母なる国よ。愛国者よ。
野営地のあらゆる施設は、既に殆どが皇帝軍の手に落ちていた。
武器、食糧、資材といったものは全て接収され、逃げ遅れた兵士やその他の人々は捕虜として身柄を引き受けられた。
捕虜達は野営地の至る所に集められ、何れも黄金色の軍服達に見張られていた。
中には抵抗して暴れまわる者も居たが、少しでも騒ぎが起これば、直ぐにあの恐ろしい武器の煌めきと轟きが捕虜達の反抗心を鎮めた。
「しかし、未だに信じられないのだが」
いくつか施設を紹介した後、別の施設に向かっている途中で、クレイグはおもむろに口を開いた。
「貴様は本当にあの兵器を恐れていないのか? 他の者達は皆この有様なのに、唯一貴様だけが平静を保っている」
その時、歩きながらエリスの横目に映ったクレイグの姿は、曇りのない真誠な敬意と感動が現れていた。
エリスとしては、そのような感情を抱かせるほどの事をした覚えは無いので、煌めいていたクレイグの瞳は見ずに、話題を変えた。
「それについてですが、あれは……あの“輝き”は一体何なんですか? あんなもの、見たことも聞いたことも無いです」
「ふむ……」
するとクレイグはエリスの傍を離れ、近くに居た兵士に話しかけると、何かを受け取り、また戻ってきた。
彼の手の平には黒色の、ざらざらとした粒状の粉が握られていた。
「これは“火薬”と呼ばれている。ウェールの遥か東国の物でな。僅かな火種で凄惨な爆発を引き起こす。いや実はね、この火薬の兵器化を提唱したのは私なのだよ。これはきっと戦争に革命を起こす。そして同時に、世界のあらゆる暗黒を打倒する光となるだろう」
「は、はぁ。それはそれは……」
突然饒舌になったクレイグの気迫にエリスは圧倒され、どう会話を繋いだものかと黙してしまい、気まずくなってしまった。
「五年前、私は東国に赴いていた」
クレイグの口から、待ちわびていた言葉が現れた。エリスは目を見開き、気まずさからの黙秘は容易に解かれた。
しかし逸る気持ちはぐっと奥底に抑え込む。今はこの男の話を聞くことに徹するべきだ。余計な横槍を入れ、真実を知ることが出来なくなってしまうのは、愚かなことである。
「当時はまだ火薬について何も分かっていなかった。学者達を引き連れて、暦の初めから数ヶ月程滞在した。だが四月に入ると、私の元にとある報告が届いた」
その時、二人の向かう先に、他と比べて一際大きく、屋根の形状や壁の造りに至るまで豪華な装いをした建物が現れた。
古びた木製の造りで、誰が造ったのかは明らかではない。
所有者は無く、打ち捨てられていたところをフォルティスが接収し、臨時の司令部としていた。
エリスは案内人としての役目を思い出した。
「ここは司令部です。それと、実はここに……」
「知っている。国王が居るのだろう?」
「な……」
何故知っているのか。問いたかったが、どこからか現れたウェールの兵士達が司令部の周囲を取り囲んだ。
彼らは閉ざされていた扉を破壊せんと、鈍器で叩いていた。
「貴国の王とは面識があってな。奴の事だから無理矢理連れられもしない限り、自ら動くことは無いだろうと思っていた」
固く閉ざされていた扉が、破裂したかのような音を立てて砕かれる。中への道が開かれると同時に、取り囲んでいた兵士達が殺到した。
「待って! 乱暴は……」
「従う限り手荒なことはせん。もっとも、“彼女”には反抗をしようという意志さえも、あるとは思えんが……」
すると、建物から数回、あの火薬と呼ばれる物の耳障りな轟音が鳴り響き、何人かの男の悲鳴と、断末魔と、うめき声とが、順番に聞こえた。
「近衛剣兵を連れてこい! 銃兵を死なせるな!」
烈火の如きクレイグの怒号。すると方々で捕虜の監視をしていた兵達がばらばらに集まっていき、司令部の前に整然とした、一つの横隊を形成し始めた。
断末魔と銃声は止んでいた。奇妙なまでに打って変わった静けさに、エリスは少し眩暈がした。
すると一人の男が、無残に破壊された司令部の戸口に現れた。
男は先程殺到していったウェールの兵ではなく、フォルティスの兵士だった。志願兵よりは幾分煌びやかな軍服の形状を見るに、職業軍人だろう。
男は剣を片手に、鋭い視線で近衛剣兵の横隊を眺めた。続いて眉をしかめ、不機嫌な様相をしながら剣を掲げると、近衛剣兵達の前に立ちはだからんとしていた。
「ただの一人も! 我々の中には貴様等ウェールの世話になろうという者はおらん! 我々はこのフォルティスに、故郷に、王に、己の全てを賭け剣を捧げたのだ。剣が折れることはあろうとも、戦う意志を曲げることは決してあり得ん!」
男の言葉に呼応して、司令部の中から熱気ほとばしる鬨の声が上がった。
「貴様等は王に仇成す賊だ! 家を荒らす盗人だ! 貴様等のような悪逆非道の者共が、この世に栄えたためしなど一度も無い。貴様等はそれを知ることもないのだろう、恥じることもないのだろう。だから我々が教えてやる。真に事を成すという事は、こういう事なのだ。雄たけびを上げよ! 王の御名と共に!」
再三響く叫び声。と言っても、彼らの人数は少なく、気迫は鋭いが音としては虚しくも近衛剣兵達の雑音に溶けてしまうのだった。
「あくまで祖国に殉ずるか……。その愛国心、我が国の民にも見習わせたいところだが、己が間違いも理解せず戦う事に、何の意義があるのだろう?」
その時クレイグとエリスの後方から、馬に跨った深い赤色の長髪を纏った女性が、二人の近くに躍り出た。
女性はフレイヤだった。珍しい赤色の髪、透き通った肌がエリスの目を奪う。
それほど歳が変わらないであろうフレイヤの神秘的な容姿に魅入られ、眩暈がしてしまった。
「校長……いえ、総司令官。剣兵の配置が完了しました」
「よし……突撃させろ」
フレイヤは応じ、クレイグの命令を方々に伝え回った。
遥か遠くにそびえるロデス山脈の尾根から、燦々と輝く太陽の光が降り注ぐ。
夜明けは、近く訪れていた。




