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王都オリエンソールは、大陸を跨ぐ広大なベルン海に連なっている。朝や昼などは他国との交易の為に、王国の港からよく船が出港したりするものだ。
先行したレオナルドとシャスティの後を追うと、ロ―ウェントとフウラは港の倉庫へとたどり着いていた。下町の隅の方だ、王国の治安の手が届かないのも当然であると言える。
ロ―ウェントとフウラは共に物陰から、暗闇の中に建つ三つの倉庫を見つめていた。
朝や昼は市場の喧騒やカモメの鳴き声などで賑やかな港も、夜にでもなればひっそりと静まり返っている。
そしてなにより……怖い。
「港の倉庫……怪しい臭いがぷんぷんしますね!」
「ま、まあ、ありがちと言えばありがちだね……」
「足震えてますよロン……」
「だって、色々と出そうだよここ……」
情けないですね……とでも言わんばかりにフウラに見られてしまっている。
どうであれ女子にそんな目をされて、怖じ気づいたままだと言うヘタレではない! ……はず。
――ワオーンーッ!
狼――レオナルドの遠吠えが、彼方から聞こえた。
「ここで間違いないみたいだ。あとはどうやってやるかだけ……」
頭は賢くないが、作戦を考えるだけのまともな頭脳はあるつもりだ。
あごに手を添えてプランを考えようとした、その矢先だった――。
「え˝っ!?」
ロ―ウェントが悲鳴を上げる。
横のフウラも唖然としていた。
二人の目の前で、シャスティがどうどうと剣を構え、まさかの正面突入を敢行しようとしていたのだ。……と言うより、もうしてしまっていた。
「女の子を返してもらいます!」
威勢の良い響きが闇夜の中で響いた。正義感の強い娘だが、それゆえの暴走か。
……と、ロ―ウェント(一つ上)は感慨深げに頷いていた。
「うん、若いね」
「冷静に分析してる場合ですかロン!?」
「あーそうだっ! 飛び出しちゃ駄目だシャスティ! ここは冷静になって作戦を考えないと!」
そう叫んだロ―ウェントはシャスティのところまで飛び出した。
「ロ―ウェントさんっ!?」
あんたこそ、とシャスティはロ―ウェントを凝視していた。
「え!? ロンも駄目ですよっ!?」
フウラが慌てて声を出した。
一切の戦闘能力を持たない酒場のオーナーが、敵陣の目の前に大声を出しながら出てしまったのでる。……そもそも酒場のオーナーの敵が幼女誘拐犯とはなんぞや、と言うツッコミはご法度である。
「外が騒がしいが……――っ!」
倉庫から、いかにもな外見の、スキンヘッドの男が出て来た。身なりから見るには下町の盗賊団、と言ったところか。下町に住んでいると嫌でもよく見かけてしまう。
そんな目を合わせたくは無いような人と今、運命を感じるかんたらな距離で、ロ―ウェントは目が合っていた。
「……ど、どうも」
眉をピクつかせたロ―ウェントが軽く頭を下げる。
「こ、こんばん、は……」
シャスティは剣を持ったまま棒立ちで挨拶。
男は、固まったままだった。そして、強張りに強張った口から、重たい言葉を言う。
「分からない……。倉庫の扉を開けたら、若い酒場の坊主と制服の女子が立っていた……?」
「一応、マスターです……」
「一応、騎士です……」
二人は即答する。
「そ、そうか……。まあ折角のご対面で悪いんだが、ここになんの用かなぁ?」
一瞬にして、空気が変わったのが分かった。男の顔に影が差し、その手の物の獰猛さを見せつけて来る。堅気じゃないと、それが分かったのは……色々な種類かつ多くのお客さんを見ている内に、自然と身に付いた、スキルとも言うべきものだ。
横のシャスティはそれに少し怖気づいたようだが、こちらは未熟でも接客業担当の端くれ。
「夜にすみません」
ニコッと笑って、ロ―ウェントが前に進み出る。
「俺たち、女の子を探してまして」
゛女の子゛と聞いた途端、男の眉がピクリと反応する。こちらが言葉尻を強調した所為も、少しはあるのだろうが。
「悪いけど知らないなぁ。ごめんよ」
「いや、そんな事は訊いていませんよ」
