情は胸に
「私はこの話を聞いた時、冷めやらぬ感情を覚えた……それは怒りだ。怒りが私を包み、私を捕らえた。彼らの無念が私を呼んでいる。虐げられし魔族達の声がな」
「演説は結構だがな。所詮こいつらには理解すら出来んだろうよ」
セルトゥスとは違う、暗い声。薄暗さに紛れた密かなる声が響く。フェリオットが目を向けると、そこには忘れもしない仇敵の姿があった。
「セレアはどこだ! あいつを返してくれ……」
咄嗟に出た声は、心にもない言葉を吐き散らした。ゲオルグを見た途端、後悔と罪の意識とが彼に襲い来て、何も言わずにはいられなかったのだ。そんなフェリオットの内情を知ってか、ゲオルグは黙ったまま、見下したような卑しい笑みを見せるのみだった。
「貴殿らはここで死ぬ。王を殺した反逆者としてな。王位は弟である私が継ぐが、フォルティスという愚者の国は跡形もなく消え去るだろう」
「そんなこと、誰が信じるものか」
「いや、信じるね」
不意に聞こえた声は、横に居たエルティスのものだった。
「真実とは違っていても、事実は勝者が作るものだ」
「エルティス……お前」
「おっと、勘違いしないでくれよ。俺は魔族じゃない。だが、彼らが受けた地獄は目の当たりにしてきたし、こいつらの思想も理解できる。それに俺は先見の明があるんでね。これから始まる新しい時代に、人間の居場所はない」
「軍のみんなが放っておくと思うか? 今にここへやってくるぞ」
「来たとしても、同じことだ。ここに来た者は生かして返さない。ほらみろ、一体誰が真実を伝えられる?」
「私が伝えます」
よいっしょ、と健気な声と共に、一振りの剣が宙を舞った。近衛兵達の頭上を飛び、人垣の中心に向かって落ちていく。フェリオットはそれを見るや飛びつき、刀身を露わにした。
近衛兵達が驚いている隙に、有無を言わさず剣を振るう。ある者は腕を切り落とされて喚き散らし、ある者は首の管を裂かれて、調子の外れた奇妙な音色を奏でた。
護衛達も呼応して、素手であろうとも抗った。勘の良い者はフェリオットが殺した敵の武器を奪い、戦った。
「王を守れ!」誰かが叫び、護衛達はフェリオットを見つめる。託した、と彼らの瞳は語っていた。相変わらず、誰もが無機質な殺人者の目をしていたが、誰かの為に、王の為に犠牲になるという高潔な意志が、瞳の奥に表れていた。
フェリオットは、それを無下にする事はしない。棒立ちになっているラティエスの手を引き、走り出す。護衛兵の何人かは既に骸となってしまった。亡骸が作った道を往く。その時、横脇で鋼の切っ先がしなるのを見逃さなかった。
咄嗟に構え、弾く。片手では力不足で、勢いのあまり体が浮いたかのように思われた。横槍を入れたのは紛れもなくゲオルグだ。崩れた防御を、白髪の青年は見逃さずに突く。
「レイミア!」
名を叫ぶ。姿は見えないが確認するまでも無い。呼び声に応じた少女は、すっかり気に入ってしまったなまくらを、ゲオルグに振るった。彼はそれを当然の如く防ぎ、弾き返すかに思われたが叶わなかった。ゲオルグとレイミアが互角に競り合っていたのだ。
ヘキトスの時のように、レイミアはこういった火事場の馬鹿力というべきか、条理には裏付けされない強い力を発することがある。だが、力が同等だからと言って勝てる相手ではない。
「代われレイミア! 王を頼む」
だが、レイミアは聞かず。鍔迫り合いを繰り広げながら、横目で見つめた。
「だめですフェリオットさん。あなたはこの人と戦ってはだめです」
「一体何を……」
「この人はあなたに強く執着しています。あなた達はどちらかが死ぬまで戦うのを止めないでしょう……フェリオットさん。私はあなたには死んで欲しくないですし、もう誰も殺して欲しくないんです……」
すると、ゲオルグが搦め手を使う。マン・ゴーシュだ。経験の浅いレイミアには、抗する術もない。フェリオットが気付いた時にはもう、レイミアは貫かれていた。
叫ぶ。怒りに任せて吶喊する。だがレイミアの瞳が彼を止めた。
「痛みには、慣れています……!」
そう言う彼女の顔は、何度もフェリオットの心を捕らえ、照らしてくれた、あの曇りのない微笑みに満ちていた。
「貴女は……どうしてそこまで……」
ラティエスは耐えられなかった。自分の為に、目の前で人が死んでいる。その事実が受け入れられずにいた。
「早く行ってください!」
敵が迫っている。護衛達も限界だろう。フェリオットに選択の余地はない。
「後でお前も必ず来い。いいか、命令だぞ」
レイミアは顔を見せなかったが、しっかりと頷いた。
