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イヴェディア  作者: Rais
第二章 闘争 ~生は遠く、死は近い~
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黒い空

 男は、豪華絢爛かつ威風堂々たる装いで、それに勝るとも劣らない様式の、巨大で荘厳な部屋に居座っていた。


 彼とその周りを取り囲む数名の護衛だけでは、部屋の広さと華やかさはいささか不相応で寂しささえ覚えさせたが、むしろそれが、この場の厳かな空気を助長させてもいるようだった。


 すると、広大なこの部屋に似つかわしい、巨大な戸口が勢いよく開け放たれ、脇に書状を抱えた男が、急ぎ足で入ってきた。


 その顔は暗く、まるで生気が感じられない。


 だが入ってきた男は、門番に遮られた。男は困ったような、苛立ちを露わにした表情を見せ、兵士と押し問答を繰り広げた。


「伝令だ! 何をしている早く通せ!」


 逸る気持ちと恐怖で、震え気味となった声で指示を伝える。


 入ってきた男は、自身を押しとどめていた兵士を一度睨むと、椅子に腰掛ける男に、恭しく礼をした。


「ベルムハルト陛下……南方の国“フォルティス”が、ついに我が国“ウェール”に、宣戦を布告しました」


 身を屈めながら書状を渡すと、まるで己の罪を吐露するかのように、伝令の男は怯えながら呟いた。


「うむ……」


 ベルムハルトと敬意と羨望が込められて呼ばれた彼は、この国……ウェールの皇帝である。


 彼の一族特有の気品ある金髪を携え、本人曰く、煩わしいだけの豪華な髪飾りがそれを痛ましいまでに際立たせていた。


 背は決して低くはないが、彼の体格には少し背伸びしたような外套を纏っていた。皇帝としての気品を保つためとはいえ、彼の装いは平生身に付けるには少し派手に過ぎた。


 歳は二十八。即位したのは十六の時である。


 先王である彼の父は幾度とない戦の末病床に臥し、たった一人の皇太子であった彼に帝位を譲ると、崩御した。


 若い彼が皇帝となるに当たって、人々は不安を募らせたが、彼の明晰さ聡明さといった真摯な性質と、それに適う実力を前にして、次第にそれは払拭されていった。


 帝位を継いでから数年。民衆の多くは彼を支持し、熱狂した。そうして彼は、皇帝としての基盤を確固たるものとしていた。


「伝令、大儀であった。今日はもう休むがよい」


 彼は受け取った書状を確認し終え、伝令の男を手厚くもてなすよう指示すると。深呼吸をし巨大な椅子に深く座り込んだ。


 書状の内容はまず、宣戦布告が事実であるという事、そしてフォルティスがその理由として、魔族の融和政策に対する報復であること、さらにウェールが領有する南部諸地域の所有権を認めなかったことによるという、この三点であった。


 皇帝は瞑想するかのように瞳を閉じ、またも深く息を吸い、吐いた。


 慎重に、しかし大胆に。苛烈に、時には穏やかに。


 今、己の手腕が試されているのだと考えると、彼はどこかぼんやりと胸が熱くなっていくのを感じた。


 その時、謁見の間の扉が伝令の時とは対照的に、ゆっくりと、落ち着いた様子で開かれ、一人の男が入って来た。


 切れ長の鋭い瞳を持ち、不思議なことに、色を失い真っ白になった髪の毛。


 装いは髪の色のそれとほぼ同色の、ウェールの白い軍服を身に付けていた。


 だが、彼を軍人と呼ぶのは適当に感じられなかった。なぜなら彼の体は一般的な兵士より、一回りも二回りも体格が小さかったである。


 しかし軍服を着ている以上軍人であるのは間違いないのだから、つまるところ、彼は実戦に参加する兵士では無く、作戦立案、計画などを担う参謀の類であるということだ。


 先程とは違い、彼は門番に制されることはなかった。


 その男は伝令の男のように、生気が感じられなかったが、それは恐怖からでは無く、彼の心の奥底、根本から何かが欠如しているかのような、そんな深く暗い重苦しい面持ちをしていた。


