おやすみ ポプラ
「童話」の定義というのは人それぞれあると思うのですが、私の中で「童話」とは、“親が、子どもを寝かしつける時に、子どもが幸せな気持ちで眠りにつけるように、思いを込めて読むもの”であると思いました。そんな思いで、書きました。
1,とある北国のお話
ヒィーヴォという名の深い森に、ポップと呼ばれるおじさんが、一人で住んでいました。
ポップはこの国じゃあその名を知らぬ人のいない、有名な絵本作家でした。
彼の描く絵本は、絵や色使いが素敵なのはもちろんのこと、読む人の心に残る美しい文章や、夢にあふれたストーリーもあって、とても人気がありました。
その人気ぶりはそれはもうすごくって、新しい絵本が売り出されれば、すぐに売り切れ。その話題はその国の王様の耳にも届き、ポップの描いた絵本を読んで感動した王様は、彼に栄誉ある勲章まであげたのです。
では、どうしてそんなに人気のある絵本作家であるはずのポップは、森の中で、たった一人で住んでいるのでしょうか。
それにはいくつか理由があります。
王様に勲章までもらったポップは、国や貴族の主催するパーティーに呼ばれるようになりました。
集中して絵本を書きたかったポップは、できる限り理由をつけて断っていたのですが、さすがに王様の誘いは断れず、何度かパーティーに参加しました。
毎晩のように、夜遅くまで行われるパーティー。
国にはまだ貧しくて苦しんでいる人たちが沢山いるというのに、毎日のように遊び続ける王様や貴族たちに、彼はもう、うんざりしました。
それだけではありません。国中で有名になったポップの元には、毎日のようにファンが押し寄せました。
お話しがしたいという人、サインが欲しいという人、早く新しい絵本が読ませてくれとお願いする人。弟子にしてくれと言い出す人まで来ました。
ポップは絵本を描くことを楽しみとして生きているのに、これではまともに描くことができません。そこで彼は、街を出て、人のいない所に住もうと決心しました。
そこでポップが選んだ場所というのが、ここ、ヒィーヴォの森です。
ヒィーヴォは、好き勝手に生えた木々が、絡み合うように生えていている森で、その中は昼でも暗く、人の寄り付かない場所でした。
ポップはその森の中に大工を連れて行き、小さな家を建てました。家を建てるための木は、そこに生えていたものを使いました。家はすぐに出来上がって、すぐに一人で住み始めました。
ファンの人たちも、初めの方なんかはやって来る人もいたのですが、ヒィーヴォは複雑に木々の入り乱れた迷いの森ですので、遭難してしまう人が何人も出てしまい、訪問者は徐々にいなくなりました。
ポップは自分の好きな時に絵本を描き、お腹が空いたら木の実を採ってきて食べ、眠たくなれば寝る。望んでいた、自由な生活を送りました。
しかし、なんとも不思議なことに、彼は森に住み始めてから、思うように絵本が描けなくなってしまうのです。
街に戻ろうかとも思いましたが、今は少しまだ生活に慣れていないだけだ。すぐ描けるようになるだろうと考え、森に住み続けるのでした。
2,ヒィーヴォでのある日のお話
そんな生活を続けていたある日のことです。ポップは太陽がもう真上に昇っているというのに、まだグッスリと眠っていました。
すると突然家の扉が、どんどんどんと鳴るのです。
それは実に、百五十八日ぶりの訪問者を知らせる音でした。
鳴りやまない叩く音に、ついに起きたポップは、ううんと伸びをして、大きなあくびをしながら歩き、少しだけ扉を開けました。
「どちらさまですか」
眠そうな声でポップが言うと、訪問者は、その少しだけ開いた扉の隙間を覗き込んできました。その訪問者は少し腰の曲がった、老婆でした。
「わたしの名前はメイといいます。ポップ様。あなたの元で働かせてほしいのです。掃除や薪割り、食事。なんでもします」
また熱狂的なファンがやってきた、とばかり思っていたポップは、老婆の予想外の言葉に少しうろたえました。そしてその隙をつくようにして、メイと名乗る老婆は扉とポップの間を通ってするりと部屋の中へ入りました。
物に溢れ、散らかり放題の室内を一目見てメイは、
「まぁ! やりがいがありますわ」
と言って、床に落ちているものを拾い始めました。
「ちょっと待ってくれ! 私は君を雇うなんて言っていないぞ!」
ポップは叫ぶように言いましたが、メイは全く聞きません。
メイは少し腰の曲がった老人とは思えないような手さばきで、てきぱきと物を片しました。
ごみ箱の中に、ぽいぽいと物を放っていると、「待って! それは捨てちゃあだめだ! 使うものなんだ!」とポップが止めたりしましたが、メイは「あらそう」とだけ言って、手を止めたりはしないのでした。
掃除がひとしきり終わって、たっぷりたまった暖炉の灰を外に捨てると、メイは家の近くに山積みにされている薪を何本か、薪割りの為に用意された丸太の近くに持ってきて、割り始めました。
それはそれは器用で、慣れたものでした。メイは老婆ですから、そんなに若い人に比べて力もあるはずないのです。ですが、薪はおもしろいくらい、ぱっかぱっかと気持ちの良い音を立てて割れます。そばで見ていたポップは関心して見ていました。
