過去。結合。別離。
「エリス。貴様は、歴史が好きか?」
「ええと。ええ??」
皇帝軍兵士達の死体を片付け、一連の騒動が落ち着くと、エリスはクレイグに連れられ司令部に訪れていた。
部屋の中は荒らされたままで、明朝の時と変わらなかった。床には無意味となってしまった数々の作戦計画書の類が踏みにじられ、装飾品の硝子細工が虚しくも砕かれ、散らばっていた。
クレイグは傲慢にも、ラティエスの椅子に座っていた。エリスは擦り切れた円形のテーブルを挟み、クレイグとは反対側に居たので、二人の間には見えない隔たりが感じられた。
「歴史に関心があるかと聞いているのだ。貴様は医学を修めるうえで、最低限でも、国家の歴史を知る機会はあるはずだが……?」
「ああ……はい、その通りです。ルメニア会の歴史は古代から続いていて、医術もまた然り。医師の道を進むという事は、歴史を深く知ることに他なりませんでした」
クレイグは足を組み、瞼を閉じる。彼は次の言葉に重大な意味を持たせようとしたのか、一時の間を空けたのだった。
「貴様は魔族をどう捉える?」
「……あの、さっきから脈絡の無い質問ばかりなんですが」
するとクレイグは、閉じていた瞼を開き、鋭い目尻をさらに尖らせた。
「分からんか? 我々の居る現実とは全て、歴史という過去が連続した上で出来ている。物事の真実を見出したければ、無数の過去と、現実という単数を一つの線で紡がなくてはならない」
「????」
沈黙が流れる。
この男は、わざと小難しい言い回しをすることで、己の知識を披露したいだけなのではないかと、エリスは思った。
「ウェールの南西部にコンセンティアという都市があるのだが……知っているか?」
流石のクレイグも気まずい空気を感じ取ったようで、エリスの返答を待たずに、またもや質問を投げかけた。
「……いえ、知りません」
「あそこの住民は全て魔族だ。我々ウェールは大陸中の魔族を探し、見つけた者をそこで生活させている。安全を約束した上でな」
「……」
エリスは黙したままであったが、どこかそわそわしていて、何かを迷っているような様子だった。時折視線を下げてみては、また上げて、クレイグの無色な瞳を捉えるのを繰り返した。
「驚かないのか」
「……何故驚く必要があるんです?」
「魔族に対する寛容政策など、貴様のような教会の者にとっては許されない事なのだろう? “汝の敵を愛せよ”。いやはや、教義という物は斯くも矛盾して――」
「一体誰に許されないというのですか? 狭窄な視点で測らないでください。私の信仰心を、簡単に結論付けないでください」
「……ふむ。では聞かせてもらおうか。貴様の信仰とやらを」
エリスの漠然とした迷いは晴れたようだった。彼女の美しい深緑の瞳には、確かな強い意志が宿っていた
「私には魔族に対する憎しみも、差別意識もありません。“神は人を自身のかたちとして創造した”……実は魔族のルーツを辿ると、ただの人間に行き着きます。すなわち、魔族も人間と同じ、神の被造物なのです」
「貴様、何故それを知っている?」
エリスは聞こえなかったふりをした。
「話が脱線し過ぎていますクレイグさん。私は五年前の事が知りたいのです。貴方と宗教論争をしに、ここへ来たのではありません」
エリスの口ぶりは穏やかだったが、気迫は凄まじかった。
クレイグは珍しくも気圧されたのか、単に荒事を避けたかったのか、追及をやめた。
「……まぁ良い。本題に入るとしよう。五年前に東国へ赴いていたという話はしたな? 本国を離れてから暫く経った時、コンセンティアからの大規模な脱走事件があったのだ」
すると、クレイグは懐から地図を取り出した。大陸全域を記した物ではなく、ウェールとフォルティスの国境西部が詳しく書かれた物だった。
クレイグは地図中に、コンセンティアと書かれた小さな一点を指し示した。エリスはその南側に、同じ小さな点で書かれた故郷ペティアを見出し、少し身震いをした。
「背の高い山に囲まれていますね。逃げるのは随分難しそうですが」
「魔族だからな。こちらの常識では推し量れん。調査したところ、南側の山に、トンネルが掘られた形跡があった。丁寧に塞いであったが、周辺の魔素値を調べれば造作も無い」
エリスは聴き慣れない単語に困惑した。
「まそ? 何ですかそれ」
率直な問い。無知故の純朴さに手向けられたのは、愚直さ故の傲慢だった。
「……まさか知らないとは。魔法研究に関する貴国の後進性には本当に敵わない」
「……」
沈黙する。嘲笑や皮肉など、最早取り沙汰するまでもない。
「……魔素とは、言わば素材だ。魔族を構成し得る物。彼らの扱う魔法とは、本来過ぎたる力だ。だから魔法による負荷に、彼らの肉体が耐えることは出来ない。そこで、魔素が活躍する」
するとクレイグは、裾に手を入れて頭を屈めた。がさごそと手を動かし、何かを取り出すと、エリスの前に差し出して見せた。
彼の手の平には、一つの小さな宝石が乗っていた。首飾りのようで、銀色の鎖がとぐろを巻いている。
『綺麗……』
ひどく単純な所感である。だが、これ以上に形容すべき感情も、付すべき言葉も、エリスは見つけられなかった。
宝石は瑠璃石と呼ばれる物だろうか、藍色をしていた。
「……これは?」
「これが魔素だ。中心を見てくれ。何かが蠢いているのが、貴様にも見えるだろう?」
「……はい。見えます」
すると、クレイグは不敵な笑みを見せた。
「いや実はな。魔素は人間には見えない。時折、見える者も存在するが、非常に稀だ。少なくとも、貴国では例が無いな」
エリスは絶句した。強さを帯びていた瞳は既に無く、身を縮こまらせるように顔を下げた。
そこには、在りし日の幼い少女の心が宿っていた。遠き日に塞いだはずの傷を、クレイグは無情にも切り開くのだった。
「貴様の方が、私より知っていることが多いのでは無いか?」




