怒り
「今から取り出すわ。きちんと押さえて、絶対に動かさないでよ」
部下たちは勿論エリスにも、拭い難い冷ややかな汗が流れる。
小さめの攝子を用い、鮮血に塗れた肉の壁を掻き分けていく。
女性の悲鳴は止まらなかった。悲鳴が上がる度に、彼女は力を増して暴れた。
だが部下達は優秀で、士官の青年も兵士だけあって押さえる力は強かった。彼らのおかげで、エリスへの影響は全く無かった。
鉛に到達する。攝子の先端はざらついていて滑りにくいとはいえ、慢心は許されない。
臓器や、他の組織を傷つかせぬように、ゆっくりと取り出していく。
すると、エリスの意識は閉ざされた。意識を失ったという意味では無い。
視界には患者の傷口、両手、銃弾しか映らない。五感も限定的になり、周りの音も、雑念も、全てが消え失せた。
「す、すごい……」
エリスの部下が感嘆の声を上げる。無論、それが届くことは無いのだが。
エリスの手さばきは滑らかだった。迷いが無く、困難な手術をするために自分が居るのだとでも言いたげな自信が、彼女の顔と動作に表れていた。
「縫合器具を、早く!」
「え? あ、はい!」
気が付けば、エリスは既に銃弾を取り出していた。
続いて縫合。エリスは渡された糸と針を攝子で器用に手繰り、瞬く間に傷口を塞いだ。
縫合の瞬間、女性は安心したのか、すっかり落ち着いた様子で、呻き声は上げるものの、悲鳴を発することは無かった。
処置が終わり、女性は病室に運ばれていった。病室には、清潔な寝具があり、ルメニア会士達が世話をしてくれる。
「ふぅー。はぁ……」
エリスは瞬きや呼吸さえも押し殺していたらしい。手ごろな椅子にどっしりと乗り上げ、手ごろな水で乾いた瞳を洗い、確かめるように何度も深呼吸した。
「常人技とは思えないですよ。エリスさん」
手術の片づけをしながら、後輩は何故だか恐る恐る言った。
「えーっと……そんなに凄い事したかな、私。銃弾が内臓を傷つけて居たらまず助からないだろうし。あんたが言ってたように、感染してたら元も子もないわ」
「それでもこんな状況――戦場で開腹なんていう大手術したんですから。院長が知ったら表彰ものですよ」
院長とは、ルメニア会における医術分野を統括する人物である。首都の大病院も管理していることから、この呼称が用いられる。因みに信仰は総長という役職が束ね、院長より強い権威を有している。
「あー……そうなんだ。うん、まぁそうなっちゃうか……」
エリスはうわ言のように、呆けた様子で言った。
調子を崩された部下であったが、疲れているせいだろうと了解し、女性の容体を確認しようと病室に向かった。
「ところで貴方。聞きたいことがあるのだけれど」
一瞬、眠ってしまったように座り込んでいたエリスであったが、おもむろに声を上げた。相手はあの青年士官である。
彼は返事をしなかった。だが、無視をするつもりも無いようで、エリスの方を見つめた。
「あの傷の付き方、やっぱりおかしい。普通なら銃弾は人体を貫通するわ。まぁ、貫通してたら、失血死していたでしょうけど、何らかの要因で威力が落ちていることは自明よ。例えば……遠くから狙撃するとか」
エリスの推測は正しく、また、青年が反論する様子も無かった。
「本当は何があったの?」
核心を突く問い。エリスは青年が嘘をついていると看做していたのだ。
すると、青年は懺悔するように膝を崩し、気鋭の若者のみが放つ、まばゆい瞳の輝きを失わせた。
「ほんの……ほんの出来心だったんだ。 まだ一人も殺していない事を仲間に馬鹿にされて……!」
罪を告解し、青年はこらえるように顔をひきつらせた。
エリスの修道服や、青年の跪く光景が相成って、ここは一種の教会堂を彷彿とさせた。
「野営地から離れた荒野で人影が見えて……誰にも見つからないだろうって……気が付けば俺は、槊杖を手にしていて……」
「もういいわ。これ以上聞きたくない」
懺悔は成されなかった。エリスは呆れと侮蔑を隠す事なく目の前の罪人に手向け、そのまま立ち去った。
エリスは診療所を離れた。患者の世話は部下達だけ事足りるので、問題は無い。
行き先は司令部であった建物だ。理由は不明だがクレイグの指定である。
エリスは惨劇の舞台とも言えるあの建物に赴くことに、気重になった。
如何に五年前の真実を知ることが出来るとはいえ、漠然とした恐怖が心にまとわりついて晴れなかった。




