幸せになる権利
高天原は古くより、貿易の中心としての役割により繁栄した商都であった。現在でも町の中央を流れる山田川沿いや天岩戸街道には古い町並みが残っていて、大きな経済力を持った商人や政治家などの栄華の大きさを彷佛させる。
眞宏と私は街鉄を乗り継ぎ、帝都から二時間弱掛けて天岩戸街道までやってきた。天岩戸は香我美の住む屋敷と帝都を繋ぐ街道の名であるが、その名を告げて皆が想像するのは高天原の城下町である。
木造一階建ての趣ある建物が城下に建ち並び、行き交う人たちも着物を着用していた。蛍光灯などは一切なく、ほんのりとした提灯の灯りが優しく辺りを照らしている。諸外国との関わりを一切絶っている高天原は昔ながらの大和を守り続けているのだ。古きよき時代の大和。それが高天原であった。
国崩しの影響で、荒れ野となった葦原東街とは比べものにならぬほど、花という花が、今日も色とりどりの花が鮮やかな姿で皆の目を楽しませ、草木は清涼感と美しい空気を与えてくれる。高天原の国花である桃の花が控え目ながら天岩戸街道を彩る。
私たちはそんな美しき天岩戸街道を歩き、香我美の住む屋敷を目指す。
「わーお、歓迎されてないねー」
「そうでしょうね。この人たちからしてみたら、私たちは大和三国の中で一番醜い国の出身なのよ。しかもここは高天原。清廉の国、高天原なの」
汚きものとして警戒する数多の視線が私たちを射抜く。とても居心地が悪い。
あら、あの子ら葦原の。穢らわしいわ。いやあねえ。臭い臭い。いやだわあ。
クスクスと馬鹿にするように笑う声が私たちの耳に届く。堅州のときの比ではない。堅州で浴びたのは好奇の視線だった。けれど今のこれはあからさまな嫌悪であり憎悪である。
「卑屈になるなよ。そんなんじゃ、香我美に勝てるはずがないじゃん」
眞宏が私の肩を小突く。
大丈夫だ。眞宏が傍にいる。傍にいてくれる。私がちゃんと立っていられなくなっても、眞宏が私を支えてくれる。大丈夫だから、大丈夫だから。必死に私は自分を鼓舞する。
「葦原は高天原にも夜之食国にも負けないくらい、素晴らしい国だよ。大和で一番素敵な国。俺は胸を張って言える。俺は葦原が好きだ」
私は大切なことを忘れていた。自国への誇りを忘れて勝てるはずがない。
「そうね。私も葦原が一番素敵な国だと思うわ。どこにも負けてない。私も葦原が好き。そして堅州も素敵な処よ」
素敵でない国などありはしないのだ。素敵でない人などおらぬのだ。誰だってどれだって必要だから在るのだ。素敵だから在るのだ。
葦原だって堅州だって、香我美だって私だって、全部全部、同じくらい素敵で価値ある存在なのだ。私はそう信じる。
「その息だよ、灯子」
天岩戸街道を真っ直ぐ歩いてそう時が経たぬうちに、香我美の住まう屋敷に辿り着いた。
香我美の屋敷は寝殿造りであった。寝殿と呼ばれる中心的な建物が建てられ、庭には太鼓橋のかかった池があり、東西に対屋と呼ばれる付属的な建物を配している。それらを繋いでいるのは渡殿で、更に東西の対屋から渡殿を南に出してその先に釣殿を設けている。とても広い。
「私は勝つよ、眞宏。絶対に蠎さんを助けて堅州と同盟を結ぶ。そして雨宮帝の課題をこなす」
「俺らならやれるよ。絶対出来る」
「勿論だよ」
私は笑顔を浮かべて眞宏を見る。眞宏もやっぱり笑っている。
怖くないと言ったら嘘だ。皇帝が存在しない今、大和の実質的権力者であるのは香我美だ。そんな香我美に喧嘩を売りに行く。それは並大抵の緊張ではない。悪くしたら殺されてしまうかも知れないのだ。
「眞宏、」
「ん?」
「いっちょ、頑張ってやりますか!」
鞄から取り出した葦原と夜之食国両国の帝直筆の免状を握り締める。
「高天原を騒がしに行ってやろーぜえ」
眞宏なら本当に高天原を騒がせてしまいかねない。けれどそれはそれで良いような気がしていた。静かで上品な高天原を私たち二人が嵐のように駆け抜けていくのを想像して、私はまた少しだけ笑った。
*
