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花のおとめ三国史  作者: 高梨いろは
葦原編
13/22

誇れるもの

「ありがとね、眞宏」


「ん?」


「私のことを信じてくれてありがとう」


 街鉄の窓からすっかり真っ暗になっている帝都の街並みが見える。平日の夜だからか、ビジネスマンやビジネスガールがたくさん乗っていた。

 貸して貰った学ランからは眞宏の匂いがする。爽やかな森林のような香りと、男の子らしい汗っぽい埃っぽい香り。私が慣れ親しんだ香りである。

 学ランがだぼだぼなので、肩からずり落ちてしまった。眞宏の身の丈は一間いっけん以上あるのだ。


「あと、守ってくれてありがとうね」


 眞宏がいてくれなかったらと思うと、ぞっとする。眞宏が助けてくれなかったら、あのまま輪姦まわされてしまったかも知れないんだもの。


「ううん、俺がやりたくてやったんだからいーのいーのー!」


 なんて優しいんだろう。なんて温かいんだろう。どうしてこんなに切なくなるんだろう。

 にこりと笑う眞宏を見ていると、また泣きたくなってしまった。だけどもう泣かない。泣いて良いのは親が死んだときとお金を落としたときだけだ。


「私のお兄ちゃんが眞宏でよかった」


 眞宏は少しだけ眉間にシワを寄せてから、ん、と言って私の頭を撫でた。


「俺も、灯子が俺の妹で良かったと思ってる。何かあったときには俺のことを一番に頼りにして欲しいから」


 この言葉に私は頷いたけど、いずれは一人の足で立たなければいけないことも知っていた。

 人に頼る強さや弱さは必要だけど、甘えてはいけないのだ。私はまだ未成年で甘える口実を持っているけれど、それと同時に皇帝候補なのだ。皇帝に代わりはいない。皇帝はひとに頼られる人間で、甘えてはいけない。