大広間を抜け、出口を目指す。城兵の何人かが武器を掲げて引き留めてきたが、足並が揃わずにいたので何とか突破出来た。
跳ね橋を渡り、王を馬に横乗りさせる。同行するものと思っていたラティエスは、不安そうな眼差しを見せた。
「こうなった以上、軍部は信用できません。エルティスのような者が他にも居るかもしれない。ルメニア会にエリスという者が居ます。彼女を頼ってください」
「その者はお会いしたことがありますわ……でも、貴方はどうされるの?」
「レイミアの馬鹿を助けます。あいつの事は放っておけません。私の事はどうかお気に……」
ばちん、ひゅん、という音が鳴ったかと思えば、背中に鋭い痛みが這い出てきた。
「行け!」
馬を剣で叩き、走らせる。王は乗馬に慣れているらしく、振り落とされる心配はなかった。
「エルティス!」
目を向けずとも、誰の仕業かは不思議と分かった。ほとばしる痛みに悶えながら振り向くと、かつて戦友とも呼べた青年の姿があった。
エルティスは弩を構えていた。それで射抜いたのだろう。痛みは留まるところを知らないが、致命傷ではない。
弩は再装填に時間がかかる。その隙を狙うべく剣を構えたが、剣が手から落ちた。いや、手が剣を離したのだ。さながら無力な子供に戻った気分である。手はおろか、足も、首も、体全てに力が入らない。
「アラクとかいう魔族が作った毒だ、東国の技らしい。心配するな、死にはしない。お前はお前で利用価値があるんだよ。それに、お前に会いたがってる奴もいるしな」
瞼が重くなり、ひどい頭痛が襲い来る。息が苦しくて、今にも気絶してしまいそうだ。フェリオットはそんな意識の境界を行き来しながら、どこかに運ばれていった。
曖昧な意識の中で、小さな少女と、白髪の青年が見えた。二人は手に棒を持っていて、お互いにぶつけあっている。
すると、青年の棒が少女を貫いた。少女の胸が、確かに貫かれている。怒りと悲しみと憎しみが、自分の外側で溶け合い、ゆっくりと内側へ注ぎ込まれ、心を焼いた。それはとても苦しくて、声を上げたかったが体は動いてくれなかった。
レイミアは貫かれてもなお剣を振るい続けた。ゲオルグは驚き、刺したレイピアを引き抜くと、彼女から離れた。
レイミアは痛みこそ感じているようだったが、それによる弊害……出血や、恐怖など、一切を気にかけていないように見えた。当然ながら、それは異常である。ゲオルグは小さく笑った。勝ち誇ったような笑みだった。
「やはり、お前は魔族のようだ」
「どういうこと……? 私が……魔族?」
「後天性の魔族の中には、自身が魔族である事に気づかない者も居る。ちょうどお前のようにだ。聞こう、我々の仲間になるか、ここで死ぬか」
「死にます」
レイミアは臆せず、はきはきと言った。魔族だろうと関係ない。人種や偏見、平凡の外側であることは、何の障害にすらならない、とレイミアの顔は語っていた。
「いいだろう」
ゲオルグの笑みが消えた。すると鮮やかに刺剣を振りかざし、突進した。速かった。レイミアが反応できないほどに。やみくもに防いだが、彼女の中にはもはや尋常ならざる力は宿っていなかった。
「あ――」
さながら、ワインの詰まった酒樽に次々と穴を開けていくかのような有様だった。内に秘められた真赤い液が、無数の小さな穴から漏れ出ていく。
無自覚とはいえ、魔族としての身体強化をしていたレイミアは頑強である。故にゲオルグは彼女の小さな体に何度も何度も穴を開け続けた。その有様は無慈悲という言葉でさえ易しかった。
膝が崩れ落ち、体中を血まみれにしたまま、床に突っ伏した。まだ息はしていた。とても苦しそうで、永遠に苛まれんばかりの恐怖に怯えている。だが、それも長く続かないことは自明だった。
「どうか生きてください……死はこんなにも恐ろしくて、寂しいんです……どうかあなたは、もう誰も殺さず……そして、生きていてください」
彼女の息が止まった。残された言葉は誰に向けられたものなのか。フェリオットは己に注がれていく真っ黒な感情に身を焼かれ、何も分からなくなっていた。だが、手向けられた言葉の行方は知れなかったが、この黒い感情の矛先は誰なのかはすぐに分かった。
――レイミア・サクリフィキウム。古代語が意味するところは“犠牲”。その名に類するかのように、彼女の能力は自らを犠牲にすることそのものだった。自らの生命を糧に、誰かの生命を救う。
彼女の魔法は何よりも簡単で、何よりも難しい、たった一つのことを成し遂げたのだった。