思ったよりもすんなりと香我美に会うことが出来た。二ヶ国の免状を見せるとあれよあれよという間に客間に通され、ほんの少し待っていただけで目当ての人物ーー香我美に会うことが出来たのだった。
香我美は色白で小柄な女性だ。勝ち気なつり目が特徴的である。白狐の妖であり、艶のある黒髪からは白い耳がにょっきりと生えているのが見える。
「初めまして、お会いできて嬉しく思います。帝都学院高等科二年葦原組の久我灯子です。そしてーー」
「同じく久我眞宏です」
ぺこりと頭を下げる。
「我に何か用事があると聞いたが」
さっそく本題に入ってきた香我美にどきりとする。余分なご機嫌取りは邪魔なだけと言うことか。私は口の中に溜まった唾液をごくりと飲み込んだ。
「単刀直入に申し上げます。堅州の頭目、蠎の所在をご存知ありませんか」
「存じておる。我が屋敷に奴がおるのを、そちも知っていたからわざわざ高天原に来たのだろう。我は遠回しなのは好かぬ。言いたいことがあるのなら、きちんと言え」
どうやら蠎を軟禁していることを隠すつもりはないらしい。そもそもそのことを隠すべきこと悪いこととも思っていないのかもしれない。
「ではーー、蠎を堅州に帰してください。そして金輪際、蠎に堅州に狐ヶ崎組に手を出すことをお止めになってください」
香我美の形のよい眉がぴくりと動いた。
「奴らは犯罪者ぞ。妖の魂を売り誇りを捨て、咎を纏った穢らわしきもの。何故そんな奴らを仮にも皇帝候補に選ばれた主が庇う?」
高天原の妖たちにとっては、高天原を去って堅州で暮らしているというそれだけのことすら犯罪となる。どんな理由があっても堅州にいるだけで汚れたものとされる。狐ヶ崎に属するだけでやくざものとされる。
だから堅州に流れた妖たちは皆、体に咎人の証である棘の刺青を刺しているのだ。
堅州に住まう人たちは、たしかに窃盗や売春といった罪を犯している人たちもいる。それは良くないことだ。悪いこと。だけどそれだけのことをしなくちゃ生きて行かれないようにしたのは、誰? そこまで追い詰めたのは、誰だったの。
「私は、高天原も堅州もどちらも悪いことをしていて、どちらも正しいと思う。どちらも同じくらい正しくて間違っている。それなのに堅州ばかりが間違っていると言われるのは、堅州が弱き国で高天原が強き国だからです。だから、私は弱き方ーー堅州を庇うのです」
「高天原が悪いことをしているとな」
香我美の言葉が棘を纏った。ぞっとするほどの威圧感に圧されてしまう。さすが大和一の国を治める女帝だけのことはある。
「悪いことも、しているとは思います。例えば堅州にいるというただそれだけの理由で、頭から彼らのことを犯罪者として蔑み、生きるためだけの最低限も与えないでしょう。何人たりとも、生きていけない人などおりません」
香我美が私を睨む。明らかな憎悪を以て、私を睨んでいる。
でも私は間違ったことを言っていない。私は私の矜持を捨てたことは言っていない。
「この大和に於いて、幸せを手にすることを赦されない人などおりません」
香我美は黙っている。何を考えているのかは分からないけれど、それでも私の話は聞いてくれている。それならば好都合だ。
「貴女にとっては憎き堅州。それに支援をしてくれなどとは言いません。ただ、手を出すのはやめてください。彼らにももう高天原に関わるのは止めてくれと伝えます。だからーー」
「もういい。あい解った」
香我美は眉間を押さえて、小さく、しかしはっきりと告げる。
「蠎は解放しよう。堅州にも手は出さぬ。好きにするがよい」
「えっ……」
「不服か」
私は必死に首を左右に振る。
不服なことなど何もない。何もないのだが、あまりにもあっさりとした幕引きに動揺しているだけだ。まさかこんなに簡単に蠎を救出することが出来るだんなんて、信じられない。
「お前の言葉に絆されたわけではない。葦原と夜之食国を敵に回すと面倒だからだ。それに、もう、いい。堅州とは関わるのも面倒だ」
それはどこか寂しげな口調だった。
香我美が堅州に執心していた理由は他にあるのかも知れなかった。しかし一つのことで精一杯だった私には、その理由など考えてみたって解らなかったのだ。