ロ―ウェントは笑ったまま手を横に振る。
それは少しだけ、相手を煽っているようだった。
「――単刀直入に言います」
……怖くないと言えば、嘘になる。実際、手足には尋常ではない量の汗をかき、震えている。なんで酒場のオーナーである父さんが、こんなことをやっていたのだろうと、疑問を感じた事も。
だからよく子供の頃、「なんで父さんはこんな事やってるの?」と訊いた事がある。
――ここが下町になくてはならない店だから。と、まるでそれが当たり前の事のように、たまに家に帰って来る父さんは、いつもそう返してきた。ともすればそれは、あの人に人助けの理由なんか無かったのかもしれない。
そんな父親に純粋に憧れ、そして゛騎士団の現実を知り゛――今。
「女の子を……ミントさんを返して下さい!」
ロ―ウェントは、地面を強く蹴りだしていた。向かった先は、暗い倉庫の中だ。
「ちょ!?」
「ロンっ!」
シャスティとフウラの悲鳴が、背後から聴こえた。
「ワンッ!」
影から突然現れたレオナルドも、倉庫に突入。
人一倍慌てていたのは、男の方だった。
「クソっ! 馬鹿な餓鬼が一人入りやがった! ボートを出せ!」
ボート。やはり、他国への奴隷売買か!
「聞いたかレオ!? さすが君の嗅覚だ!」
「ワンワン!」
大量の木箱が積まれている倉庫の中。魚の生臭い臭いと、塩の臭いが少しする。そんな中でもレオナルドは少女の臭いを嗅ぎ分け、発見してくれていた。
「ミントさん!」
「おっと、ここまでだ」
立ち塞がったのは、屈強な体躯の男たち。奥には眠らされているミントがいた。
レオナルドが「グルルッ!」と威嚇しているが、やはり相手も相手だった。
「犬じゃねー……魔物か?」
「人を襲うことしか出来ない能無しがわんわん吠えるな!」
――ズドン!
白い閃光が、倉庫の中で輝いた。そして次には、レオナルドを嘲笑った男たちが顔面蒼白の様相を見せていた。
自分たちの目の前の床に、ごっそりと穴が空いてたのだから、当然か。
「許せません……」
髪を逆立てたフウラが、静かな怒りの言葉を呟く。
フウラが発動した魔術――それこそが、エルフが危険視されている証拠だった。
「こ、こいつ……。まさか、エルフ!?」
「フウラは……フウラです!」
バリバリ、と空気が音を立て、フウラの怒りの魔術が発動する。魔物であり、人間を襲う。その言葉に何よりも反応してしまっていた。
いや、あのままではその言葉通りになってしまう。
そんな彼女の゛暴走゛を抑えるのは、いつも――、
「落ち着いてフウラ! 君は魔物なんかじゃない!」
ロ―ウェントが声を掛ければ、フウラははっとなる。
すぐに魔術の威力を調整し、光も小さなものになる。
「ロンっ! 大好き!」
魔術の発動は愛の告白と共に。
男たちはいろいろとなす術もなく、フウラの放った閃光の魔術を真正面から喰らっていた。
――ただの目くらまし程度の、魔術だったが……。
だが、チャンスは今だ。
ロ―ウェントは男たちが気絶したのを見て、停泊しているボートに飛び込んだ。
「なっ!?」
「ガルウッ!」
それを慌てて追いかけようとする男たちを、レオナルドがけん制する。
「よくできましたレオ! 今度なでなでしてあげます。狼モードの時だけですけどね!」
狼の気迫に立ち止ったが最後、男たちの背中を、にやりと笑ったフウラの魔術が捉えていた――。
――一人乗りこんだロ―ウェントが、ボートの小さな個室を開けると、中にはミントがいた。
「ミントさん!」
「そこまでだ」
……盗賊団のボスと思わしきごつい体格の男が、抱き寄せるようにミントの細い首に腕を回していた。
「ミントさんを離せ!」
ロ―ウェントが叫ぶと、ミントは苦しそうに薄目を開ける。微かに見えた緑色の目には、涙が見える。華奢な身体が男の手によって無理やり持ち上げられ、息も出来ていないようだ。
腰に剣も無ければ、なにかの能力もあるわけではない。
けど……。
怖い……けど、ミントさんは俺よりもっと怖い思いをしているんだ。まずは、男とミントさんを離さないと!
