始まりは葦原にて
「ごめんー!」
「もう、そんなに謝らなくていいよ。皇帝を目指すって、私が決めたんだから」
眞宏は両手を合わせて必死に頭を下げている。彼は自分のせいで私が皇帝を目指すはめになったと思っているようだ。
実際、その通りな部分もあるけど、最後に決めたのは私だ。私が中原を馬鹿にされたのが悔しくて、半ば勢いで口を滑らせてしまったのだ。だから眞宏のせいなんかじゃない。
「でも……」
「眞宏は私を庇ってくれたんだし。中原を立て直したいってのは、本音だしさ」
捨て犬のように瞳をうるうるとさせて私の機嫌を伺う眞宏。それがおかしくて私は少しだけ笑ってしまった。
皇帝になると啖呵を切ったあと、講堂はてんやわんやの大騒ぎになった。
まさか葦原東街の小娘が皇帝を目指しますなんて言うとは夢にも思わなかったのだろう。考え直せだとかお前には無理だとか、代わる代わるに言われた。それでも私は目指しますからとだけ繰り返したのだ。
ーーでは、おまえが真の皇帝であると大和三国の帝たちに証明してみなさい。帝たちの出す課題を完璧にこなして、真の皇帝であると示しなさい。
そう言ったのは、高天原の香我美帝であった。
香我美帝は九尾の狐の妖である。白髪に白い狐耳のついた二十代の女の人だ。勝ち気なつり目と赤い着物が印象的である。
ーー課題がこなせたなら、おまえが皇帝であると認めよう。それでよいな?
香我美帝は国力が強い高天原の帝であるので、大和三国では一番発言権があるのだ。香我美帝がそれでよいのならと、講堂にいた人たちは渋々納得したように見えた。
「それでも、高天原帝も無茶苦茶言うよなあ。課題って何だろーな」
「それは分かんないけど……。啖呵を切っちゃったし、無理なことでもどうにかしなくっちゃね」
正直、何を課題として出されるのか、どんな事を言われるのかという恐怖はある。
けれど、あんな大きな事を言ってしまった手前、敵前逃亡など出来るはずがない。そんなの、なけなしの自尊心が赦さない。
「取り敢えず、どーする? うちの馬鹿殿に相談する?」
「馬鹿殿?」
「葦原の雨宮雅仁帝だよ」
眞宏はくいっと親指で葦原の方を指差した。
確かに道理で行けば、比較的私に当たりが弱いであろう葦原帝から攻めるのが正攻法に思える。葦原としても、皇帝が自国から出るというのは何かと有利であろうし。
「そうね。雨宮帝から味方になっていただきましょう。最初から高天原や夜之食国は無茶だもの」
「よし、じゃあ、葦原に行こう」
「眞宏も来てくれるの?」
そう尋ねると、眞宏は何を今更と言った様子で、ただえさえ大きな瞳をもう一回り大きくした。
「当たり前じゃん。俺は灯子の味方だよ。俺も灯子と一緒に上を目指すに決まってんじゃん」
笑顔のまま告げられた、迷いのない言葉。
私はその言葉が嬉しいのだけど、それと同時に困ってしまう。
「その気持ちは嬉しいよ。でもね、眞宏は無理に私に付き合ってくれなくていいんだよ。今回のことを責任に感じる必要なんてない。眞宏は眞宏の好きなことをして」
私の話を黙って聞いていた眞宏は、笑みを浮かべたまま私の肩を掴んだ。
「俺の好きなことは、灯子の役に立つことだよ。……なんちゃって」
「眞宏……」
昔から、眞宏はこうだった。
私のすることや決めたことにいつでも着いてきてくれる。私の前に立って、困難を排除しようとしてくれるのだ。
確かに嬉しいのだけど、私は眞宏のそういうところに困惑してしまうのだ。このまま眞宏が側にいてくれたら、ずっと甘え続けてしまいそうだから。
「まあいいじゃん。俺もこーゆー下剋上みたいなの面白くて好きだし。それに葦原の皇居に入るのって免状いるよ?」
「免状?」
「交通手形みたいなやつ。だって国民をほいほい皇居に入れたら大変なことになるじゃん」
確かにそうほいほいと皇居に入れるはずがないか。
眞宏は雨宮帝の弟だから皇居に入る免状を持っているだろうが、私は一介の国民に過ぎないので、その免状を手に入れるだけで何日掛かるか分かったもんじゃない。
立っているものは親でも使えというし、ここは眞宏に甘えさせて貰おう。
「眞宏、葦原の皇居に入って雨宮帝にお会いしたいの。だから一緒に来てくれる?」
「勿論」
眞宏は大きく頷いてくれた。
雨宮帝の皇居は葦原の中心街にある。
中心街といっても所詮は葦原であるので、さして賑わっているというわけではない。周りにあるのは自然ばかりで、皇居といっても林のなかにちょっとした屋敷が見えるだけだ。
眞宏が皇居の門番に、さっと制服である詰め襟の胸に付いた徽章を見せると、その門番はぴしっと敬礼をした。たぶんあの徽章になんらかの効力があるのだろう。
そういえば、他の生徒たちも制服に徽章を付けている人がいたような気がする。
「お帰りなさいませ、春日宮殿下。本日はどういったご用件でございましょう」
微笑みを浮かべる門番とはうって変わって、眞宏は苦々しい表情を浮かべている。
「もう用件は分かっているんだろう。雨宮陛下を呼んでくれ。それに、俺は久我眞宏だ。宮号で呼のは止めてくれないか」
「失礼いたしました、眞宏さま。応接間にご案内致します」
「いい。応接間の場所は解る。おまえは早く陛下を呼んできてくれ」
いつもの眞宏じゃないみたいだった。
いつもの眞宏は、もっとお調子者でちゃらちゃらとしているが、いまの彼はどこか冷たくて冷淡な印象を受ける。それを見て、変な話だけど、私は初めて眞宏が本当に帝の血統なんだなあと思った。
門番は一礼をして、雨宮帝を呼びに向かっていった。
「全くさあ、身内に会うだけだっつーのに手間がかかるねえ」
振り向いた眞宏は、いつもの眞宏だった。
私と眞宏は長い付き合いだ。かれこれ十年くらい一緒にいる。
その間に眞宏が雨宮帝に会いに行く姿は数えるくらいしか見たことがなかった。雨宮帝と眞宏の関係は詳しくは分からないのだけど、どこかぎくしゃくしているように思う。決して仲が悪いわけではないと思うけど、帝と御三家に分けられてしまったということが関係を変える一因になってしまっているように思う。
「灯子、行こう」
眞宏が私の手を握った。
緊張しているのか、手のひらが驚くほど冷たくなっている。
眞宏は雨宮帝に会うことが不安なのかも知れない。
眞宏にとって雨宮帝は実兄だけど、やはり葦原の帝なのである。御三家である眞宏よりも遥かに偉い立場の人。だけど間違いなく眞宏の兄でもあるのだ。
そういう微妙な関係が、どういう気持ちで会ったらいいのか解らなくさせるのかもしれない。
私が思案を重ねている隣で、眞宏は応接間の扉を開いた。