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イヴェディア  作者: Rais
第三章 転回 ~巡る力~
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解き放つ

「私自身の手でなくては意味が無いのです。魔族としての私では無く、この人の中に内包された人間としての私……とはいっても、魔法による身体強化はしてるんですけどね」


 セレアは五年前と何ら変わらない笑顔を見せた。昔と変わらず朗らかで可憐だったが、フェリオットには、ひどく邪悪に思われた。


「その効果も既に切れているだろう。集中力が欠けている。身体強化は単純に見えるが、実際はかなり難しい技だ。ただでさえ、お前は視覚の維持に力を割いている。無茶は許さんぞ」


 フェリオットには知る由も無いが、ゲオルグの言い分は正しかった。


 魔法の発動には、強い集中力が必要とされ、また個人の才覚によって、魔法の発動の“上手さ”に差が生じる。セレアは魔法の扱いに長けている方であったが、経験が浅かった。


 ゲオルグはいつの間にか離れていた。彼の瞳は鋭くて、幾ばくも隙が無い。


「この人は罪を犯しました。その被害者は私です。なら、私には断罪の権利があると思いませんか? ……私がやらなくてはいけないのです」


 セレアは頑なまでにフェリオットへ挑み続けていた。どこか虚しさを孕みながら、久方ぶりに出会った兄弟が、奇しくも命の奪い合いを繰り広げていた。


 無論、フェリオットには実の妹を亡き者にする理由など持ち合わせていない。寧ろ彼の望みはそれと相反している。


「セレア……どうしてこの男に協力を……?」


「協力? いいえ違う。私は自分の意志で貴方を殺そうとしている……。ああでも、ゲオルグさんには感謝しているの」


 するとセレアはまたも笑顔を――今度はいたく恍惚そうな笑顔を――見せるのだった。


 それは、フェリオットの知らない表情だった。


「この力を手にしたのと同時に、私の日々は暗闇に閉ざされた。でも、代わりに得たこの力は、光を灯すことが出来る。ゲオルグさんはそれを示してくれたの……貴方とは違って、ね」


