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花のおとめ三国史  作者: 高梨いろは
葦原編
11/22

信じるということ

 蠎は黙って考え込んでいるようだ。私はその様子を黙って見守る。

 全て馨の言うとおりだ。私は未熟で、馨が言うところのこんな程度のことで動揺して迷ってしまう。簡単に兄との約束を反故にして、大人の言葉に惑わされてしまう。

 こんな程度の人が皇帝になって良いはずがない。もっと適当な人材は帝都にたくさんいるはずである。


 だけど、私はやると決めた。

 皇帝になる。皇帝になって中原家を立て直すって、私が決めた。


「私は、国立帝都学院高等科二年の久我灯子です。葦原帝雨宮の代理として条約を結びにきました」


 まずは、きちんと来訪の理由を言う。はきはきと聞きやすい声で喋る。

 しっかりと相手の顔を見て、微笑みを浮かべる。肩を張らない。猫背にならない。自信を持つ。

 大丈夫だと思い込んで、最後は自分を信じなくちゃ。


 そんな私を見て、蠎は大きなため息をついた。


「てめえはまだ十幾つの餓鬼だろーが。しっかり学校行け。餓鬼にゃ餓鬼のやることがあるだろーがよ」


 蠎の言うことはもっともだ。

 彼の言うとおり、私はまだたった十七歳の餓鬼である。蠎や馨、タノジが何歳なのか知らないけど、少なくとも私よりはずっと大人だと思う。

 こんな子供の言うことを真に受けてはいられないと思う理由は凄く分かる。


 だけど私だって遊びの延長としてやっているわけじゃない。

 馬鹿にされているような気がして悔しくなって、私はムキになって言い返す。ぎゅっとスカートを握り締め、前のめりになった。


「私は本気でやってるんです。本気で葦原と堅州の条約を結びたいと思っているんです」


「その本気はどうやって見せてくれますか」


 馨は狐のような目をさらに細める。その瞳はまるで心の奥まで見透かしているようだ。日色とはまた違った力のある瞳をしている。


「どうやって……?」


 馨の言っている意味が分からなくて、ただ同じ言葉を繰り返す。


「コラ、馨、余分なこと言うんじゃねえ」


 このまま黙って私を帰したい蠎は静かな声で馨を止める。しかし蠎の制止を無視して、なおも馨は続ける。


「こちらとしてもあなた相手に本気で条約を結ぶんですよ。子供相手に本気でこの堅州を賭けるんだ」


「私だって本気です! 葦原帝に委託されて本気で条約を結びに来たんです」


「その証拠は? 一筆して貰ったんですか」


 思わず言葉に詰まってしまう。

 そういえば書面では何も残ってはいない。


「ほらね。何も書いて貰っていない。しかし我々は堅州の実質的幹部が雁首揃えているわけです。ここで不利な条約を結んだとて、葦原は知らぬ存じぬを貫けば良いんです。しかし我々はそうはいかない。そういうことなんです」


 葦原帝の命を受けてここまで来た。葦原の公式文書で使われている印鑑も持っている。

 だけど私は試験を受けた官僚でも皇室の人間でもない。今回の訪問で失敗したとてどうにでも言い訳出来るのだ。

 私そ存在なんてそんなものなのだ。そんなこと分かった上で来ている。他人から見た私がどんなにちっぽけで取るに足らない存在なのかなんて、ちゃんと分かっている。


 それでも。

 私は認めて貰いたい。見返してやりたい。


「私はそんなことしません。蠎さんと結んだ条約はきちんと守ります。私は本気なんです!」


「だからそれをどうやって証明しますか。刺青でも入れますか。蠎や私ーー堅州の鬼落ちと同じ様に、棘の刺青を入れますか」


 この大和三国において、棘の刺青は咎人とかびとの証。それ故、咎人であるとされる堅州の鬼落ちの多くは体中に棘の刺青を入れているのだ。

 それを私が入れると言うことは、今後一生真っ当な仕事には就けなくなるし、結婚も出来なくなるということになる。それに刺青を入れたからって相手が約束を守るかは分からないのだ。