「金くらいまともに稼げーッ!」
他人を不幸にする金稼ぎなんて、絶対に駄目だそんなの!
ロ―ウェントは震える身体に力を込め、なりふり構わずに男に向かって、叫びながら走った。
「説教!? ……いやそうじゃなくて! 丸腰か!?」
男は驚いたようだが、すぐに冷静になる。ミントを壁に放るように手放し、走り寄ったこちらの腹部に、強い右ストレートを打ち込んできた。
「痛っ」
気の遠くなるような痛みに、呼吸が止まる。焦点の定まらない視点でロ―ウェントが見たのは、男の靴底だった。
ばちん、と何かが弾けたと感じた直後、ロ―ウェントの身体は床に転がっていた。
「ただの雑魚のクセに、いきがってんじゃねえッ!」
男が罵り、床に倒れ込んだロ―ウェントを足で踏みつけるように何発何発も蹴る。
肌がズタボロにされるような痛みと熱が、絶え間なく続いていた。
「ただの雑魚……。いや……しつこい雑魚の間違いじゃありませんか?」
頭を抑えながらも、ロ―ウェントは男を馬鹿にするように笑いかける。
自分より弱い立場の者からの嘲笑ほど、ムカつくものはないと、我ながら思っていた。
「――野郎ッ! 死ね!」
案の定、激昂した男はとどめと言わんばかりに、ロ―ウェントの腹に大きく振り切った蹴りを、お見舞いした。
あまりの衝撃に、身体の半分が、どこかへ吹き飛んだようだった。
「かは……っ。時間は……稼いだ……よ」
消えかけそうになる意識を奮い立たせ、酒場のオーナーは呟く。
ああ――眼鏡にヒビが入ってる。新しいの、買わないと……。店の貯金が……。
「ワン!」
「ロン!? ……よくも!」
一人と一匹の足音と影が、目の前まで来てくれていた。
「頼むよ。給料は、弾むから……」
稼いだ時間分、である。
※
「今回は結構派手にやってくれたな……」
眩い光が、点いたり消えたり。繁栄の時を刻む王都オリエンソールの街並みを背に、暗闇の中でそれは良く見える。
まるでパーティーでもやっているのではないかと、ベルン港の倉庫を上側から見つめながら、バー・トワイライトの常連、゛通称゛ブラウンは呟いた。
朝方店に姿を見せた下町の装いではなく、白銀の豪勢な装飾あしらった、騎士の姿。その胸元には、【王国騎士団総長】の証である、紋章があった。
「隠蔽工作は中々苦労しそうだぞ、こりゃ」
騎士のトップに立つ者らしからぬ発言を、ブラウンはしていた。
「まあまたあの店の酒飲むためにゃ、やるしかないけどな」
少しだけ面倒くさそうにため息をこぼしたブラウンの背後に、部下である騎士の男が近づく。
「総長、何か仰いましたか?」
おおっと。
あの店に顔を出しているのは秘密だったと、ブラウンは思い出す。
だから背後に控える数名の騎士に、ブラウンは笑いかけた。
「騎士団の伝統は守らないとならんからなぁ」
「何か捻くれた嫌味に聞こえますよ、総長」
「まさか。古き良き格式に従って、悪人を捕えるぞ」
「はっ」
王国の国旗を夜の風にはためかせ、騎士たちは後始末へと向かう。
「よし。゛これより我々騎士団は、パトロール中に偶然見つけた騒動に偶然遭遇し゛、捜査する! 対象はベルン海倉庫!」
ブラウンの言葉に、正義の心を持つ騎士たちは苦笑していた。