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イヴェディア  作者: Rais
第三章 転回 ~巡る力~
32/58

瞳を開いて

 暗澹あんたんたる空気を満たした森の中は、薄暗い月明かりに照らされ、不気味さをより助長させていた。


 明かりの届かない木々の梢や瑞々しい草花は、暗い色に溶けてしまっていて、全ては暗い光の陰に隠れている。


「まさかなぁ。こんな所で会えるとはなぁ。いやぁもう、運命とは斯くも――」


 邂逅は成された。


 刹那の内に得物を拾い、一回転。身体全体を大きく捻ってばねを作り、渾身の薙ぎ払いを繰り出す。


 向かうは白髪の男。狙うは首筋。この男には、日常や“家族”を奪ったことを後悔させる暇さえ許さない。神は赦すかもしれぬが、救う事はしない。


 復讐は一瞬の内に終わらせる。だが――


「答えろ、お前は何故ここに居る?」


「な――」


 愕然とする。薙ぎ払いは防がれたのだ。


 フェリオットの一撃は、彼が出し得る、紛うことなき最強の攻撃だった。


 さらに会話を半ばで切ることで、不意打ちを演出した。外道の誹りは誉れである。


 あからさまに急所を狙ったのがまずかったのだろうか? そうだとしても、フェリオットの全力をとどめながら、問いを投げかける余裕があるはずは――


 青年が唸り声を上げ、刺剣を振るった。五年前と同じ、だが他方は姿を変えた二つの鋼鉄が、再会を祝福するかのように歓喜の音色を奏でた。


 フェリオットは距離を離された。いや、吹き飛ばされた。


『魔族なのか……?』


 圧倒的な力の奔流を前に、フェリオットは物怖じしてしまった。


 先程の少女が相手であれば、確かに力では劣るが、経験と戦術で補完できる程度の差である。筋力で負けても勝負に敗北することは無かった。


 しかし青年の場合は違う。彼はペティアを滅ぼし、父を殺害した。つまり青年を倒す事とは、父を倒す事と同義だ。


 父は歴戦の勇士である。兵士として日の浅いフェリオットには、到底越えられる壁では無い。フェリオットは青年を倒せる見込みが無かった。


 ――だが、この好機を逃す手はあるだろうか?


「お前が!」


 再三、斬りかかる。フランベルジュを外側に遊ばせ、直前に引き戻す。ヘキトスに見せた技だ。


「お前さえ居なければ!」


 渾身の突き。今度は右大腿部を狙う。


 急所では無いものの、多量の出血が見込め、十分致命傷となり得る。


 だがこれも、青年の右手に握られた短剣――フェリオットはそれがマン・ゴーシュであることを学んでいた――に防がれる。


 ヘキトスが褒め称えていた妙技であったが、青年にとっては蠅を落とす程度の些事のようであった。


 力技をいなされた。隙が必須であるならば、反撃は必至――!


 ――だが、フェリオットはフランベルジュを拾ったと同時に、あの第二の武器も懐に収めていた。


 尋常な勝負で勝てぬのなら、フェリオットは手段を選ぶつもりは無かった。


 痛烈な刺剣による突きを、悍ましい短剣が迎え撃つ。


 すると青年は見慣れぬ武器の登場に素早く反応し、レイピアが触れる寸前の領域で、攻撃を止めた。フェリオットはあからさまに舌打ちをした。


 一瞬の悶着。互いに決め手を失い、やむなく距離を離した。


「質問に答えろ」


 青年の声は、夜の静けさをどころか、夜半の不気味ささえ彷彿とさせるほど暗かった。それは彼の持ち得る本来の声質ではなく、なにやら冷めやらぬ強い感情に裏付けされているようであった。


