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掌・短編怪談

聞こえた

作者: 芦川玲

 それを体験したのは、中学一年生の春だったと思う。



 私のクラス担任はホームルームが長いことで知られていて、その日もうちのクラスが一番最後に下校していった。中でも日直だった私は教室の鍵を閉めるために、最後の一人が帰るまで待たなければいけなかった。

 時刻は五時にさしかかり、廊下を通る人もほとんどない。

 一緒に帰ろうと約束をしていた友達は、「委員会の用事があるから廊下で待っていて」と言ったきり、影も見えなかった。鍵を持って待つこと一時間、読む本もないのでぼんやりと壁にもたれていた。たまに話し相手になってくれる先生もいたが、みんな用事があるので長くはとどまってくれない。


 うちの学校は、他学年のフロアは階段以外立ち入り禁止なので、下駄箱に行く廊下はここしかない。まさか先に帰られたということはないだろうけど、それでも不安になるくらい長い。私はイライラしていた。


 一年生の教室は三階にあり、校庭に面した窓から夕日が差し込んでくる。山の端にかかる日はもうすぐ沈むだろう。そろそろ運動部もストレッチを始めている頃だし。私は職員室の前で待機することにした。そういえば握ったままの鍵も返さないと。ちょうどいいかなと、そう思った。



 職員室は二階にある。カバンを持って、三階から二階へ行こうとする。一人きりの廊下に、響く足音がやけに大きく聞こえた。


 途中でいくつかの教室を通り過ぎ、ふと、突き当りで足を止めた。誰かの話し声を聞いた気がしたのだ。しかし、振り返っても誰もいない。教室だろうかと思ったけど、通った教室は全てドアがしまっていて、誰もいなかったはずだと思い直す。


 話した先生たちにも、一年は早く帰るようにと言われたし、足音を聞いて、教師だと思ってとっさに隠れたのかもしれない。それにしては、どこの教室も明かりがついていなかったのが気になるけれど。春とはいえまだ日暮れは早く、五時からは日も沈むからかなり薄暗い。雑談をするにしても、明かりをつけないのは不便じゃないだろうか。

 不思議に思ったけれど、大して気に留めることでもない。私はそのまま職員室に向かった。



 職員室に鍵を返して、扉の近くで友達を待っていたら、何人かの先生に声をかけられた。早く帰りなさいとか、そんな内容だ。親に電話して迎えを待っているんです、と適当にごまかしておいた。


「あ、いたいた!」

 一階から階段を上がってきたのは、私がずっと待っている友達だった。

「ごっめーん、もうちょっとかかりそう。もうすぐ、すぐ終わらせるから! 待ってて!」

 そう言われて一時間待たされているけど、ホントホント、と頼み込んでくる彼女に否とは言えず、結局頷いてしまった。


「あと、あたしのヘルメットが廊下にかけてあるから、取ってきといてくれない?」

 事情を詳しく話そうとする友達を遮って、分かったからそれより早くして、と急かす。ヘルメットには名前が書いてあるし、探せばわかるだろう。なんにせよまた三階に行くことになってしまった。


 カバンを壁際に置いて、上階へ。今度は教室に残っている人がいないか、ちゃんと確認しようと考える。このままでは落ち着かない。というか不気味だ。



「――えっ」


 階段を上りきったところで、思わず声が出た。ドアがひとつ、開いている。それも私の教室のドアが。私が今しがた鍵を返したはずの、確実に閉まっているであろうドアが。


 なんで。


 とにかく誰がいるのか確認して、ちゃんと鍵を閉めるように言わないと。鍵のかけ忘れは日直をやり直しだ。それは嫌だった。それだけを考えて、ヘルメットを取る前に自分の教室に向かった。



 ぎりぎり教室の中が覗けないくらいの距離まで来ると、誰かの話し声が聞こえた。先ほど聞いたのと同じ、囁くような声だ。数人の女子生徒の声。雑談をしている雰囲気ではなかったので、出て行くタイミングを伺うために聞き耳を立てる。


 《こっくりさん、こっくりさん、鳥居の奥からお出で下さい……》


 どうやらこっくりさんをやっているらしかった。薄暗い教室で明かりもなしとは、たしかにムードはある。それにしても『鳥居の奥から』とは、初めて聞くやり方だった。こういうのは邪魔すると駄目なんだろうか。十円玉から指を離すのはタブーだと聞くし、今出て行くと驚くかもしれない。


 《お出でになられましたら、『はい』の方へとお進みください……》


 それからしばらくして、きゃあきゃあと小声で騒ぐのが聞こえた。


 ――ホントに来ちゃったよ

 ――どうする

 ――ほら、質問しようよ


 十円玉が動いたんだろうか。怯えと興奮の入り混じった声音だ。私は降霊術なんかはしたことがないけれど、参加しているとそれなりに緊張したりするんだろう。

 そういえば、とふと嫌な考えがよぎる。

 私は参加せずに聞いているわけだけど、術的にはこれはタブーじゃないんだろうか。参加していない人が見聞きしていると、その人にとり憑くと聞いた気がする。

 やっぱり、今のうちに出ていこう。

 そう思って、大股で教室に近づき、中を覗いた。


 ……は?


 誰も、いなかった。生徒がいた気配すらない。中に入って見回したが、隠れている人もいない。

 ぞわりと、背筋を冷たいものが走った。

 くるりと踵を返して、走って職員室に向かった。息を切らして中に入る。教室の鍵は、そこにあった。誰かが借りに来ましたかと聞いても、先生たちは誰も来ていないという。そりゃそうだ。私が鍵を返してから、私に気づかれずに先回りして教室に入るなんて、そんなこと出来るはずがない。できるはずが、ないのだ。なのに鍵は開いていた。どうやって開けたんだろう。用務員さんか誰かが、マスターキーを使ったんだろうか。それならちゃんと閉めるだろう。

 それに、だけど、話し声は。


 確かに聞いた話し声は、なに?


 怖くなって、職員室の前でずっと立ち尽くしていた。ヘルメットを取りに戻る気には到底なれないし、もう一度戻って教室を確認する度胸なんて、なおのことあるはずもない。

 友達が来るまで待っていると、通りすがった教師に顔色をたいそう心配された。よっぽど青い顔をしていたんだろう。平気です、と答える声が震えないように、かなり気を使った。


 やって来た友達にはヘルメットのことで文句を言われたが、私の顔色が尋常でないのを見て、深く追求はしてこなかった。


「じゃあ、帰ろっか」

 三階に行きたくないと私が言ったので、一人でヘルメットを取ってきた友達が、気を取り直したように明るい声を出した。頷いて、二人で階段を下りる。下駄箱まで少し急ぎ足で行った。今日はもう、一刻も早く家に帰りたかった。


 校舎を出てグラウンドを歩いているとパニックになっていたのもだいぶ落ち着いてきた。依然として体調を気にする友達に、さっきあったことを話す。言葉にすると、なんだか拍子抜けするほど小さなことだった。もしかしたら空耳だったかもしれない。入学したばっかりだから、疲れてるのかも。そうだ、きっとそう。友達はずっと黙って何事か考え込んでいた。


 そのあとも些細なことを話しているうちに、あっという間に分かれ道についた。ここからは別々の方向だ。すっかり怖さの薄れた私は、また明日ね、と友達に手を振った。


「あ、待って」


 と、友達に呼び止められた。ん、と振り向くと、やけに近い距離に友達が立っている。さっきの話でずっと考えてたんだけどさ、と前置きして、彼女が言った。


「呼び出されたこっくりさん、どうなったんだろうね」



 私は走って帰った気がするが、よく覚えていない。

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