 皇帝になることは思っていたよりも難しく、そして険しい道のりだった。皇帝になるまでですらこんなに難しいというのだから、その先はきっともっと辛いに違いない。


 そんなことに無関係な眞宏を巻き込んでもいいのだろうか。

 私はこのまま、眞宏の妹でいてもいいのかな。眞宏が傍にいると自分の足で立っていられなくなる。甘えることが当たり前になりそうになるのだ。

 それがとても幸せで、それ同じくらい怖い。


 街鉄はがたんがたんと揺れて、私たちを帝都へと誘う。


「俺は灯子のためなら何でもするから、弱いままの灯子でいて。俺の前だけではね」


 切なく甘く掠れたテノオルが耳のすごく近いところで響く。

 思わずどきりとして眞宏を振り返った。

 彼は真剣な顔で私を見ている。へらへらしてちゃらちゃらしているいつもの眞宏じゃなかった。いつかの、雨宮帝と対峙していたときの眞宏の顔だった。


「眞宏……?」


 いつもと違う空気を打破しようと精一杯の笑みを浮かべる。

 眞宏が私の手を握った。


「なーんてな」


 突然、破顔一笑した眞宏に私もほっとして笑う。

 でもこれは本当に冗談なのだろうか。眞宏は何か伝えたいことがあるのだろうか。


 ううん。今は自分のこと以外でもっともっと考えるべきことがたくさんある。

 堅州の信用を得るために、これから毎日堅州に通って、この目で堅州を見る。そして堅州の人と交流を持つ。

 これからのことを考えると、恐れや不安、恐怖というおおよそ良くない感情でいっぱいだ。でも今頑張れば未来の自分は笑えるだろう。努力して明るい未来を勝ち取るんだ。


 そういう覚悟があれば、眞宏を頼りにしてもいいのだろうか。甘えるのはだめだけど、頼るのはいいのだろうか。


「眞宏」


「うん?」


「私はこれから今よりずっとずっと強くなりたいと思ってる。皇帝になるために」


 眞宏に握られた手のひらに力を込め、強く握り返す。彼の手のひらは少し湿っていてごつごつとしている。指の節が高い、眞宏の手。この手にずっとずっと守られて生きてきた。


 帝都学院前にある乗降場に近づくにつれて、人が少なくなっていく。遠くの座席に小さく親子連れが見えた。


「だから、眞宏に頼ってばっかじゃ駄目だと思う。……だけど……」


 だけど、もしもこれからも眞宏が私と一緒に戦ってくれるならと願ってしまう。

 眞宏は私の肩に頭を乗せ、頬擦りした。


「灯子のためなら何でもするってのは嘘じゃねーぞ。一緒にてっぺん目指すんだ。何度も言わせんな、恥ずかしい」


 嬉しかった。

 本当はそう言って欲しかったんだと思う。どんな綺麗事を言っても、結局は私には眞宏が必要で私から離れていって欲しくはなかったのだ。

 そう気が付いたとき、私は泣きそうになって、唇を噛み締めた。


「う、んっ、うん……!」


 何度も、何度も頷く。

 ありがとうとかごめんなさいとか、たくさんたくさん言いたいことはあったのに、その全てが嗚咽に変わってしまった。


 眞宏は小さく声を上げて笑っている。


「俺は灯子の相棒だからさ。そんなこと心配してないで、堅州とのこと考えろよ」


 うんと頷いて、瞬きで落ちた涙の滴を指先で拭った。


「とにかく堅州に行くときは俺も呼ぶこと! 廉翔でも日色でもなくって、俺を頼ること!」


 約束だぞと眞宏は私の瞳を覗き込む。


「分かった。堅州には毎日行くつもりだから、放課後に待ち合わせしよう」


「りょーかい!」


 敬礼のような仕草でおどける眞宏を見ると、悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなった。

 ふっと笑ったとき、いつもと同じ車窓さんの声が聞こえて、街鉄が学院前に到着したのが分かった。


 学院前の乗降場から寮に行くまでの間、私と眞宏はずっと手を繋いでいた。

 月は陰っていてよく見えなかったけれど、星は輝いていた。幾千万幾千億の星々が私たちの上で瞬いている。

 そうやって空を見ながら歩いていると、まるで小さい頃に戻ったみたいだ。


「お屋敷に着きましたよ、お嬢様」


 眞宏が木造二階建ての我が家まで送ってくれた。

 執事さながらの台詞だが、眞宏は執事っぽくなどない。強いて言うならチャラ男か犬である。


「ありがとう。学ランは洗って返すね」


「そのままでいーよ。それよか、新しいセーラー注文しておきなよ」


「もう一枚あるからいい」


 セーラーは洗い替えのがもう一枚あるので、買わなくても問題はない。残り一年半の高等科生活なのにわざわざ新調するのも馬鹿馬鹿しい。


「駄目! 俺から母さんに言っておくから」


「いいよ。お義父とうさんとお義母かあさんが心配しちゃうし、迷惑かけらんないし……」


 私の言葉を聞いて、眞宏は大きな溜め息をついた。


「心配させてやってよ。父さんも母さんも灯子は手が掛かんなくてむしろ心配ねって言ってるしさ」


 そこまで言われたら、これ以上我が儘は言えない。

  

「うん……。分かった」


「ん。じゃあ、また明日ね。おやすみ」


「おやすみ」


 眞宏の後ろ姿に手を振り、見送る。


 やっぱり私はひとりじゃ生きていかれない。

 私は馬鹿だし単純だし、鈍臭いし。何一つとして上手くやれる自信がないから、頭が良くて強い眞宏や、勘が良くて真面目な廉翔に助けて貰わなくちゃ、本当にただの皇帝候補という肩書きだけの女である。


 そんな私にただひとつ誇ることが出来るものを挙げろと言うのなら、胸を張ってこう答えるだろう。

 困ったときに頼ることの出来る人がいる、と。

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