表情は暗く沈んだものとなって、侵食していた自嘲の念がついに全てを喰らい尽くさんとしているかのようだった。フェリオットは未だ窓の外を眺めたままだったので、彼にそれが伝わることはなかった。


「えっと。それがどうしたんだ?」


「大した意味はないよ。歴史の授業、とでも言っておこうかな」


「はぁ。おれ学生になるつもりはないんだけどな。ま、お前は頭良いと思うよ。神父さんを困らせるくらいには」


 はにかんで笑うフェリオット。対してエリスは表情を崩さぬまま、フェリオットに向き直ると。


「セレアちゃん。また釣りに連れてったの?」


「え? うん、そうだけど」


「あの子、嫌がってるんでしょ。無理強いしなくてもいいじゃない」


「まぁ、な。確かにそうなんだけど……。あいつ、いつも近くに置いておかないと何しでかすかわかんないし。かといって、家に閉じ込めておくのもな」


 フェリオットは未だ窓を眺めたまま、大きくあくびをした。


「そう、罪はそこにあるんだよ! フェリオット!」


 エリスは詰め寄り、フェリオットの胸倉に掴みかかると、そのまま押し出していった。この華奢な身体のどこに隠していたのか、彼女の力は強く、フェリオットでさえ抗しがたかった。


「放せって! 服を二枚も伸ばされてたまるか!」


「命を扱ってるんだよ! 魚だって、牛だって、豚だって、鳥だって、死ぬその瞬間までは意思を持って生きていたの……私達がそれを奪ってよいと、一体誰が決めたの? 少なくとも、聖典には書かれてない!」


「な、なんだよ。お前も釣りが嫌いなのか」


 エリスは目を閉じ、息を吸い込むと、胸倉から手を放した。それから自分の胸に手を添え、ゆっくりと確かめるように、深い呼吸を繰り返した。


「ごめん、取り乱した……。でもそうね。確かに私も釣りは嫌いかな」


「この前父さんが作ってくれた煮付け。最高だったじゃないか」


「うぅ。確かにあれは美味しかった」


 誇らしげなフェリオットを尻目に、エリスは小さく嘆息した。どうやら調子を崩されたようで、彼女に表れていた暗い影は、すっかり鳴りを潜めていた。


 だが、エリスは未だに浮かない顔をしていた。フェリオットは理由を知っている。しかし、彼女が抱えている問題は、少年の手に余るものだ。だから、彼に出来るのは、支えることだけ。


「罪は何処にあるのかって話だけど……」


 少女の肩を軽く叩く。たしなめるように、穏やかな様子で。


「分からない事を分からないままにしておくのは、やっぱり良くないと思う。受け売り、なんだけどさ」


 エリスはじっと、フェリオットの真紅の瞳を見つめた。彼はもう一度肩を叩き、彼女の視線に笑顔で応じると、そっと脇をすり抜けていき、部屋の戸口で立ち止まった。


「だから……その、エリスには色々教えて欲しいんだ。俺も分からない事、たくさんあるから」


「私だって万能じゃないよ。神様じゃないんだから」


 エリスは小さく笑った。自嘲ではない。ほころんだ口元には、暖かな微笑の色が表れていた。

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