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花のおとめ三国史  作者: 高梨いろは
葦原編
9/22

痛みの教訓

 男の人に言われるがまま、賭博場まで連れてこられてしまった。

 賭博場は温泉の二階であった。半裸の男の人や着崩れた着物を着た女の人が賭博に勤しんでいる。いちゃいちゃとしている男女も目に付く。

 なんだかとても、雑多で淫らな雰囲気だ。


「タノジ、その方が皇帝候補殿ですか?」


 私をここまで連れてきた男の人は、へえと頷いて私と眞宏の背を押した。

 賭博場の中心にいたのは、真ん中分けの黒髪に光のない漆黒で切れ長の瞳を持つ、縁のない眼鏡を掛けた男の人だった。年の頃は三十代前半くらいだろうか。もう少し若いかもしれない。

 服を着ているんだか脱いでいるんだか分からない人がたくさんいる中、この人だけぴしっとスーツを着ているので違和感を覚える。


「初めまして、かおると申します。ここの店長を任されています」


 絶えることのない笑みのおかげでなんとなく優男風だが、とても威圧感を感じる。

 差し出された馨の右手を握りしめ、握手を交わす。


「初めまして、国立帝都学院高等科二年の久我灯子です。そしてこっちが」


「同じく、久我眞宏です」


 私の斜め後ろから、眞宏の低い声が聞こえる。いつもの、私の名を呼ぶ時のような弾むような声ではない。


 怖くて、堪らなくて、眞宏の方が見られない。

 だって、私は眞宏を裏切ったんだから。頑張るって言ったのに怖いからって、タノジの言うことを聞いてこんな所まで来てしまったんだから。


 眞宏も呆れてしまっただろう。

 狐ヶ崎組の人と対面していることよりも、眞宏に呆れられてしまうことの方がずっとずっと怖い。


「では、始めましょうか」


「始めるって、何をですか?」


 私がぼんやりしているうちに、馨はなぜか花札を切り始めている。


「こいこいで勝負をします。貴方が勝ったら蠎に会わせて差し上げます」


「わざわざそんなことしなくても、私は」


 私は蠎さんと会う約束を取り付けてあります、と言いたかったのに、馨にじっと見つめられて何も言えなくなった。

 でも、こいこいならやり方は分かる。

 こんな状態だと逃げることも出来ないし、取り敢えずやるしかない。


 裏向きの札を1枚ずつめくり、月の早い方が初回の親になる。私は萩に猪ーー九月札だ。馨は桜に幕ーー三月札。


「いいですよ。親は灯子さんにお譲りします」


 親が札を配るので、札に触らないからいかさまはしないという主張なのだろう。

 札に触らずにしていかさまする方法もあるだろうが、ひとまずお言葉に甘えさせて貰う。


 親は子・場・親の順に二枚ずつ手に八枚を裏向けて、場に八枚表を向けて配り、残りは山札として裏を向けて積んでおく。

 出来役ができ、さらにもっと大きな役が期待できそうな場合、こいこいと言って、さらに続けることができる。但し、自分に次の役ができる前に相手に役ができた時は、得点の倍返しとなる。


