豆狸の反撃
「まずは私のことをお話します」
大きく深呼吸をして、震える声を平生のものに戻す。
何を話そうか。馨の胸のあたりを見て考えるけれど、どうせ私のちっぽけな頭からは何も出てこないのだから、友達と話すようなことを話せばいいのだろう。そう結論に辿り着いて、もう一度息を吐き出す。
「私の本当の名前は、中原灯子です。父は元華族で実業家でしたが、先の国崩しで没落してしまいました。今は葦原の東街で農家をしています」
十二年前の葦原での内乱ーー国崩しで私の家は没落してしまった。
元々、歴史はあるが金はない名ばかりの華族だったので、内乱なんか起これば一発でぼろぼろと崩れてしまった。両親は悲しむでもなく恨むでもなく、仕方なかったねと薄笑いを浮かべていたっけ。
「今は葦原御三家の久我家に養子縁組みして、久我灯子と名乗っています。だから、眞宏は私の義兄です」
眞宏に初めて出会ったのは五つから六つに年齢が変わったくらいだったと思う。
眞宏への第一印象は、綺麗な髪の毛だなあだった。あと漠然としたこの人とは仲良く出来そうだという気持ちも。実際、その通りで、今も眞宏とは大の仲良しだ。
馨も蠎も周りの人たちも、私の話を静かに聞いている。
「だから本当なら国立帝都学院に通えるような身分じゃないし、ましてや皇帝になんかなれっこなかったんです。今でもどうして選ばれたのか解らないくらい。でもこれが、神様が私にくれた機会ならば、しがみついてでも生かしたいと思う。幾度失敗しても、絶対に立ち直る」
これは自分自身に言い聞かせる意味もあった。
私は絶対にこの機会を生かす、と。自分自身に誓っていたのだ。
葦原東街の私が身を立てるために、この機会を生かすのだ。
「それは、葦原のためか?」
ずっと口を閉ざしていた蠎が、射抜くような視線とともに質問を投げかけた。
私も蠎を見つめ返す。
「私の理想のために」
葦原のため。大和三国のため。帝都のため。堅州のため。家族のため。こんなの全部嘘だ。だって全ての願いを私一人が叶えられっこないのだから。
私が頑張るのは私の理想を叶えるためだ。いくら綺麗ごとを言ったところで、結局は、全て自分のためだったのだ。
私はまだ他人の想いを抱えきれるだけの容量など持ってはいなかった。私自身の願いすら抱え切れていないのだから。
「己の理想に私たちを巻き込むのですか?」
「それは国王だって官僚だって政治家だって、あなたたちだって同じだわ。国を動かすことって結局己の理想を追い求めることだと思う。でもその理想は私益とは違う。うまく言えないけど……それは……」
ひとつの国にはたくさんの国民がいて、それぞれの夢を持っている。その夢を叶える機会を与えるのが、それぞれの夢を叶えるだけの土台を作るのが国王であり政治家の仕事である。しかし全ての理想を叶えていたら国は破綻してしまうだろう。
それぞれの夢や理想に折り合いをつけなくちゃいけない。でも折り合いをつけたものは、誰の理想になる?
それは紛れもなく、国王であり政治家の理想だ。
「分かりました。蠎、他に彼女に聞きたいことは?」
馨が蠎に質問を促す。
「……てめえを信じていいのか」
長い沈黙の後にひとこと、そっと呟いた。
蠎のその一言は鉛より重いだろう。堅州と狐ヶ崎を纏める男の一言なのだから。
私がこと言葉に頷くことは、堅州と狐ヶ崎を守るということになる。
私に、それだけの力があるのだろうか?
その答えは、力がないなら自力で作るまでだ、である。
覚悟はもう決めた。迷わない。
「蠎さんは私に何を期待しているのですか。葦原に望んでいることはなんですか」
蠎は大きく息を吸い込んだ。
「鬼落ちどもにとって、堅州は最後の砦なんだ。そこを荒らされたくねえだけだ」
「葦原の人が堅州を荒らしているのですか」
「そうだ」
迷いのない頷きに、私は動揺する。
葦原が堅州を荒らしていただなんて、聞いたことがなかったから。
「かつて堅州は帝都にも並ぶと言われた場所だった。それが今やこのざまなのは、葦原が堅州を食い物にしたからだ」
そういえば、三国史古事記にもそんなことが書かれていた気がする。
かつて堅州は栄えていた。堅州とはその一部を所有する葦原の富の証だと。
堅州と葦原は共存していたのだと解釈していたのに、どうやら蠎は認識が違うらしい。
「食い物にした……?」
「そうだ。堅州は葦原によって衰弱させられ、高天原によって悪しきものとされたのだ。夜之食国とて助けてはくれなかった」
そう呟く蠎は歯を食いしばり、拳を握りしめている。心底、憎く思っているのだろう。
葦原のことも高天原のことも、夜之食国のことも。
その気持ちは分かる。酷いことをされたからやり返したくなるという、その気持ちは分かる。だけどその連鎖は断ち切らなければ、延々といたちごっこになってしまうのだ。
「私たちも同じです。葦原を荒らされたくないだけなのです。互いがしてきたことを忘れましょうとは言いません。しかし互いに荒らし合うのは止めて、ここら辺で一度手を組みませんか」
「手を組む、とは」
「かつて葦原と堅州は共存していたと、三国史古事記にありました。しかし蠎さんは葦原が堅州を食い物にしていたと仰っている」
蠎はそうだと頷いた。
「だったら、やり直しませんか? もう一度、葦原と堅州で手を組みましょう」
私の言葉を聞いて、蠎は黙ったまま目を閉じている。私の提案を静かに考えているのだろう。
その様子をただ黙って見守る。
私の斜め後ろでは眞宏が控えてくれている。何も言わずに、ただ黙って私を応援してくれている。
ぼんやりしていると、低く呻くような声で、蠎が問い掛けてきた。
「てめえのところの帝は信用出来る奴なのか。馬鹿殿って聞いてんぞ」
「もちろん、信頼の出来る方です」
先日、初めて出会った雨宮帝は優しく穏やかな人だった。馬鹿殿なんて言われるけどちゃんと先のことを考えている人だと思う。
あまり親しく知っている人じゃないけど、なんとなく信用出来る方だと思ったのだ。それはやはり雨宮帝の実弟である眞宏に雰囲気が似ているからかも知れない。
「あなたはそう仰いますが、……しかし、やはり私たちは信用出来ません。雨宮帝も、……あなたたちも」
初めて、馨の真剣な顔を見た。
隣で蠎も頷く。
「そう、……ですよね。分かりました」
いきなり訪問して信用してくれと言っても、そう簡単に信用出来るはずがない。そんなこと、当たり前だ。分かっていたことだった。
私はにこりと笑みを作る。
「今日はもう帰ります。でも、また、遊びに来ます。蠎さんと馨さんと、堅州の皆さんと友達になれるまで」
一度で条約など結べるはずがなかったのだ。
少しずつ少しずつ、信頼を得ていこう。ひと月、ふた月、一年、二年掛かる覚悟でこの課題に挑む覚悟をしよう。
蠎と馨は驚いた顔をしていた。
この台詞で、私はようやく二人をぎゃふんと言わせたのだった。




