表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イヴェディア  作者: Rais
第一章 昔日 ~少年時代~
3/58

糾われる

 魚は海水を注いだバケツに入れて運んだ。釣り針に開かれた穴から、血がどくどくとあふれ出ている。冷水の中で、絹糸のような鮮血が、もつれるようにたゆたっていた。


『あいつ。見つけたらただじゃおかないぞ』


 フェリオットは、住宅街を踏み鳴らしながら歩いて行った。先々でバケツから弾けた水が舞い、乾いた地面に湿った斑点が広く伸びていく。


 ここ港町ペティアにおいて、早朝の街中を行き交う人影はない。殆どの住民は漁業に携わっており、日の昇らぬ夜半から海に出ているからだ。


 まっさらな白亜の壁が、どこまでも連なっている。次第に日差しが強くなっていき、壁へ均整に塗布された石灰をじんわりと焼いていた。朝が、終わろうとしていた。


 ふと、フェリオットは通りの裏の方から、気配を感じた。勝手知ったる故郷。些細な変化は手に取るように分かる。


「セレア!」


 路地裏に入るや、怒声を飛ばす。すると、フェリオットははっと息を飲みこんだ。


 出会い頭に、一人の青年が現れたのだ。フェリオットは怒りに支配されていたので、そのまま勢いよくぶつかってしまった。


「……」


 無色な瞳だった。フェリオットその青年に抱いた印象はただそれだけ。薄色の白髪を携え、口も頬も、一切の緩みさえなく、表情が何一つ読み取れない。


 服装は、黒を基調とした丈の長いコートから、これまた真っ黒なズボンが暗闇に埋没するかのように伸びていた。宝飾の類は一切なく、この青年の人となりを知れそうなものは、何一つない。フェリオットは、青年が地元の者ではない事を直ぐに悟った。


 すると、青年は左手をゆっくり動かし、腰に手を当て、コートをずらした。


『……!』


 再三、息を飲む。青年の腰には、一振りの細身の剣がはいされていたのだ。青年は柄に手をかけてはいない。だがフェリオットは、今にもこの無口な男が、息を殺して待ち伏せていた獣のように、瞬く間に牙を向いてくるのではないのかと気が気でなくなっていた。


 そのような憶測は尋常ではない。ただ子供が誤って体をぶつけただけで流血沙汰など、横暴な貴族でさえ稀に見るほどの残虐性だろう。冷静に考えれば、青年が剣を抜くはずがない。だがフェリオットは、この青年に殺されるという予感が鼻を付いて離れなかった。


「お兄ちゃん……居るの?」


 青年の背後から、声が聞こえた。か細く、穏やかに笛を鳴らしたような声。フェリオットには、ひどく聞きなれた声だった。


「セレア!」


 悲鳴にも似た怒鳴り声。そうしてようやくフェリオットは、妹に対する憎悪を再燃させながら、青年の虚無の瞳から逃れることが出来た。


 セレアに駆け寄る。くすんだ灰色の髪を首ほどまで伸ばし、瞳はついさっきまで眺めていた海原のごとき青色をしている。彼女気に入りの白いワンピースを優雅なまでに着込み、十二の少女とは思えない気品を携えていた。


「ったくお前は! なんだってこう何度も――」


「何……釣りのこと? それは私嫌いだって〝何度も〟言ってるじゃん」


「違う――いや、釣りに関しては異論があるけど、そもそも一人で出歩くんじゃないって、何回も言われてきたことだろ。お前が居なくなる度に俺が探して、うんざりしてるんだ!」


「……道は何となく覚えてるから。大丈夫だよ」


「去年は骨折。その前は傷だらけに泥だらけで、病気にもなりかけたじゃないか」


 ついにセレアは黙りこくってしまった。彼女はとぼとぼとフェリオットに寄り添い、彼の腕をまさぐるように探り当て、手のひらをぐっと手繰り合わせた。


 セレアは全盲だった。それも、幼い頃の事故によるものである。先天的なものではない。彼女は外側の世界を知った上で、内側の世界に閉ざされてしまった。世界が広い事を知りながら、それらに触れあう事も出来ず、内に閉ざされる事を運命付けられてしまった。