「では。始めましょう。灯子さんからどうぞ」


 余裕な表情で笑む馨。

 そして、その笑顔は、本当の笑顔になったのだった。


 結果、馨、三光に青短。私は役なし。

 完璧なる私の負けである。簡単に勝てるとは思っていなかったのだけれど、こうもあっさり負けると悲しさを通り越して情けなくなる。


「えーと……」


「貴方の負け、ですねえ」


「そうですね……」


 これで蠎に会えないということなのだろうか。それは困る。非常に困る。


「あっ、あの!」


「さあて、脱いで貰えますか」


「え、脱ぐ?」


 馨の言っている意味が分からなくて、私はぽかんと間抜け面を晒してしまう。

 脱ぐとはどういうことなのだろうか。何を脱ぐのだろうか。脱いで何をすればいいのだろうか。

 まさか一階の風呂に入って来いと言っているわけでもないと思うけれど、だとしたら、なぜ脱げと言われたんだろう。


「ではお金で払えますか?」


 え、と息を詰める。


「まさか自分だけ罰はないとお思いでしたか」


 まさか。


「私が負けたら、蠎に会う手引きをする。貴方が負けたら、それ相応の罰を受ける。等価交換は堅州の理ですよ」


「そんな、聞いてません!」


「聞かなかったのは貴方でしょう。これが、取引というものですよ、久我灯子さん」


 タノジが私の両手を掴んだのをきっかけに、四方から手が伸びてくる。

 その手のひとつが私の足首を掴み、制服のスカートをめくり上げる。足首から手のひらが上ってきて、太ももを撫でられた。

 気持ち悪い。恐怖で声が出なかった。

 ついに手は上半身まで伸びてくる。スカーフを外され、もう駄目だーーと、抵抗の力を緩めた時だった。


 万札が上からひらひらと降ってきて、私を裸に剥こうとしていた男たちの手が止まった。


「これでいい? ……灯子を返して」


「はぁ? あんたは関係ーー」


「足りないの」


 眞宏はタノジに向かって胸についている徽章ごと制服を投げ付けた。

 私は上半身は下着だけ、下半身はかろうじてスカートを着ているだけの姿で、ぽかんと眞宏を見ていた。眞宏は驚くほど冷たい顔をしている。


「この徽章を売ればすげえ金になると思うよ。だから、灯子を返して」


「だからてめえは」


「灯子を返せよ!」


 眞宏が私の両手を戒めていたタノジに蹴りを入る。タノジは壁際まで飛ばされて、背中を壁へ強かに打ち付けた。

 タノジは眞宏を怒鳴りつけたが、眞宏はそちらなど目もくれず、つかつかと早足で近付き、馨の襟首を掴んだ。


「馨、何が取引だよ。ふざけんな!」


「正義感が強いのは結構」


 馨は襟首を掴んでいる眞宏の手を掴んだ。

 涼やかな表情のまま、その手に力を込めていく。ぎりっと骨が鳴った。

 眞宏の表情が痛みで歪んだ。


「ですが、堅州こちらには堅州こちらの道理があるんですよ」


 馨は眞宏の手を固めた。

 指ひとつ動かせなくなった眞宏は悔しそうに眉間にシワを寄せる。


 私が流されるがままに返事をして付いていってしまったから、こんなことになってしまったのに、眞宏は最後まで私を守ろうとしてくれている。

 全部、全部、私の蒔いた種なのに。


「ま、ひ……ろ……まひろ……」


「大丈夫、俺が灯子を……灯子を守るからね」


 にこりと懐こい笑顔を浮かべる。いつもと同じ、真夏の太陽みたいな笑顔。


 眞宏は私を助けようとしてくれている。


ーー大丈夫、俺が守るよ。


 眞宏はちゃんと約束を守ってくれようとしているのに、私は、嘘吐きだ。頑張るって言ったのに、全然頑張ってないのだもの。


「眞宏!」


 ごめんね、眞宏。ごめん。

 眞宏はいつでも私を想ってくれていたのに、私は自分の保身ばかりを思っていたんだ。


「私も、……私も! 眞宏を守るから!」


 何度謝っても許して貰えないかも知れない。

 私の言葉なんかもう信じて貰えないかも知れない。


「今度こそ、ちゃんと、守るからあっ!」


 だから私を信じてなんて、とても言えない。

 だけど願わくばもう一度、私に機会をください。もう一度だけでいい。そうしたら私は絶対に間違えないから。私の思う道を眞宏と共に走ると誓うから。


 瞳からぽろぽろと涙がこぼれて止まらない。


「うん」


 眞宏はやはり笑っている。だから、私もーーちょっとだけ笑った。

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