佐保姫の花、舞う。
「蠎の親分!」
狐ヶ崎組の頭目である蠎を連れて堅州に帰ると、街鉄の乗降口では彼の腹心たちが彼の帰りを今か今かと待ちわびていた。最初に声を上げたのはタノジである。
タノジは涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、蠎に駆け寄った。ずるずると鼻水を啜りながら蠎の着物を鷲掴み、凶悪な髭面をくしゃくしゃにして笑いかける。泣きながら笑うので、顔は益々ぐちゃぐちゃになった。
「お帰りなせえ! お怪我はねえですかい」
「ああ、大丈夫だ」
馨も一歩前に出る。
「それなら、何よりですね」
「馨にも心配掛けたな」
あれよあれよと言う間に蠎は腹心たちに囲まれてしまった。私たちはただ黙って遠巻きにその様子を眺めていた。不思議な達成感から来る幸せな気持ちと胸いっぱいの暖かな気持ち、それと倦怠感。そんなものが私を支配している。
これで私の出来ることは全てやり切ったつもりだ。ここまでやってそれでも平和条約は結べないと言うのなら、やむを得ない、次の手を考えるしかないと思った。それも少し休んでからでいい。
私はぽつりと呟いた。
「暫くは私たちの話も聞いてもらえなさそうだね。また日を改めようか」
彼らの会合を邪魔したくなかったというのも理由の一つであったが、私たちのこの言いようのない達成感をもっと味わっていたかったのだ。
眞宏も黙って頷いてくれた。彼もまた同じ気持ちだったのかもしれない。
眞宏と私は黙ってその場を離れようとした。
「待ちなさい」
馨が私たちを呼び止める。
私は足を止めて振り返った。
「何も言わずに立ち去るつもりですか?」
堅州のみんなが私を見ている。皆、難しい顔をしていた。すごく注目されている。しかし何と返事をしたらいいのか分からなくて、私はただ黙っていた。
馨は少しだけ微笑んで、深々と頭を下げた。
「ありがとう、と……。貴方には感謝していますと、せめて伝えさせてください」
私は驚いて目を見開いた。
あの馨が私にお礼を言っている。あの、気位の高いことで有名な馨が、こんなにも素直にお礼を言っている。
私を、私たちを、本当の意味でようやく認めてくれたのだ。胸の一番奥が小さく熱を持って、そこからじわじわと温かくなるような、胸のいっぱいになるような幸せを感じて目頭が熱くなった。
「いえ……、」
その後の言葉を繋げられなかった。
唇が震えて何も言えなかった。
「礼を言う。灯子、あんたは不思議だな。ただの小娘のようで、そうじゃない。弱いようで、誰よりも何よりも気高く、そして強い」
「そんなこと……! 私は……私は、ただの高校生です。今回だって本当に何も出来なくて」
「ありがとうな、中原灯子」
蠎は私の頭を優しく撫でた。
ありがとう、灯子。礼を言う。
大した女だよ。灯子。
灯子。灯子。中原灯子。
堅州の皆が口々に私にお礼を言ってくれる。私は何もしていないのに。私だけだったら何も出来なかった。こんなにちっぽけで弱くて、泣き虫で、そんな私が今回のことを成功させられたのは一概に私を支えてくれた皆のお陰だ。そう言いたかったのに、私は何も言えなかった。今何かを言ったら涙が止まらなくなるから。
だから、私はただただ首を振った。
「私も……!」
私は精一杯の笑顔を作る。
「私も、ありがとう……! たくさん、たくさん、ありがとう」
堅州でのことは辛いことの連続だった。しかしそこから学べたこともたくさんある。今思い返してみれば全て私が成長していくために必要なことばかりだった。
蠎はふっと微笑んでくれた。厳つい岩みたいな人が優しく微笑んでくれるだなんて、何だか嘘みたいだと思った。初めて会ったときには考えも及ばなかったこと。
「根之堅州国はあんたーー中原灯子に付く。約束通り平和条約を結ぼう」
こうして、佐保姫の役割が終わる五月の末の日に、葦原と堅州は平和条約を締結し、私は葦原帝雨宮雅仁の出した課題を達成したのである。
*
「久我灯子が葦原帝の出した課題を達成したようであるな」
久我灯子が課題をひとつこなして堅州と狐ヶ崎組を味方に付けたという話は、一晩で大和三国中を駆け巡った。堅州と狐ヶ崎組を掌握するということは裏の世界を牛耳ったと言ってもいい。それは大和三国の帝たちにとっても非常に脅威だ。
ほんのひと月前まではただの葦原東街の貧乏娘だと思っていた灯子が、脅威となるーー。
かくして、彼女が課題をこなして三日と経たぬうちに会議が催されたのである。
しんと静まり返った帝都学院高等科の講堂では、大和三国の帝たちをはじめ、帝都の有力者たちが集まっていた。
香我美の問い掛けに、雨宮はにこりと微笑んで頷く。
「ええ、見事に課題をこなしてくださいましたよ」
ふんっと香我美は鼻で笑う。
「そうか。我にはいっぱいいっぱいだったように見えたがな。それに仲間がおらなければ、彼女にあの課題はこなせなかっただろう」
「良き仲間が集まるのも、彼女の人徳じゃないですか。ねえ、夜之食国帝?」
日色はにこりともせず二人を見つめている。彼の傍らにいる外交官の娘、硝子は確かな憎しみを持った瞳で雨宮を見つめていた。硝子は大の葦原嫌いで、灯子が皇帝になることも良くは思っていないのである。
「まぐれはここまでだ。我々は手加減はせぬ。久我灯子殿のお手並み拝見」
鉄の女、香我美は視線の先にでかでかと刻印されている三種の神器を描いた大和の紋章を見つめた。




