5
トワイライトは、酒場なので当然の如く夜間も営業中だ。
店の広さはお世辞にも大きいとは言えないが、それ故夜でもこじんまりとした静かな雰囲気で、客層を選ばない。……まあ噛み砕いて説明をすると、海賊みたいな連中が「ガッハッハ!」などと笑いながら飯を散らかしたりしていることは無いのだ。
静かな店内を見渡しながら、ロ―ウェントは「うん」と満足げに頷く。
「静かだ。さすが、トワイライトのお客さんは皆紳士的だ……な」
「単に人気ないだけかと」
酒が並んだ棚に腰を降ろし、レオナルドがボソッと言う。片目を隠している髪型のせいで、気怠げな雰囲気が無駄に出まくってしまっている。
レオナルドの視線は、がらがらの店内へと向けられている。ただ今の来店数、〇人。
――朝の勢いはどこへやら、本来もっとも酒場が繁盛すべき時間帯でこの有様である。
「君の所為でもあるからな、レオ! 君の接客態度は目に余る! いいか――!?」
「説教きた」
ロ―ウェントが説教を数分続けるが、レオナルドはいつもの通りに「はいはい」と軽く受け流す。
――まあ本当は、レオナルドだけの所為でもない。まずこの王都には、そもそも酒場が数多く存在している。ここよりも大きく、魔物狩りやダンジョンに向かうための出会いの確立も上がるところ。またサービスの良い店も。当然冒険者はそちらへ行く事を優先するだろう。
ただロ―ウェントはこの店を繁盛こそさせたいが、なにも大きく改装したいと言う欲望はなかった。――そこが、難しいところなのだが。
店も貴族街に立てることもなく、下町でずっとやっていくつもりだ。――もっとも、貴族街に店を建てるなど到底不可能なことなのだが。
「そう考えるとやっぱりさっきまでの人気は、エルミィとフウラ狙いか……!?」
ちなみに今現在フウラは休憩中である。はしゃぎまわっていたので――仕事中――おそらく寝ているのだろう。
「゛ヒトの怖いところだ゛」
レオナルドは笑う。
「でもさっき来た女の人は、俺とロンを見てハアハア言ってたぜ? なんだったんだあの女?」
「……やばい複雑すぎるよ……」
からん、と入り口ドアが開いた音がしたのは、ロ―ウェントが頭を抱えていた時だった。
「いらっしゃいませー!」
「いらっしゃいませー」
ロ―ウェントに続き、レオナルドも組んでいた腕を解き、真っ直ぐ立って挨拶をする。
やって来たのは、下町でよく見る服に身を包んだ、女性だった。ただその身なりはボロボロで、顔は泣いたあとか赤く腫れてしまっている。
ロ―ウェントはその時、気を引き締めた。
「レオ……」
「……ああ」
ロ―ウェントが小声で名を呼ぶと、レオナルドは全てを承知したと言わんばかりに、コーヒーを淹れはじめた。
「フウラと閉店の札を持ってくる。それまで接客は頼んだよ」
ロ―ウェントはそう言いながら、店の奥へと向かう。
――トワイライト。これより王国でももっとも酒場が繁盛する夜の業務、開始だ。
※
「無理、だな」
「そんな……!」
――教官の言葉通り、結局ギルドも答は同じだった。
燃える薪がパチパチと音を立て、中央の噴水は鮮やかな水景色を見せる。
王都オリエンソール第二の巨大さを誇る、冒険者ギルド本部の受付にて。シャスティは窓口に手をつき、驚愕の表情を浮べていた。
「冒険者ギルドへの依頼と言う形で、受け付けられるんじゃないんですか!?」
シャスティの言葉に、受付の大人の女性はふう、と息をついた。
「まず一に、これは犯罪と言う形。二に、これは下町の事件。三に、報酬金が用意できない。君のなけなしの貯金でも崩すかね?」
「……っ。失礼、しました……」