「来たか」


 皇帝は、高ぶる感情を抑えながら、男に向かって言った。


「外に出る。ここでは話し辛い」


 ベルムハルトは続けてそう言い立ち上がると、男を引き連れ、城下を見渡せるバルコニーへと出た。


 晴れ渡った青空が二人を出迎えた。しかし、何やら城下の街々から吹き上がる黒煙が、千切れた雲や薄い雪を纏った遠方の山々をくすんだ黒色で汚し、美しいはずの景観を崩しているのがはっきりと捉えられた。


 気温は暖かく、長い冬の後にもたらされるこの春の気候はあらゆる人々を幸福にさせていたが、少なくともこの景色を知る二人にとっては、それは酷く矛盾した一つの風景であった。


「見ろよ。この国で最も美しいと言われた街並みも、東方からもたらされた最新の冶金術を携えた製鉄所によって、その景観を崩しつつある」


 突然、皇帝の統治者らしい厳かな口調が、気心の知れた友人のような砕けた口調となった。つい先程までの、普段の彼を知る者ならば、それは驚愕することだった。


 しかし皇帝に連れ添う彼は、むしろそれが自然であるとでも言うかのように、平然とし、黙したままベルムハルトの言葉を聞いていた。


「吹き立つは黒煙。流れるは血。荒れ行く我が世の、春は何処いずこへ……」


「詩なんぞ夢想する暇があったら、机上演習で好成績を得る為の方策を練ることだな。宣戦布告された今、いつ攻撃されてもおかしくないのだ。国内の公務は減らして、余った時間は全て貴様の習練にあてがうことにしよう」


 淡々としかし的確に。問答無用で重罪に課せられん程の“諫言”をしたこの無礼者は恐ろしい事に、皇帝という人の上にあって然るべき存在を前にしながらも、口調を尊大に保ったまま言い放った。


「んん、そしたら民衆の不満が高まるきらいもあるんじゃ。敵と戦っている時に、後ろから背中を斬られちゃあ、たまったもんじゃない」


 だが真に異様な事だが、皇帝は怒りもせず、威厳をすっかり失った声調と仕草で言った。


「問題ない。戦争ともなれば、憎悪の対象は全て敵へと向かう……確かにそれは放ってはおけない問題だが、今は勝利することが肝要だ」


「それって逆に利用出来そうだな。これを理由に課税を増やしたり、義勇軍も編成出来そうだけど」


「それも良いが程々にな。我々は敵を殺す為に戦争をするのではない。敵を正す為に戦争をするのだ。暗闇の中にある人々に明かりをもたらし、目覚めさせる……憎悪でこれをすれば、我が国の民は永遠に彼らを蔑むだろう。それでは全てが無意味だ」


「正義の戦争ってやつかい? ま、その辺はよくわらかんから任せるさ」


 二人は友であり、同時に師と弟子でもあった。


 前皇帝の時代、男は幼かったベルムハルトを教育する為に雇われ、即位して後ベルムハルト自身の望みでそれは続いていた。


 長年の付き合いから互いを知り、気心を理解した二人は公的な場を除いて、皇帝とその部下、師と弟子といった壁を取り払い接するのだった。


「そろそろ将軍達が勘付き、貴様を訪ねる頃だろう。私は前線に赴き、例の実験の準備をする。せいぜい貴様も精進することだ」


「はいはい、俺はお前の、哀れな傀儡ですよーっだ」


 煩わしい諫言を前に皇帝はたるんだ表情で毒づいたが、己の師の表情が全く真剣なことに気付くと、彼もまたそれに倣った。


「これが俺達の……いや、お前さんの第一歩か。ふふ、弟子ながら感慨深いよ」


「……」


 皇帝は、真顔で冗談を言うのはまずかっただろうか? などと考えながら、無言で去り行く師の背を見る。


「お前の理想どこまで届くやら。果ての無い道――それは真夜中の月のように、美しいが孤独なものだよ。クレイグ……」


 街の美しい景色を失わす黒い煙は空高くまで昇っていき、光をもたらす太陽でさえ、霞ませていた。


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