医師の道
野営地の修繕は昼を通して続けられ、夕方には殆どの作業が済み、任を解かれた兵士達は思い思いの場所へと散っていた。
兵達の楽しげな話し声や、騒ぎ立てる声、冬の寒空のしんみりとした空気や、誰かの慟哭が不思議と溶け合い、野営地の中で寂しげにこだましていた。
エリスはクレイグと別れていた。クレイグはラティエス王を人目につかせず野営地のどこかに隠匿する必要があったし、エリスも先の戦闘の負傷者達の面倒を見る必要があったので、道案内の“報酬”に関してはお互いの雑務が済んでからにするべきだろうと了解したからだ。
エリスが戻ると、負傷者たちはルメニア会士達によって設営された臨時の診療所に運び込まれていた。
負傷者達の多くは、あの“火薬”によって傷つけられていた。未知の兵器であるので、処置には慎重さが求められる。
別れ際、クレイグに兵器について詳細を聞くと、特に惜しげもなく(その時も饒舌になったのだが)教えてくれた。
あの兵器はマスケットと名付けられていた。聴き慣れない語調なのは、大陸の言葉ではないからだそうだ。
――マスケットの仕組みは単純である。
手元の側に取り付けられた火皿と言う部位に火薬を注ぎ、銃口にも火薬を注ぐ。
それから銃弾という鉛製の球体を銃口から入れ、槊杖という棒で奥に押し込む。
そして引き金を引き、火打石が火花を散らせて火薬に引火、爆発によって、銃弾を発射するのだ――
クレイグに頼んで、銃弾の見本をいくつか貰うこともできた。
軽傷の患者は簡単な処置で済んだ。傷口を洗い、必要とあれば切開し患部の汚染を取り除く。後は包帯を巻きさえすれば患者は安心して快方に向かった。
患者の多くは軽い傷であった……もっとも、マスケットを撃たれた殆どの人々は、即死であった故なのだが。
エリスがある程度患者達の治療を済ませて休憩していると、女性が運び込まれてきた。
歳はエリスと同じくらいだろうか。彼女は腹部にひどい怪我を負っていた。
患部は服の上から乱雑に包帯が巻かれ、一応の止血は施されていたものの、呻き声を上げる彼女の容体は芳しく無かった。
「早く台に乗せて!」
すぐさま指示を出す。女性は清潔な布を敷いたテーブルに寝かされた。
「何があったの?」
女性を担いできた青年に問う。彼は皇帝軍士官のようで、煌びやかな肩章から、若年ながらも高い地位を有しているようだった。
また、彼はマスケットを背負っていた。
「いきなり襲ってきたんだ……威嚇のつもりで……まさか当たるとは……」
士官の言葉は不明瞭で、聞き取り辛かった。エリスは業を煮やし、苛立ちを募らせ、つい言葉を荒げるのだった。
「はっきりしなさい! マスケットを撃ったのね? 地面には倒れたの? 他に怪我の可能性は?」
山も震え上がるかのようなエリスの喝は、士官の呆けた意識を呼び戻した。
「え、えっと。その通りだ。地面には倒れてない。他に怪我もしていないと思う」
エリスは確認すると、すぐ処置に取り掛かった。
助手を何人か呼び、器具を用意させる。野戦病院であるので、十分な道具は期待できない。
服と包帯を鋏で断ち切り、患部を注視する。包帯を外した為か、小さなガラス玉程の穴から、少しずつ黒い血液が溢れだしてきた。
次に、女性を動かして背中を見る。腹部に反して、背中はきれいなままだった。
疑問が浮かぶ。エリスが戦闘を目の当たりにしたとき、マスケットの威力は人体を貫く程だった筈だ。
「おかしいわ。マスケットに撃たれたら、こんな傷じゃ済まない」
今一度、士官を顧みる。彼は額から汗を流し、落ち着かない様子だった。
「すぐに切開するわ。中に銃弾が入ってるかもしれない」
刃物を渡すよう指示を出す。だが指示を受けた彼女の部下は、それを拒んだ。
部下はどこか臆病な女性だった。エリスとは歳が一つ下の後輩で、ルメニア会でも面識はあった。
「だ、駄目です! 腹部を開くという事は、内臓にも何らかの影響を与えかねません! 首都の大病院ならともかく、設備が不十分なここでは……」
部下の言い分は正しかった。衛生環境が悪いこの診療所では、処置の最中に何らかの感染症にかかる可能性は十分あった。
部下は暗にこう言っていた……『現状、相手にするべきは、助けられない者ではなく、助けられる者だ』と。
するとエリスは部下を黙したまま見つめた。それだけで、気の弱い彼女は慌てた様子で指示に従った。
刃物と留め具を両手に構え、深く深呼吸。
『私なら……出来るはず』
助けられない可能性は確かに高い。だが何もせずに患者が死ぬなど、エリスには耐えられない事だった。
傷口に刃物を当てる。家畜の肉を捌くような感触と音が鳴り、体内を守る皮膚と肉は紙のように分かたれ、内包していた血液が穏やかに溢れた。
『……!』
女性が言葉の無い悲鳴を上げる。
麻酔に類する薬物など無い。尋常ならざる精神でなければ、耐えられるはずも無かった。
身体を貫く鋭い痛みと、体内を暴かれる恐怖によって、女性は本能の限りたけり狂った。
「押さえつけて! それと口を布で巻きなさい」
的確な指示。後者は、舌を噛み切る事故や自殺を防ぐためである。
女性は数人がかりで押さえられた。これには、女性を撃った士官の青年も手伝った。
暴れ出す事は予見していたが、実際に目の当たりにすると、流石のエリスも気が滅入った。
医術を修めていた頃は、何度も遺体を相手に練習していた。だが今は戦場で、相手は生きた人間である。加えて麻酔が無いともなれば、練習のそれとは全く性質が異なるのも当然である。
部下や士官が押さえつけている間、不意に女性の瞳が目に入った。
痛みで涙を浮かべ、この世の全てに絶望したような、無機質な表情をしている。
だが女性の瞳は、エリスに対する憤怒と憎悪に燃え上がり、心を毒する負の活力に満たされていた。
『……』
もう一度深呼吸。
血は慣れない。肉を裂く感触も、臓物も、全てが悍ましいが――
肩には草刃。胸には医師の誓い。
散漫した意識をかき集め、両手に全霊を注ぐ。
ここからは、額についた虫をはらう事も、時折入り込んでくる夜風に身を震わせる事も許されない。
開いた肉を、器具によって更に広げる。そして、細心の注意を払いつつ、小さな蝋燭を出来るだけ近づけた。
『そこに居たのね……』
肉と肉のはざまに垣間見える臓器を避ける。銃弾は内部で紆余曲折していたようだ。
ずたずたに傷つけられた肉に沿っていくと、あばら骨の傍で、気色の悪い肉片を纏った鉛玉が姿を現した。




