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イヴェディア  作者: Rais
第二章 闘争 ~生は遠く、死は近い~
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夜は明ける

フェリオットの部隊が出発して後、エリスはルメニア会の医師としての雑務に追われていた。


 軍に提供可能な物資の品目や、それら物資の残量が記された資料。医療要員の勤務状況が記された資料や、軍からの要員補充の嘆願書。


 これらの他にも様々な資料、書類が、わざわざ持ち込んだエリスお気に入りの机の上に山積していた。


 時刻は夜半をとうに過ぎ、朝日こそ見出せないものの、夜はまさに明けんとしていたが、そんな夜明けの兆しを、エリスは出迎える余裕など無かった。


 半ば機械的に、資料に目を通す。嘆願書の類は、殆ど非現実的な要求ばかりで難しい思考は必要なかった。


 これもまた、彼女は歯車に動かされているかのように、拒否欄へ署名をしていった。


 まるで無機物の如く手を動かしていたエリスであったが、流石に夜通しの作業は堪えたらしい。


 彼女はきりのよいところで作業を止め、おもむろに立ち上がると、足早に、外の空気を求めて天幕の外に出た。


 野営地は一つの明かりも灯されず、遠く仄かに輝く月明かりだけが、唯一の視界の源だった。


 外には誰も居なかった。夜明け前の穏やかな空気を、エリスは独り占めにした。


 清々しい風に吹かれ続けて、エリスの心は洗われていったが、あらゆる雑念が消えていくと同時に、周囲が閑散とした場所であることをまざまざと感じ、不意に強い孤独感を覚えた。


 孤独は風には流されない。不意に覚えた負の感情に押し潰されそうになったので、エリスは当ても無く野営地の中を歩き始めた。


 すると、狭苦しい野営地の中でも、少し高く開けた丘に辿り着いた。真昼であれば、良い景色が臨めただろうか。


 その時、遠くの山々に連なる空から、何かが響いた。


 鈍く低い雷鳴のような、聴くものに恐怖と不安をもたらす、強烈な炸裂音。


 また、未だ空には太陽が昇らないながらも、鳴り響く音の度に激しい光がもたらされ、夜に紛れていた山々の輪郭や、麓に林立する針葉樹の群れを明らかにしていった。


 そして明らかにされたのは、自然の姿だけでは無い。山の麓には無数の黄金色の衣服を着た人影がひしめき合っていた。


 エリスは当初、そこで何が行われているのか、彼らが一体何者なのか理解できなかった。


 だが次の瞬間に、エリスは理解した。今度は悲痛に響く断末魔や、怒りに満ちた罵声が聞えたのだ。


『敵が来ている!』


 心内に落とし込まれていく不安と恐怖。在りし日の記憶を思い出し、身体はすくみ上がってしまった。


 騒がしさに気づいたのか、天幕から兵士や、将校、後方勤務の者や、エリスの同期といった人々が、外に出てきた。


 誰もが皆、エリスと同じように、遠くの山で何が行われているのか理解出来ていないようだった。


 しかし目を凝らし、耳を傾けると、行われている事柄が戦闘行為であり、人が死んでいるという事実を認識していくのだった。


 誰よりも早く行動したのは将校達であった。彼らは兵士を率いて武器を持たせ、野営地の外へと向かっていった。


「散兵線が攻撃されている! 誰か後方に早馬を走らせろ! 前線の連中にもだ、急げ!」


「黄色い軍服ということは、皇帝の直轄軍だ……奴ら、精鋭を送り込んできたぞ」


「私達は逃がしてよ! 後方勤務なのよ!? ここに残る必要は無いじゃない!」


「駄目だ! 逃亡は許さない……督戦隊を編成しろ。他の連中に見つからないようにな」


 何人かの将校は野営地に残り、残された人々の規律を保っていた。


 だが、誰もがそれぞれの役割を全うし、必死に対応をしている中でも、人々の瞳は、心は、断続的に、しかしはっきりともたらされる光に向いていた。


 人々は羨望の念を抱いていた。耳障りな轟音が鳴り響くとはいえ、暗闇が支配する夜明け前の中でなお、まばゆい明かりをもたらす光に、人々の心は踊った。


 ――だが強すぎる光とは、時に苦痛をもたらすもの。


 その時、断続的に放たれていた光が、次第に収まっていき、程なくして点々と輝いていた光や、煩わしい音が一斉に、整然と止まった。


 辺りは一瞬にして、夜の静けさを取り戻したかのようであった。しかし、それは束の間の平和。


 突如、今までのあらゆる明かりをも凌駕する光と、あらゆる音を打ち消す爆音が、人々の前に映り、響いた。


 次に聞こえたものは悲鳴、と視認し難い何かが空気を切り裂いた音だった。


 空気を裂く音に関しては、弓矢やクロスボウのそれに近い。だが、もたらされる結果は、矢やボルトなど易しく、それより悍ましく、忌避すべきものであることを想起させた。


 視認し難い何かは大量に放たれていた。それらは殆ど、野営地の外に出ていった兵士達にぶつかり、彼らの身体を貫いていた。


 貫かれた兵士達は、その部位によって反応を異にした。


 腕だった者は、棒を投げたかのように宙に舞う腕を見つめ、外れてしまった肩の関節を、無意味にも必死に治し続けた。


 胴だった者は、内臓を傷つかせ、肺からの喀血、または胃からの吐血で地面をどす黒い赤で染め上げた。


 頭だったものは、下手な人形師が、劇中に突然人形を落としてしまったかのように、突発的に、何の脈絡も無く、その生命を散らせた。


「う、嘘……」


 エリスはその光景を目の当たりにして、明確な無力感を覚えた。


 彼女は医術を修めるうえで、患者がどのような怪我をしているのかを見分ける知識が必要とされ、同時に怪我の要因と成り得る物についての知識も修めていた。


 その過程で、彼女はフェリオットには及ばないにせよ、武器に関する知識は人並み以上に持っていた。


 兵士達は、何らかの遠距離武器によって攻撃を受けていることは確かであった。


 弓矢や弩ではないことは、その異常なまでの殺傷力から理解できる。では、これら二つの威力など遥かに凌駕する、攻城弩バリスタなのだろうか?


 しかしここは荒地。いかに威力が高いとはいえ、貴重な人手や時間を消費してまで、攻城弩を持ち込むとは考えにくい。


 また、攻城弩は再攻撃に時間を要するので、兵士達が矢継ぎ早に倒されていく事実に説明がつかなかった。


 ではこれは、別の“何か”だ。弓矢や弩でも無く、攻城弩でも無い、全く別の武器なのだ。


 エリスが気づいた頃には、兵士達が――誰もが皆、逃げ惑っていた。


 つい先程まで、憧れさえ抱いたあの光と音の前に、人々は当ても無く、ひたすらに走り続け、時には転び、時には音と共に放たれた何かに貫かれ、絶命した。


 エリスは動かなかった。恐怖したわけでもなく、諦観したわけでもない。


 彼女は見出そうとしたのだ。暗く静かな夜の中に、光を灯し轟音をもたらしているかの武器を。


 何度か耳や腕や足の直ぐ傍を、何かが掠めた。


 知らない事を、あたかも既知の事のよう振る舞うのは、愚かな事である。


 恐怖は感じない。エリスは未知のものに対しては、無闇に価値付けることはしなかった。


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