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嘘、だろ……?
今日のシフトの二人、早朝出勤のはずなのに、結局夕方になってまで来ない……。よりにもよって、バイトの子の面接がある、今日に、だ。
「まだ俺が父さんに及ぶことなく半人前なのは重々承知だ……っ。でもあんまりじゃないか!?」
ちらっと腕時計を確認して、ロ―ウェントは決意を固めた。――同じ刻、すぐドアの外で同じく決意を固めている女子がいるとも露知らずに。
勢いに身を任せ、事務室のドアを開けて飛び出したその直後、ロ―ウェントは邂逅を果たしていた。
「――とうとう来ないって完全に舐めてるな!? これ!」
「す、すいません十分前に来てっ!」
「えっ!?」
橙色の髪を振り下ろし、必死に許しを乞うてくる少女の綺麗な顔立ちを前に、ローウェントはしばし硬直してしまった。
とりあえず少女の誤解を解き、事務所まで入れてやった。
黒川のソファに腰を落とす少女のスカートと、そこから突き出ている生身の足が視界を容赦なくジャックして来ているが、建前もありローウェントはこほんと空咳をして、
「俺がこのバー・トワイライトのマスター。ロ―ウェントって言います」
「はあ!?」
そう言った途端、アルバイト希望の少女――シャスティに素っ頓狂な声を浴びせられた。失礼だったとシャスティは慌てて口を塞ぐが、ローウェントは「気にしなくていいよ……」と苦笑して手を軽く振る。初見のお客さんにも驚かれることは今まで多々あったので、慣れっこだ。
「でも……一応聞くけど、そうは見えない?」
「見えませんよ!? それよりあなた、前に偵察しに来たときに下の階の女の子に尻に敷かれてた人ですよね。それがオーナーって若すぎませんか!?」
「中々失礼だな君……それに偵察って……」
ローウェントは苦い顔をする。
「はあ……。年はいくつなんですか?」
「十七歳だけど……」
あれ、なにか立場逆転している……?
「たった一つ上ですか!?」
「ああ、そう言えばそうだ。あんまり歳とか気にしてないから、気づかなかった」
「いいんですか、それ……」
シャスティが片手をおでこに添えている。
一方でロ―ウェントはシャスティが本日持ち込んできた履歴書と本人とを交互に見つめた。
応募書類の顔写真を見た時から思ってはいたが、同い年にしては見たことが無いような、華やかな美しさがある女子だった。――腰にさげている騎士学園の剣が、そのイメージを台無しにしそうになっているが。
ロ―ウェントは履歴書を秒単位の早さで流し読みすると、ぽいっとそれを机の上に投げ、シャスティを見た。
「え? あの、履歴書は……」
シャスティは驚いたように青い瞳を大きくする。
「いや、俺はあんまり履歴書じゃ判断しないよ」
「滅茶苦茶書き直したのに……」
「それは! ……頑張ったね……」
しゅんと沈んだシャスティに、ロ―ウェントもまた申し訳なく顔を伏せてしまっていた。うん、履歴書の表面、すり減ってるのが分かったよ……特に志望動機の欄……。
再び空気がどんよりし始めると、事務室のドアが唐突に開いた。
方向的に、ロ―ウェントはそのまま顔を上げ、シャスティは振り向いた。
事務室にやって来たのは、私服姿の男性だった。
くすんだ灰色の髪に、生気の無い死んだ魚のような……細い目。こちらから見えるのは左目だけで、もう片方は伸びた髪に隠れて見えない。
気怠そうにあくびをしながら、遅刻した男はポケットに手を突っ込んでやって来た。
「おはようございます、ロン」
おえっ、と吐き出すように朝の挨拶をしてくる男性。
シャスティの顔は、それはそれはひきつっていた。
「大遅刻だよレオ……。エルミィが一人で頑張ってるから急いで入って」
「てかもう面倒臭いんで給料前借りしてここやめてイイっすか?」
「遅刻した分際で図々しいな君は! しかもやめるどころか前借りか!」
「あーはいはい、すいませんでした。その人は?」
レオ、と呼んだ男性は着替える為に人目も憚らずに上着を脱いでいた。
むき出しになった、若い男性の上半身裸な姿を始めて見たシャスティは、慌てて視線を逸らす。
「えっ!? ち、ち、ちょっと!」
シャスティは顔を真っ赤にしてロ―ウェントに助けを求めるような視線を送って来ていた。
「ああ。バイトの面接の女の子。シャスティ、彼の名前はレオナルド。やる気なしの天才レオナルドだ」
「なんスかその二つ名は……。やる気ないのは認めるけど……帰りたい……」
「もう夕方だけどね!? 認めないで早くカウンターに行ってください」
制服に着替え終わった――ネクタイがずれてる――レオナルドは、あいあいー、と手を振って事務室を出て行った。
シャスティは気まずく俯いたままだった。