「お前さえ……お前さえ……」


 押し問答である。会話も進まなければ、戦いも進まない。この二人は、根本から波長が合わぬ、不倶戴天の天敵であった。


 フェリオットは再三斬りかかった。裏手の裏を。さらにその搦め手を。振りかざしたのはフランベルジュではなく、二度も武器の命を屠った、波打つ短剣である。


 狙いは決め手となり得るレイピアでは無い。マン・ゴーシュだ。


 力も経験も歴然の差であるならば、幾ばくの可能性を決死の想いで掴み取るのみである。余念は心の全てから排斥し、感情さえもこしらえない。


 まさに禁欲的と言うべきか。今のフェリオットの眼前には、大願成就その一点しか映らなかった。


 青年は反射的に、短剣で防ぎにかかった。


 当然、命取りである。フェリオットはいびつな笑みを隠さなかった。


 ところが笑みはすぐさま消え失せた。耳障りな金属が軋む音と、筋肉が硬直、弛緩を繰り返す感覚がフェリオットの左腕に襲った。


「魔法で鍛えた武器だ。破壊しようなどと思わない方がいい」


「くっ!?」


 マン・ゴーシュは破壊できなかった。何の変哲も無い鋼の刀身である筈なのに、硬度は大理石のそれだった。


 すると間近で睨み合いながら、青年は言葉を続けた。


「それは、さながら“ソードブレイカー”とでも呼ぶべきか? 小細工としては悪く無いが……お前が本気で贖罪を望むのなら、それは捨てなくてはならない」


 贖罪――青年が何故このような言葉を口にしたのか分からなかったが、無視も出来なかった。


「何故だ?……まさか怖気ついたってわけでじゃな――」


「お前の父親は、たった剣一本で俺と戦い、そして勝った。奴は間違いなく、俺より強かった」


「おかしいじゃないか。お前に勝ったのなら、父さんは何で……」


 フェリオットは侮蔑するような醜い笑みを見せ、言った。


 すると、青年も微笑を浮かべた。だが目元は動かず、善良そうなしわも作らない、無機質な笑みだった。


「試合に勝って勝負に負けた。お前の父親は、敵に対して妙な幻想でも抱いていたのだろう。俺を殺す事も出来はずなのに、しなかった。その時点で、あの男は“死んで当然だった”」


 その時、フェリオットの顔から色彩が消えた。だが次の瞬間には、野草に次々と燃え移ってゆきそうな、激しい憎悪と怒りに満ちた表情が現れた。


「父さんもここに居る。これは父さんの剣だった! この剣をお前に突き立て、家族の無念を晴らす――」


 言うや否や、フェリオットは絡み合った短剣を外し、距離を取った。ソードブレイカー……これが役目を果たさないというのなら、青年が言うように捨てるのも手であったが、相手も二本の剣を用いる。実力差がある以上、手数の多さは五分に保たなくてはならない。


「苛酷な鍛錬を積んできたのだろう。だが、その源泉は何だ?」


 怒りに任せた一撃。我武者羅な攻撃は、戦いに長けている者ほど、不意を突きやすい。


「お前は、父親の思想を何も受け継いじゃいない」


 だが無意味。今のフェリオットでは、青年に勝つことは出来ない。


「お前に父さんの何が分かる?」


 再び剣を重ね合い、言葉を以って殺さんほどの剣幕で責め立てる。


「憎しみで事を為せば、巻き起こるのは死のみだ」


 するとフェリオットは、一瞬だけ青年の中に、内的な物質的でない、一つの隙を見出した。


 それは形容し難かった。言うなれば、心の隙間だろうか。


 青年の虚ろな瞳や振る舞いや気質に、彼の過去から裏付けられた脆くも淡い情念が現れていた。


『終わりだ――』


 フェリオットはそれを勝機と見た。


 再三距離を取り、間髪入れずに突きを繰り出す――!


「もう、やめてください。ゲオルグさん」


 ひどく、聴き慣れた声だった。


 だが、聴き慣れてはいたが、最後に聴いたのはあまりに遠い過去のように感じられて、懐かしさから、思わず剣を止めてしまった。


 震えながら瞳を見開き、視線を向ける。


「――ああ。お前の顔が、ずっと思い出せなかったんだ」


 少女に近づき、両手を広げる。


 フェリオットの顔は、慈愛に満ちていた。苛烈な日々を経て、一切の善良さを捨て去った筈の彼に、優しげな、美しい感情が芽生えていた。


「私が殺します」


 だが、そんな情念に手向けられたのは殺意。


 少女は青年――ゲオルグから短剣を奪い、吶喊した。そこに、かつての勢いは無かった。


「どうしてなんだ……」


 フェリオットはそれを難なく防いだ。少女の顔が近くなると、フェリオットの脳裏の奥底に秘められていた過去が、糸が素早く紡がれていくように、次々と形を成していった。


「どうしてなんだ……“セレア”、お前は――」


「殺すならばさっさとしろ。何故“魔法”を使わない?」


 ゲオルグの冷酷な言葉が囁かれた。フェリオットはひたすらに『やめてくれ。そんな言葉をこの少女に聞かせないでくれ』と、心の中で懇願していた。


 だがフェリオットの知る、盲目の、そそっかしい、どこか変わった、愛すべき少女の姿など、一体何処にあるというのだろうか?


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