 フェリオットはセレアの手を引きながら、先程の青年の傍を横切り、路地の外へと急いだ。バケツがふらふらと揺れ、水が波打ち外に零れる。


「待て」


 声が、放たれた。夜風のように暗く沈み、刃物のような鋭い冷ややかさが胸の奥を突く。青年に呼び止められたのだ。聞き違いではない。フェリオットは、またしても青年に対し、不条理な恐怖心を抱いてしまった。


「それは、お前の妹か?」


「あ、ああ。そうだけど……それがどうしたっていうんだ?」


 フェリオットは抱いた恐怖を悟られないよう、芝居がかった調子で言った。


 すると、青年は黙してしまった。言葉は途絶え、代わりに手向けられたのは、あの無機質な瞳だけ。夜のしじまが、朝焼けの空の下でフェリオットの心を着実に捕らえていった。


「居た居た! 探しましたよ~?」


 凍った空気に、陽光が差し込んだ。


 フェリオットと青年の間に、ちょうど歳も同じくらいの少年が、半ば転がり込むようにして現れた。青年の次は少年。目まぐるしい展開に、フェリオットは少し狼狽えてしまった。


「あれ、ゲオルグさん。もしかしてこの子達……」


「いいや。見当違いだった。帰るぞ、アラク」


 と、ゲオルグと呼ばれた青年は踵を返した。その背を見送りながら、フェリオットは心の中で、深い溜息をついた。


 だがゲオルグをよそに、アラクと呼ばれた少年が未だ残っていた。青紫色の独特な髪を持ち、純朴な印象を与える丸い瞳は、黒く美しかった。


「君たち、〝魔族〟について何か知ってる? 知人に居るとか、最近教会が審問にかけたとか……」


 少年は見かけによらず、どこか大人びていた。髪の毛も小児のように巻きがかっていて、やはりどう見ても子供なのだが、口調、そして振る舞いや気質から、フェリオットは年長者の印象を覚えていた。見た目とは不釣り合いではあったが、不思議と、不自然には思われなかった。


 突然まくしたててきた少年を前に、セレアは不安そうな顔を浮かべていた。フェリオットはといえば、いい加減この場を離れたくて辟易していた。


「いや、魔族なんて知らないよ。というか、もし知り合いに居たら俺まで審問にかけられるし」


 フェリオットは半ば毒づくように、投げやりに言葉を発した。すると、アラクはどこか残念そうな表情を浮かべ。


「――そうか。状況はそれほどに悪いのか」


 ふと、アラクの背後を見やると、ゲオルグがこちらをじっと見つめていた。あの、虚ろな目で。しっかりと。


「君たちは、魔族をどう捉える?」


 ゲオルグが近づいてきた。一歩一歩。剣の音をかちかちと鳴らしながら。


「どうって。別に考えたことがなかったな。周りには魔族なんていなかったし、そのへんの事は教会の人達がどうにかしてくれてるから」


 すると、朗らかな表情を浮かべていたアラクだったが、その光は陰ってしまった。


「そうか。とても、残念だ」


 瞬間、衝撃が走る。胸にもたらされた強い打撃。そのまま襟を引かれ、フェリオットの身体は宙ぶらりんになった。


 フェリオットは、何をされたのか直ぐには理解できなかった。順を追って視線を送る。胸倉に伸びた腕。宙に浮いた自分。そしてあの無機質な瞳が、目前に佇んでいた。


「その認識が! その蒙昧さが! 一体どれだけの不幸を生み出したことか!」


 ゲオルグが掴みかかり、何やら喚き散らしていた。つい先ほどまで、雲のように厳かで、ゆったりとした振る舞いを見せていた彼であったが、その実は雷雲であった。彼の内に秘められた力は計り知れない。そして、そんな彼から突然轟いた雷鳴を前に、フェリオットの頭は真っ白になった。

「無知は罪だ。そして罪には裁きが待っていることを忘れないことだな」


 その時、フェリオットは片手にぶら下げていた、魚の入ったバケツを落としてしまった。一匹の魚が、さながら羊水を巻き散らされたかのように、湿った石畳の上でその身を晒している。だが当のフェリオットやゲオルグも、それを顧みようとはしなかった。


「――ああ」


 セレアの、声がした。彼女は地に跪き、手探りをしてやっと亡骸に触れると、恭しく、深い溜息をついた。


「かわいそうに」


「……」


 すると、ゲオルグは半ば投げ飛ばすように、フェリオットを突き放すと足早に立ち去っていった。その背中は、どこか震えていて、それが怒りによるものなのか、はたまた別の感情なのか、フェリオットには分からなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