白い鍵盤
挿絵作成:陽一さま
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指定ジャンル・必須要素:特になし
世界的にも有名なピアニストがいた。
きっと将来、日本を出て、世界に羽ばたく素晴らしいピアニストとして、生きていく……はずだった。
彼女の不運は、きっと、バイクが好きだったことに他ならない。
しかも、一人でツーリングするのが趣味だったというから、目も当てられないだろう。
彼女は将来を期待されながらも、若くして亡くなった。
あっという間の事故だった。
幸いなことは、外見的な部分は無事だったということだろうか。
彼女を引き取りに来た家族がそろって、「眠っているようだ」と言っていたそうだ。
そんな彼女に……私は若干、憎らしいと思うときがある。
それは……。
「なんとか、なったよ」
「これって、何とかなったって部類に入るの?」
私は彼にそう、ぶっきらぼうに答えた。
ピアノのような鍵盤のステージにしてくれって言ってたのに、いざ、会場に来たら間に合わなかったから、白い鍵盤しかないし。
スクリーンに映し出すっていうのに、機材がなくて、急遽、近くのスタジオから無理を言って借りてきたもの。だから、見栄えもあまり良くない。
そうだというのに、映し出された彼女は、あの頃と同じ、輝きを持ったまま、インタビューに答えている。
この映像は、生前、コンサート後に撮ったものである。
だから、彼女はドレスを着ているし、コンサートの緊張が解れた後なので、若干、興奮気味な気がする。
だからだろうか、余計に輝いて見えた。
彼女の一言一言。
手振り身振り。
視線の変え方。
そして、眩しいほどの微笑み。
今日は彼女の命日だから、イベントをやろうということで、生前の映像を使って、こうして、幻想的なステージを作り上げた。
いろいろと失敗してはいるが、客の評判はまんざら悪くはない様子。
最後には大拍手のうちに終わる事さえもできた。
「綺麗だったね」
彼と二人で機材を片付けていく。
「姉さんは綺麗だったよ」
懐かしむようにそういう彼が、少し羨ましい。でもそれだけじゃない。
ちくんと突き刺すような、胸の痛み。
わかっている。
体が弱っているから、不調を訴えている痛みじゃない。
これは、心の、痛み。
「それにね、姉さんは白い鍵盤が好きだったんだ。何色にも染まらない白がいいって」
「……そうなんだ」
白い鍵盤を模したステージに腰かけて、彼は微笑む。
「少し君にも似ているよ」
その言葉にどきんと胸が弾み始める。
「ど、どこが?」
ちょっと強い物言いになってしまったかもしれない。けれど、今さら変えられないまま。
「そのツンと意地を張るところ」
「それって、喜んで言い訳?」
くつくつと笑う彼に、私は隣にいって小突いてく。
「そこは喜ばなくていいかな。でも」
彼は瞳を細めて、私の頬に手を当てた。
「今日はありがとう。お蔭で助かったよ」
「どう、いたしまして……」
ツンとしながらも、私がそう答えると。
「ああ、でもお礼はもう少し後でね。ほら、まだ撤収できてないし」
「そ、そうだったわね。急いで機材とか返さないと」
ばたばたと私はプロジェクターを仕舞おうとして、間違ってスイッチを入れてしまった。
再生されるのは、先ほど流したインタビュー映像。
『私のピアノで、ステージを満たしたいんです。だって、その方が素敵でしょう?』
まるで、そこにいるかのように、彼女はしゃべり出す。
この人はもう、いないのに。
彼の傍には、いないのに。
「ごめんなさい、切る……」
スイッチを切ろうとする手を、彼は体ごと引き寄せて止めた。
「ちょ、ちょっと……」
「ごめん、そのままにしてくれる? 姉さんに会うのは、久しぶりだからもう少し見ていたいんだ」
どんな存在だったかわからないけれど。
その彼の一言で、私は何も言えなくなってしまう。
本当に彼女がいたら、私達のことを見て、何て言うだろうか?
『素敵ね』
え? 思わず顔を上げた。
『弟のこと、頼んだわね』
彼女は確かにそう告げると、ふっとスイッチが切れたかのように、消え去った。
いや、消えたのはプロジェクターのスイッチが切れたからだ。丁度、インタビューの最後が流れていたから。たぶん、きっと。
「ごめん、僕のわがままでこんなに遅くまで残らせちゃったね」
「まあ、たまには付き合ってあげるわ。それに」
「それに?」
「……ううん、なんでもない。ほら、早く機材しまって、撤収するわよ!」
私は彼を促して、さっさと撤収作業を進める。明日にはまた、新たなステージがここで展開されるのだ。その前にこの白い鍵盤をどかさなくてはならない。
そう、彼女が楽しげに座っていた、この巨大な鍵盤ステージを。