 堅州と条約を結ぶためだけにそんな危険を犯すのは馬鹿過ぎる。


 私は唾液を飲み込んだ。


 どうしたらいいのか分からない。逃げてしまいたい。この場から逃げて消えてしまいたい。

 眞宏の方を見ると、彼は私を見てにこっと笑って頷いた。私の傍には眞宏がいる。

 眞宏はいつだって私の味方だった。


 震える声を宥めて、告げる。


「私は本気です。本気で条約を結びに来た。私は子供で未熟で、堅州の皆さんが私を信じられないというのも分かります」


 信じてと言葉で言うのは簡単だ。だけど何も実績のない私を信じてくれる人なんているはずがない。

 そのことを突きつけられたような気持ちだ。

 私が思っていたよりも、私はなんにも持っていないんだ。


 私は何を持っているのかを必死で考える。

 頭も悪いし運動も出来ないし、美人でもないし権力もコネもお金もない。友達も少ないし、根性もない。本当に普通の女、或いは普通よりも底辺の女にすぎない私は何を持っているのか。


「灯子」


 眞宏に名前を呼ばれて、ゆっくりとそちらを見た。彼はあの太陽みたいな眩しい笑顔で笑っている。


「俺は信じてるから」


 私はまた泣きそうになる。

 眞宏の笑顔があまりにも眩しくて、無垢だったから。

 眞宏は私を心から信じてくれている。一度裏切って失敗をした私のことを信じてくれているのだ。


「灯子の選んだ道を信じてる。俺は灯子の選んだ道を一緒に歩いてく」


 この信頼に返せるものは何がある。何物にも代え難いこの信頼と対等になれるものは何がある。

 この信頼に応えられるのは、同じだけの信頼だけだ。だから私も眞宏を信じる。


「私も眞宏を信じてるよ」


 私の言葉を聞いた眞宏は満面の笑みを浮かべてくれた。

 そこまで考えてようやくたどり着く。

 馨の信頼を貰うために必要なものは、私の馨に対する信頼だけだ。彼の信頼を得るためには、まず私が彼を信じなくてはならない。


 他人ひとは自分を映す鏡。だから与えただけのものしか返って来ない。いくら良い顔をして見せても図書で得ただけの知識を纏った私に、上辺だけ取り繕った私に、彼は気づいていたのだ。

 取り繕れないのならいっそありのままの自分で行くまでだ。


 馨は私たちのやりとりを馬鹿にするような笑みを浮かべて見ている。その表情を見るととても怖くて、とても不安になる。


「それと同じように、馨さんのことも信じたいです。堅州のことも信じたいです」


「どうやって信じるのですか。葦原と堅州は敵対しているのに信じられるんですか」


「堅州のことを教えてください。馨さんや蠎さんのことをたくさん教えてください」


 分からないことが不安に繋がり、知らないということが恐怖に繋がる。だから堅州や蠎、馨のことを知れば何かしらのきっかけになる気がするのだ。


 これで駄目だと言われたら、もう一度出直そう。そう思って瞳を伏せた。


「いいですよ。何が知りたいんですか?」


「馨」


 蠎が馨の名を呼ぶ。やや苛ついたような蠎の声音は元々低いのでさらに低音がよく響く。これこそ地を這うような低音というのだろう。

 鋭い三百眼がさらに鋭く細められ、眉間にはシワが寄せられている。


「止めとけよ。あんまりからかうんじゃねえ」


「からかっていません。それにこの子は本気だと言っているんですよ。ならば本気で相手してあげるべきでしょう」


 飄々とした馨の言葉を聞いた蠎はあからさまに嫌そうな顔をした。そのままの顔を私に向けて、面倒臭そうに言う。


「止めとけ。てめえにこういうことは向いてねえ」


 向いてないことだから止めろと言うのなら、私は死ななくちゃならなくなるだろう。今生きているこの人生だって、私には向いてないのだもの。

 そう考えて、私は段々と楽しくなって来た。堅州に来て初めて心の底から笑う。


「取り敢えず、条約のことは置いておきましょう。私は蠎さんと馨さんと仲良くなりたいです」


 条約のことは二の次にして、まずはこの二人と信頼関係を築くことを目指そう。

 まずは一歩。そしてもう一歩。少しずつ近付いて行こう。


 私はようやく一歩、葦原と堅州の平和条約に近付いたような気がしていた。

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