意志の力
「レイミア……お前……」
「二人なら……勝てます。絶対に。こんな人に屈するくらいなら、死んだ方がましです……!」
言うや否や、レイミアは得物を上段に構え、ヘキトスに挑みかかった。鮮やかに槍を弾いたレイミアだったが、不意打ち故である。迎え撃つヘキトスの槍は、確実に相手の死を捉えていた。
もっとも、それを傍観しているフェリオットではない。落馬のせいで身体は痛むが、それを理由に仲間を死なせてしまうのは耐えられなかった。
走る。ひたむきに走る。勢いに任せ、レイミアの前に割って入り、半ば身を転がしながら、鋭い一撃を逸らした。
槍を受けた途端、フェリオットの右肩に痛みが走った。昨日からまるで気にかけていなかった傷の唐突な疼きに、彼は歯ぎしりをした。
「さっさとやれ!」
「え?……わ、私?」
「お前以外に誰が居る! 早く奴を殺せ!」
槍はフェリオットが受け止めている。ヘキトスの隙を突くのは造作もないだろう。だが、レイミアは動けなかった。自分の意志による殺人、何より、兵士としての使命による殺人が為されるというのに、彼女の手は震え、呆気にとられたように立ち尽くしてしまった。
ヘキトスは、そんなレイミアの心の有様を、一度見やっただけで理解した。戦いに生きる彼女である。戦場の空気を嗅ぎ分ける鼻は、誰よりも利くだろう。そして今、レイミアの周りで流れている空気は、ヘキトスが最も忌み嫌う香りだった。
ヘキトスの気迫が、これまでに無いほど重く、横暴になった。フェリオットはレイミアの元にまでは行かせまいと、長槍を支えていたのだが、肩の痛みで限界が訪れていた。
「逃げろ! レイミアぁ!」
フェリオットが叫ぶと同時に、馬が彼を突き飛ばす。ヘキトスはそのままレイミアを轢き殺すかに見えたが、寸前で馬を留めると、何かこらえるような顔をし、鋭い目つきで見下ろした。
レイミアには、ヘキトスが恐ろしい化物のように見えた。とてつもなく強大で、挑めばたちまち殺されてしまうだろうという予感が胸を付いて離れる事がない。
「貴方みたいなのが戦場に居ると思うと虫唾が走るわ。ここに来るべきは戦う覚悟を持った者だけ。貴方にはその覚悟が無い。今すぐ消えるか、さもなくば死になさい」
恐れ。戦い。覚悟。生。死……様々な言葉が、レイミアの心に過った。己の意志を貫くには、何らかの障害が立ち塞がるものである。レイミアの願い……家族を、祖国を守る。それを、自らの意志で為す事。
だがそれは、人を殺さねば為し得ない事なのだろうか?
「私には為すべき願いがあります……それは人を殺してしまっては、たちまち崩れてしまう物なんです……だから私は、あなたを殺さないし、殺されるつもりもないです」
「何を、矛盾した事を……」
ヘキトスは収まりが利かなくなった。馬上で槍を引き、突く。その姿に、幾ばくの躊躇いもない。
――貫かれる。肉が破裂したように裂け、砕かれた骨の欠片と鮮血が優雅に舞った。
「貴方……! よくも、そんな――」
悲痛な声が上がる。だがそれはヘキトスのものだった。
「……」
目を疑う他はない。槍はレイミアの手の平を貫きながらも、しっかりと受け止められていたのだから。
「……私の、勝ちです」
さらに彼女は、手を貫かれるという激痛に耐えながらも、片手で剣を振るっていたのである。
だが彼女は――レイミアというひ弱な兵士でありながら――手を抜いたのだ。その証拠に少女のなまくらは、ヘキトスの首筋にぴったりと当てられていた。
『なんて事……私が、こんな娘に……この娘は一体……?』
ヘキトスは殺された訳ではない。槍を引き抜く、もしくは放棄するなどして、再三挑みかかれば良い。しかし、尋常さを捨て去れる彼女であっても、往生際の悪さは持ち合わせていたなかった。
槍を抜き、首のなまくらを弾く。レイミアが追撃することは無く、フェリオットも呆気に取られているようだった。
「くっ……」
戦士として苦渋の決断である。去り際は優雅に。嘲笑は次への糧とする。
ヘキトスは敗走した。
「レイミア……お前、手は大丈夫か?」
恐る恐る問う。彼女の手の平からは、ぽつぽつと、赤黒い水滴が漏れ出し、乾いた地面に歪な斑紋を描いていた。
「フェリオットさん……自分であんなこと言っていながら。申し訳ありませんでした。私には人を殺す事は出来ません。あなたの言う通り、後方に移るべきでした」
レイミアは強い自戒の念を感じ、その感情に押しつぶされてしまいそうなのか、血を失いすぎたのか、今にも崩れ落ちそうだった。
戦闘はまだ続いている。ヘキトスの敗走を知り、逃げ出す敵も居たが、敵騎兵の脅威は未だ健在だ。
すると、フェリオットはおもむろに、レイミアの傷ついた手を取った。
「え、あっあの、何を……」
携行していた応急用の包帯を取り出し、ぽっかりと空いた傷口に、優しく巻き付ける。レイミアは本当に痛くないのか、我慢しているのか、ぼうっとした様子で眺めているのみだった。
手当を終えると、フェリオットは何も言わずレイミアの元を離れ、連隊長の遺骸に寄り添った。
彼が戦死した場合、指揮権は次に階級が高い者に移譲されることになっている。連隊長は大佐で、部隊内で次に高い階級を有しているのは、大尉であるフェリオットだった。
傍には誰かが落としたのだろう、緋色の連隊旗が転がっていた。拾い上げ、レイミアの血痕に突き立てる。突然上がった御印に誰もが驚き、視線を投げた。
「俺達は屈しない。恐れはしても引き下がる事はしない。戦いに負けても意志では負けるな。死を恐れるな!」
フェリオットは旗を掲げ、片手で得物を振るい敵に挑みかかる。彼の言葉は単純で、近くにいた兵士の誰もが理解し、広く伝聞されていった。フェリオットの勇姿を追い求めて、潰走していた兵士でさえも後に続いた。
程なくして、戦いの嵐は止んだ。フェリオットの連隊は、半数が死傷しながらもグルシスの騎兵中隊に勝利したのだ。
屍、狂人、四肢、鮮血。
悍ましい風景の中、一人の少女が、優しく巻き付かれた布を、悔いるように、悲しむように、固く握りしめていた。