 途端、フェリオットは恐怖した。己の罪に対する恐怖。自らの業と、良心と、流れ込んできた憎悪とで、理性が奪われていった。


 フェリオットは現実からの逃避の為に剣を振るっていた。だがそれは理性に裏付けられたもの。理性を失し、本能で動く彼は、現実を消し去るために剣を振るった。


「あ――」


 セレアの拍子抜けした声。その時の彼女の表情は、フェリオットが知り、エリスが知り、カールが知り、マリアが知る、あの幼気いたいけな少女のものだった。


 魔法による助けが無ければ、セレアが勝利する望みなど無い。フェリオットの正確無比な斬撃は、セレアの首筋を確実に捉えていた。


「そうか。それがお前の真意か」


 だが、波打つ刀身が首を別つ事は無かった。


 ゲオルグが止めたのだ。煌めくレイピアを以ってし、華麗な手さばきでフェリオットの攻撃を逸らした。


 するとフェリオットは、思考が明晰になり、視界が明瞭になっていく感覚を覚えた。その時彼は、ようやく己の所業の罪深さを痛感した。


 内側を深くまで鑑みる。そこには五年間、フェリオットの中で胎動し続けた真っ黒な塊のような感情が、さらに肥大化していったのが見えた。


「お前は誰かの無念を晴らそうとは微塵にも思っていない。お前は自分自身のエゴの為に動いている」


 フェリオットは怒り心頭に発した。爆発した感情は、肉体の全てに、振るわれる剣に還ったが、やはりゲオルグに及ぶ事は無かった。


 細身の刺剣がはしる。鋼がしなり、切っ先がフェリオットの心臓を捉えた。


 フェリオットは半狂乱になり、かわそうと体を捻った。レイピアは心臓を突かなかったが、攻撃が外れることは無かった。


 さながら肉屋のようにするすると、冷ややかな鋼が左肩に穴を開ける。


 痛みと恐怖と悲しみとが、束になってフェリオットに襲い来る。血が流れていくのと同時に、彼の心に根ざしていた深い感情が消えていくのを感じた。


「罪を知れ。断罪は俺が下す」


「ゲオルグさん! やめてください! この人の死は私の物です!」


 セレアが悲痛そうに訴えかける。だがゲオルグは聞き入れない。


 セレアもそうであったのだが、何故だかゲオルグも、フェリオットの殺害に何らかの執念を持っているようであった。


 彼のレイピアが引き抜かれ、今度こそは心臓を抉らんと、再び牙を向く。


 その時、フェリオットの全てが消えて無くなったように見えた。彼は力なく膝を落とし、瞳は虚ろに、唇はわなわなと震えていた。


「セレア……俺は……お前の為に……」


 空虚になった人型が旋律を奏でている。調律は狂っていたが哀愁に満ちていた音色だった。


「……死んでください。それが私の為になる」


 突き出される刺剣。裂かれる空気。途端、けたたましい嘶きが、鮮烈に鳴り響いた。


 隆々たる大腿筋。たなびくたてがみ。揺らぐ地面。


 フェリオットの馬だ。馬は器用に前足を突き出し、ゲオルグに襲い掛かった。


 流石のゲオルグも面を喰らい、蹴られはしないものの、フェリオットから離れた。


 すると、馬はセレアに狙いを定めた。荒々しく鼻息を吹かせ、小さな少女を踏み潰さんと四肢を躍らせた。


 セレアはフェリオットとの戦いで消耗していた。猛々しい巨大な体躯を目の当たりにしても、呆けた顔で眺めるのみだった。


「や、やめろ!」


 空っぽの器が息を吹き返し、己の馬をたしなめた。だが空虚な体から発せられた言葉など、聞き入れられるはずも無い。


 その刹那である。ゲオルグが瞬く間に取って返し、セレアを押しのけ、馬の前に躍り出た。


 馬の前足が、ゲオルグの脳天に炸裂する。鈍い打撃音が鳴り、弾けたように血潮が舞った。


 ゲオルグは苦痛に悶え、今にも倒れそうだった。だが、彼は努めて健常そうに振る舞い、痛みにも、衝撃にも、屈しないという意志が、空虚な瞳の外側に現れていた。


 彼は無機質な顔のままだった。するとまたもや彼の中から、過去から現在に裏打ちされたセピア色の情念が表れているのを、フェリオットは、そしてセレアも見逃さなかった。


「どうして……ゲオルグさん……何故なの?」


 セレアはゲオルグに寄り添い、優しく語り掛けるように呟いた。再び、馬が襲い掛かったが、フェリオットがくつわと手綱を引っ張り、何とか抑えつけた。


「……消えて」


「え?」


「私の前から消えてって言っているの! でないと、私……」


 セレアは穏やかな様子で、ゲオルグの傍らに居たのだが、徐々に落ち着かなくなっていった。


 すると、風が強くなった。ごうごうと木々がざわめき、小川が栓を抜いたように激しく流れた。


「セレア?」


 セレアは怒りに満ちていた。ゲオルグを傷つけられたからだろうか。だが、フェリオットには理由が分からなかった。


 道を示してくれた――彼女はそう言っていた。人間ではなく、魔族としての道筋を示されたと。


 セレアが魔族だったという事実は不問である。フェリオットに差別意識は無い。だがそれでも、道を示されたというだけで、親殺しの相手を慕う事が、果たして出来るのだろうか。


「消えて!」


 セレアが叫ぶと、途端に凄まじい風がフェリオットに襲い掛かった。魔族は、身体強化のそれとは別に、何らかの自然現象に属した魔法を一つだけ扱うという。


「風の属性……?」


「貴方に私の事なんて、分かるはずも無いわね」


 熱だ。炎だ。


 セレアの周囲に、二柱の火柱が立ち上った。零れた火の粉が次々と木々や草花に延焼し、辺りはすっかり赤くなった。五年前のペティアの惨劇が、フェリオットには思い起こされた。


『……!』


 絶句せざるを得ない。ただでさえ、魔族は条理に反している。その非条理の中で、さらにかけ離れているとあれば、一体何処に彼女の居場所があるというのだろうか?


 魔族の扱う魔法とは、何らかの自然現象を顕現させる力を指す。それらは属性と呼ばれ、通常は一つの属性しか扱うことが出来ない。だがセレアは森羅万象その全てを操っている……!


 フェリオットは恐ろしくて堪らなくなった。それは、単に力に対する恐怖か、在りし日の既視感によるものか、彼自身分からなかった。


 馬がある。彼はふと思い立った。裸馬ではあるが、乗馬には慣れている。


馬はこの状況下にありながらも、怯えることなく、ひたむきにセレアへと挑みかからんとしていた。


 フェリオットは肩の痛みに耐えながら、馬の背に飛び乗った。すると馬は、人を乗せている方が落ち着くのか、それとも良く調教されているのか、手綱の指示には素直に従った。


「行け!」


 どこか苛立ちを孕んだ嘶きが響き渡る。すると、騎馬が一人、暗闇の中へ溶けていった。


 暫く駆けていると、赤色の光は忽然と収まった。燻る黒い煙がどこまでも高く立ち上り、夜空の静寂へと消えていく。


 フェリオットは、ただそれを眺めていた。


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