薪を割り終えたメイは、その内の何本かを持って部屋に入ると、暖炉にそれを投げ入れて、先ほどの掃除の時に出たごみの中から、あえて残していた紙くずにマッチで火を点け、暖炉の中の薪に触れるさせるようにして入れました。
暖炉の中で、火はぱちぱちと小さな音を鳴らしながら段々大きくなます。ポップは暖炉に両手を近付けました。
「やぁ、実は掃除も、巻を割るのもめんどうくさくて、暖炉は長いこと点けてなかったのだよ。あたたかい、あたたかい。ありがたい、ありがたい。」
ポップがそう言っていると、メイはすぐに立ち上がり、すぐ近くの川から水を汲んできて、先ほどの薪の残りを使って風呂を沸かし出しました。風呂もすぐ出来て、
「さぁ、冷めないうちに、お入りください」
というので、ポップは風呂に入りました。彼は程よく暖まった湯の中で、大きく息をふうと吐いて、
「やぁ、実は風呂も長いこと入ってなかったのだよ。あたたかい、あたたかい。ありがたい、ありがたい」
と言いました。
メイは次に、奥の台所へと入ってゆき、置いてある食材を見つけて、料理を始めました。
ポップが、大したものはないはずだがなぁ、と思いながら風呂であたたまり、程よくあたたまったので外に出ると、もうすでに料理は出来ていました。
炊きたての穀物を丸めた団子や、野菜を茹でたもの。そして、もうもうと湯気の立つスープが用意されています。
よくあれだけのもので作ったなぁ、とポップが関心していると、メイが、
「さぁ、冷めないうちに、おあがりください」
というので、ポップはまず団子をつまんで、口に放り込みました。
もちもちとした団子は、噛めば噛むほど甘味が出てきて、彼は思わず、
「おいしい!」
と唸ります。
野菜を茹でたものも、ただ茹でただけに見えて、きちんと味が付いていました。
最後にポップはスープを口にしました。すると、
「なんだか不思議な気持ちだよ。今まで色々な、高級なものや、変わったものだって食べてきたが、こんなに美味しいものは食べたことのない気がする。あたたかいなぁ。おいしいなぁ」
ポップはうん、と何かを決心したように頷くと、
「よし、君を雇うことに決めたぞ。君がいれば、私は絵本を描くことに集中出来るようになるだろう。うん、なんだかおいしいものを食べたら、さっそく何か書きたくなってきたぞ!」
ポップはすぐ机に駆けてゆき、絵を描き始めました。
メイは彼に向かって、
「ありがたき、しあわせ」
と言って、うやうやしく頭を下げました。
勢いのまま絵を一枚描き終えた彼は、それをメイに見せます。
「どうかね」
「とても美しゅうございます」
ポップは満足げに「うむ」とだけ言って、自分の描いた絵を眺めます。
するとメイは、
「今日はもう遅いです。ポップ様。もうおやすみになられては」
と言いました。
彼は少し躊躇するように、「うぅむ、しかし……」と言いましたが、
「いや、寝るか」
と言って、ベッドに入りました。
メイが枕元の灯りを消すと、部屋の中を照らすのは真っ白な月の光だけになりました。
メイが「おやすみなさいませ」と言ってベッドから離れようとすると、彼は「いや、ちょっと待ってくれ」と引き止めました。
メイは何事かと、枕元のいすに座りました。するとポップが言います。
「実は私は、恥ずかしい話なのだが、最近ずっと夜、眠れないのだ」
「へぇ、それはなぜです」
彼は静まり返った部屋の中で、静かに話出しました。
「私には実は、親というものがいない。捨て子なのだ。孤児院の院長をしていたデリアさんという方が私の親がわりだったが、その人も、もういない。私はこの森で一人で住み始めて、今までより強く、一人だと感じるようになった。夜寝る時、目を瞑ると、デリアさんや、まだ見ぬ本当の親のことを思ってしまって、悲しいやら、さみしいやらで眠れないのだ」
彼は、泣いていました。
メイは「そうでしたか……」と言って、
「さぞ自分を捨てた親を、恨んでいるでしょう」
と続けました。
するとポップは、
「とんでもない。恨んでなどいないさ。あの国もまだ貧しい。やむにやまれぬ事情があったのだと思う。デリアさんもそう言っていた。私が捨てられていた時、そこに手紙が一緒に置いてあったという。私はその手紙を見たことはなかったが、そこには沢山の事が書かれていたそうだ。そして、私の本当の名前も。私はポップと呼ばれているが、それは本当の名前ではない。私とデリアさんと、その本当の親しか知らない名前なのだ。いつか、私は本当の、私の親に会いたい。そして本当の名を、呼んで欲しいのだ。なぁ、メイ。はたして会えるだろうか」
メイは全て聞き終えると、彼の手を取って、
「きっと、会えますよ」
と言いました。
ポップは「そうだろうか……」と言って、メイの手を握りかえして、
「あたたかいな」
と呟くように言って、瞼を閉じました。
「おやすみなさい、ポップ様」
メイがそう言った時には、もう彼は眠りについていました。
「おやすみ、ポプラ」
メイは静かにそう言うと、涙を一筋流して、眠るポップを優しく抱き締めるのでした。