高額な報酬など、今のシャスティにはとても払えそうになかった。
シャスティは後ろに列が出来ていることを確認し、窓口から離れ、ギルド本部の施設内を歩いた。――彷徨った、と言ったほうが正しいか。
「冒険者ギルドも、駄目だったなんて……」
騎士は国民を守る為にあるはずだが、自由に動くことは許されない……。そしてギルドも、魔物討伐や金の話でなければ動いてはくれない。それはこの王国に垣間見える、王政政治の穴なのだろう。
せめて自分にもう少し力があれば、例え騎士のルールとやらに反しても一人で少女を助けに行っていただろうと、シャスティは内心で悔しさを呑み込んでいた。
外に出ると、夕日は巨大な門の先に消え、すっかり夜となっていた。木製の住宅からぼうっとした明かりが輝き もう打つ手はないと言うような気持ちを増して来た。
――いいや。
「こうなったら、私一人でも頑張らないと……!」
いくら無謀と罵られようとも、このまま引き下がるわけにはいかない、だろう。
シャスティは下町の事件現場の方まで、再び向かった。
活気溢れる貴族街を抜け、レンガ造りの階段を二段飛ばしで降りて行く。市街を流れる川沿いの店には人々の活気が見え、それは貴族街の人々にも負けてはいないものだった。
陽気な音楽が流れている中、下町の事件現場は武器屋と道具屋の間にあった。
「ワフッ!」
「きゃっ。びっくりした! い、犬!?」
月明かりの下、とてとてと歩いて来たのは、一匹の犬だった。いや――鋭い目つきに尖った牙は、狼だろうか。白い体毛に黒が所々混じっており、長い耳としっぽがぴんと立っている
……少し、可愛いと思ってしまった。
狼の方は、こちらをじろりと見ると、「ウウゥ˝ーッ!」と威嚇するように鳴いて来た。去れ、と言う意味だろう。
少し怖かったが、今更狼に怯え逃げることなどしなかった。
「お願い、ここに用事があるの!」
何故か、シャスティは狼にそう話しかけていた。いくら賢い動物とは言え、人の言葉が分かるはずもないと言うのに。
「……」
すると、狼はなんとこちらに背を向け、事件現場の方である暗闇の中へと、戻って行った。
――言葉が、伝わった? それに、どうしてこんなところに……?
シャスティは万が一の事も考え、腰の剣に手を添えながら、現場の方へと向かった。近付くにつれ、複数人の声が聴こえてきた。
――果たしてシャスティは、その声に聞き覚えがあってしまっていた……。
「よくできましたっ! お手!」
「グウウッ!」
「きゃっ!? レオが咬みついて来ようとしていますっ! 助けて、ロン!」
「遊んでないで見張っておけって!」
「ロ―ウェント、さん!?」
思わずさん付けを忘れてしまうところだった。
剣から手を離し、シャスティは叫んでいた。
ローウェント……。夕方、バイトの面接に行ったトワイライトの若きオーナーが、一人と一匹を従えて、立っていたのだ。その奥には、なんとシャスティと教官が助けた女性が、いた。
「えっ!? なんで通したんだよレオ!? それに君は……シャスティ!?」
ロ―ウェントは野暮ったい黒縁の眼鏡を掛けていた。度は入っていないようで、伊達眼鏡だろう。
それが新米王国騎士と新米酒場オーナー(のはず)との、再会だった。
紙の買い物袋と果物が転がっているのは、おそらく少女が攫われた時に゛依頼人゛が落としてしまった物だろう。
今は閉まっている冒険者用品店の店と店の間の裏路地で、ロ―ウェントはシャスティと再会した。
「シャスティ!?」
一度はいなくなってしまった者との再会に、ロ―ウェントは喜んでいた。
でも、どうしてここに……?