ロ―ウェントはこほんと空咳をしながら、再びそちらを見て、
「安心してくれ。更衣室はちゃんと用意してある」
「そう言う問題じゃないと思うんですけど……」
気を取り直し、シャスティの面接を再開した。
「出身地は……ベルレールの村か。遠いところからよく来たね。あまり豊かではない村だった覚えがあるけど」
とたん、待ってましたと言わんばかりにシャスティは声量を上げて来た。
「はい。だから私、いつか騎士になって、人を助ける仕事がしたいんです! そしてお世話になった村の人達に恩返しをするのが夢なんです。そのために、ここでの経験を生かして行きたいと思っています!」
「うん。……前もって用意していた台詞だと言うことは如何なくわかったよ」
ロ―ウェントは最初こそ苦笑したが、シャスティの事を素直に褒める気分だった。
「でも夢があることはイイと思う。俺もこの店をずっと続けて行くのが夢なんだ。この王国の下町の人にとってここは、なくてはならない店だからね」
ロ―ウェントは周囲を見渡しながら言っていた。
「なくては、ならない……?」
含みのある言い方に、シャスティは少しだけ小首を傾げていた。
「でもこれは面接とは関係ない質問なんだけど、どうしてバイトなんか? 王都騎士団学園に通えているのなら、学費も十分に払えるところだろうし、何より訓練で忙しいんじゃ?」
ロ―ウェントが問うと、シャスティはうっ、と音を上げた。
「私……弱いんです。王都のすぐ外の魔物にも負けます……」
「負ける?」
「魔物を見るとどうしても倒せなくて。魔物が人間にとって害なのは重々承知ですけど、それでも……。それで学園の成績が悪くて、親に仕送りを止められそうになってしまってるんです……」
「……へぇ」
確かに見た目で言えば誇りある女騎士と言うよりは、そこらの花屋の娘のようだった。
ローウェントは顎に手を添え、吟味するような視線で、もじもじとするシャスティをじっと見つめる。
「あの……?」
シャスティがぴたりと止まったローウェントを見つめ返すと、またしてもシャスティ後方の事務室のドアが開いた。先ほどのレオナルドの時のような静けさはなく、今度は勢いよく。
「ロンいたっ! おはようです!」
にゃはっ、と笑いながら、その女の子は嬉しそうにロ―ウェントの元へやって来た。
――いや……飛び込んで、抱き付いて来た。
「ぐわ!? こら!」
柔らかくぷにぷにした少女の頬で顔をすりすりされるロ―ウェント。少女の美しい銀髪と、特徴的な猫耳のような髪のでっぱりは、嬉しそうにぴょんと跳ねていた。
少女はロ―ウェントの膝上に跨り、真正面からこちらを抱き締めて来る。まるで妖精のような少女の綺麗な顔が、視界いっぱいに広がっていた。
「会いたかったよーロン! ロンの事を思って、フウラ、遅刻しちゃいました!」
「矛盾してるよ!? 会いたかったのならもっと早く来て!」
「いやん……、ロンってば……っ」
小柄な身長にしては発育は良い胸が、ロ―ウェントの胸元にぎゅっと押し付けられる。これでもかとストレートすぎる愛情表現(?)である。
「そう言う意味じゃない! 早く制服に着替えて働けい!」
シャスティは突然目の前でかわされた、年端もいかないような外見の少女――フウラの熱い抱擁に、顔を一気に赤くしてしまっていた。
「なっ!? えっ!? ここってやっぱりそう言うお店だったんですか!?」
「アルバイト様違います! 誤解です! そもそもそういうお店って!?」
ロ―ウェントは抱き付いて来るフウラを引き剥がし、慌てた。
「あうっ」
フウラは物欲しそうにくちびるに人差し指を添えたまま、渋々引き下がる。
しかし次には、どうして良いかわからずただただ顔を赤くしているシャスティをねめつけて、
「その女は誰ですかロン。フウラだけのロンを狙う女狐ですか?」
「まだ君の物になった覚えはない! て言うかそれより早く更衣室で着替えて来て!?」
目の前で(見せつけるように)ゆったりとした服を脱ぎ始めたフウラを、ロ―ウェントはようやっと事務室から追い出した。
ロ―ウェントはぜえぜえと息をつき、気まずくネクタイを締め直す。
「変なところ見せて悪いね……。さあ、面接の続きといこうか」
「――いいです」
「希望日時は祝日も含めて毎日か、これは助かる! ……って、え?」
「もういいです! 失礼しました!」
シャスティは立ち上がり、最低限の礼儀として頭を下げ、背を向けて出て行ってしまった。
「……あーあ」
仕方ないし、だろうなと、ロ―ウェントは髪をくしゃくしゃとかいていた。
「せっかく、゛まともな人゛だったのに……。面接って難しいな……」
ロ―ウェントはあごに手を添え、悩ましげに呟く。
こうしてロ―ウェントとシャスティのアルバイト面接は、お互いに、失敗したのだった。