「むぅ……」
ロ―ウェントのすぐ横で、フウラが不機嫌そうに猫耳髪……いや、髪に代わって、ハーフエルフ特有の耳をぴんと立てていた。
「どうして通したんですか、レオ?」
「ワフ……」
狼――レオナルドはなんのこっちゃと言わんばかりに、後ろ足で頭部をかいていた。
「え、レオナルドって……それにあなたの耳……」
シャスティは驚いているようだ。
それもそのはずか、レオナルドは狼になっているし、フウラの耳は特徴的にぴんと横に立っている。シャスティがさきほど会った時は、二人とも性格に難はあれど、普通の人間の外見をしていたのだから。
「ロン、ばれちゃいましたよ……。消しますか?」
フウラがくちびるに手を添え、上目づかいで訊いてくる。仕草は可愛らしいが、言っていることは恐ろしい。
「駄目だよ……」
「ど、どう言うことですか!? ここで何やってるんですか!?」
「シャスティこそどうしてここに!? まさか女の子を助ける為に戦ってくれた騎士って、君の事かい!?」
お互いに驚き、ロ―ウェントの問いに、シャスティは首を縦に頷かせていた。
シャスティに気づいた母親が「あの時は助かりました……!」と、ロ―ウェントの後ろから声をかけている。
――そうか、やっぱり君は゛まともな人゛だ。
ロ―ウェントは気持ちで頷くと、まずは落ち着いた声だった。
「順に説明するよ。その前に、レオは臭いを嗅いで追跡、フウラは見張りに入ってくれ」
度なしの眼鏡を持ち上げつつ、ロ―ウェントは二人に告げる。
「ワン」
「了解ですっ!」
狼のレオナルドは地面に鼻を向けてくんくんと臭いを嗅ぎはじめ、フウラは表路地のの方へと向かって行く。
「バー・トワイライト。普段は酒場を経営してるんだけど、特別に下町の人からの依頼をこなしているんだ」
ロ―ウェントは胸をぽんと叩き、誇らしげに言っていた。
なんだかんだ自分の仕事に誇りを持てるのは、良いことだと思う。
「え? すみませんちょっとよく意味が……」
シャスティは「何言ってんのコイツ?」とでも言いたげに、目を点にしていた。
ロ―ウェントはそれに、出鼻を挫かれた。
「いやだから……何でも屋ってこと。さすがに今回の人攫いは大事だけど……。騎士団やギルドは咄嗟には動いてくれないからね。言ってしまえば、冒険者ギルドの許可も王国の許可もない、違法組織ってところかな」
「あの……ただの酒場ですよね……」
「ああ、ただの酒場だよ。下町の人の為に、なくてはならない」
父が始め、続けて来たことだ。下町の依頼を解決する、何でも屋。基本的に善意でやっていることなので、報酬もなにも取らない。
だがロ―ウェントは、下町の皆の為に働くそんな父親の姿に、ずっと憧れていた。その甲斐もあって、下町の人は数多くある酒場の中でも、まるで喫茶店のようなうちを選んでくれるのだろう。
――まあ今はあまり繁盛しているとは言えないが……それを受け継ぐつもりだ。
「あの人? たちは……」
シャスティは人、と言う言葉のイントネーションを強調して、尋ねて来る。レオナルドとフウラの事だろう。
「フウラはハーフエルフ。レオナルドは狼人間だ。巷で言う……魔物ってやつの血を持っている」
「ハーフエルフは王国が災いをもたらす種族として、殲滅作戦をしたはずじゃ……」
「フウラは、その生き残りだ……。レオナルドも同じく人間から迫害を受けて来た人種だ。トワイライトは、そんな゛人゛を従業員として雇っている。まともな人ってことで、理解ある人をアルバイトで募集したんだけど……」
「私がまともな人……?」
「少なくとも常識人だと思うけど……違うのかい?」
ロ―ウェントが問うと、シャスティは何か考えていた。
「ワオーン」
狼のレオナルドが、臭いでなにかを感じたのか、吠えていた。
「わかったのかレオ!?」
ロ―ウェントはすぐに真面目な顔に戻り、自身の腰丈のレオナルドを見る。
「ワン」
レオナルドはこくりと頷く。
「よし、追うぞ!」
「ワオーンッ!」
「会話が成立している……」
シャスティが唖然としていた。
そんなシャスティに、娘を攫われた女性が近づく。
「彼らのことを知っているのは、下町のごく一部の人だけです。もし彼らの活動がばれたら、ギルドと王国に店を潰されてしまいますから」
「酒場としての経営許可はあるけど、自警団としての活動は認められていないんですね」
「はい……。でも下町の人には、本当になくてはならない場所なんです。お願いします騎士様……どうかあの人たちの事は内緒に……」
女性が手を合わせて懇願してくるが、シャスティの考えは最初から決まっていたようだ。
シャスティは明るい表情で頷きながら、首を縦に振る。
「はい。約束します」
マントを翻したシャスティは続いて、ロ―ウェントの元に向かう。
「ロ―ウェントさん! 私も手伝わ――」
「ロン!」
シャスティがやって来たとたん、それより速く、ハーフエルフの美少女フウラがやって来た。――狙いすましたようなタイミングで、シャスティの前を通り、ロ―ウェントの腕をぎゅっと掴む。
「……なっ!?」
シャスティは伸ばしかけた手を止めていた。
「さっそく追いかけましょう! 作戦担当さんの出番ですよ!」
「分かってるけど人前で抱き付くなー!」
「ワン!」
「……っと、シャスティ! その人を頼む!」
「え!? ちょ、私も!」
「私は大丈夫ですから、あの人たちの方へ行ってやってください、騎士様。少し……危なっかしいので……」
女性が微笑みながら、シャスティに告げる。
「え、あ、はい! 必ず取り戻しますからね!」
「よし、行こうシャスティ!」
ロ―ウェントと魔物、そしてシャスティは夜のオリエンソールの下町を駆けた。
先頭はレオナルドだ。人間のそれよりはるかに優れた嗅覚で、攫われた少女を追う。川沿いの歩道を、三人と一匹で走っているところだった。
走る最中、シャスティが口を開く。
「実は私、夕方にあの人の娘さんを助けようと戦ったんです。その時は結局負けちゃって、そしてお母さんに向かって取り戻しますって言ったんです」
「一人でやろうとしたのか?」
ロ―ウェントも必死に走りながら、口を開いていた。見慣れた夜の下町の賑わいは、道路を走る三人と一匹の姿などすぐに溶け込んでいた。
「はい。でも結局駄目で……。でも今度はなんだかやれそうな気がするんです!」
少しだけ意気を込めたシャスティの言葉が、ロ―ウェントは嬉しかった。下町の住民からの騎士への印象はハッキリ言うと良くはない。だがシャスティはそこらの騎士とは違う心の持ち主だった。
「そう言ってもらえると嬉しいよ! 女の子の名前はミントさん。茶髪にそばかすが特徴!」
ロ―ウェントが状況を説明するが……なにぶん足がそこまで速くなかった……。レオナルドとフウラが異常すぎるのもあるか。
「レオナルド、フウラ。二人で先に行けるか!? 頑張って追いつく!」
「ロンをこの女と二人っきりにするわけにはいきません! フウラが残ります!」
フウラがぴたりと立ち止り、シャスティを指差して言う。
「何も問題はおこさないから大丈夫だ!」
「心配です!」
頬を膨らませ、フウラは強情な子供のように言う。
「あ、あのじゃあ私がレオナルドさんと一緒に行きますから……」
ロ―ウェントは「ご、ごめんよ」とシャスティにお願いするように頷いた。
「ワン」
レオナルドはレオナルドで、シャスティの事など気にする事無く走りだしてしまう。だが、スピードは先程より控えめだ。
「思うんだが恐らくレオがシャスティを通したのは、ワザとだったのだろうか……」
あるいはこちらがシャスティを採用したと思って、か。
「むー……。なんで通したんですかレオは……」
「フウラ……。君はシャスティに敵意剥き出しすぎだ」
「あの女、絶対ロンの事を狙っています! 女狐です! フウラのロンは渡しません!」
エルフ耳は不機嫌そうに立てて、フウラは主張してくる。
――まだ父親が健在の時、゛とある事情で街の外を冒険゛していた時、人間から迫害を受けていたフウラを守ってからこれだ。
またレオナルドの境遇も、似たようなものだった。
「今はやらなくちゃいけないことがあるんだって」
「フウラと一緒にお風呂に入って、一緒に寝ることですね? きゃん!」
「違う! 下町の依頼を解決する事!」
ロ―ウェントはきっぱりと言い放っていた。なんだかんだ、ロ―ウェントはやはりこの仕事(?)に誇りを、やりがいを持っていたのだ。
「……分かりました、ロンっ」
そんなロ―ウェントを、フウラはやはり顔を赤くして、色々と危ない感情が入り混じった目で見上げているのだった。