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妄想ファンタジスタ  作者: 弥生遼
その十五、魔王と妹
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兄さん嫌いです

 夏の暑い日ざしがじりじりと肌を焦がすように突き刺さってくる。それに加えて、蒸し器に中に入ったかのような驚異的な湿度が容赦なく道行く人々を苦しめている。こんなクソ蒸し暑い日によく外に出るな、と我が事ながら感心してしまうほどであった。

 さほど涼しくない電車から降り、荻野橋駅前に降り立った。どっと汗が吹き出てくるが、これからの楽園探訪を思えば、これほどの苦行、どうということない。それに僕にとっては行き慣れた地。どこにトイレがあるか、どの店の冷房が適度に涼しいかは把握している。今日だってどういうルートでお店を巡るかは、頭の中にインプット済みだ。

 「兄さん、暑いです。どこかで涼んでいきませんか?」

 いつものオキバ探訪と勝手が違うのが、珍しく秋穂がついてきたことだった。僕とカノン、そして秋穂と留守番するのが嫌なレリーラがオキバへ行くため準備していると、いつになく固い顔をした秋穂が自分も行くと言い出したのだ。一体どういう風の吹き回しかと思ったが、断るのも恐ろしかったので連れてくることにしたのだった。

 「何を言っている。この程度で弱音を吐いているようではオキバでは生きていけない。辛いのなら帰ってもいいんだぞ」

 「それは嫌です」

 ハンカチで汗を拭う秋穂。強情だなぁ。

 「ま、すぐに冷房の効いた建物に入るから安心しろ。それよりもカノン。例の奴頼むな」

 僕は財布から一万円札を取り出し、カノンに渡した。

 「はいはい。その代わりちゃんとご馳走しなさいよ」

 「分かった分かった。終わったら携帯に電話してくれ」

 「うん。じゃあ、行きましょう。先輩」

 「おし!行ってくるわ!」

 一人元気なレリーラとカノンがオキバの雑踏に消えていった。僕はその二人の後姿を見送りながら、お店のある方向が間違っていないのでほっと安堵した。

 「兄さん、どういうことですか?カノンさんに何をお願いしたんですか?」

 訝しげに顔をしかめる秋穂。

 「『嬉し恥ずかし弁天さまっ!!』の限定版CDが出るんだが、困ったことに店舗によって特典が違うんだ。しかもあこぎなことに、『アニマーズ』では四種類の特典があり、先着順なんだ。僕は弁天様一択なので、とりあえずそれを押さえるためにあいつらを先発させたんだ」

 はぁ、と気の抜けた返事をする秋穂。理解していないに違いない。

 「秋穂……。興味ないのなら帰ってもいいんだぞ」

 「帰りません。兄さんはよほど私を帰らせたいんですね」

 「だって、ただ暑いだけで楽しくないだろう?」

 「私は兄さんといるだけで楽しいです。アニメ絡みじゃなければ、もっと楽しいのですが」

 「僕からアニメを抜いたら何も残らないぞ。さぁ、僕らも行くぞ」

 「どちらへ?」

 「『オタメイト』だ。そこでも別の特典があって、やっぱり先着順なんだ。さぁ、急ぐぞ」

 「はぁぁ……兄さん、つくづく残念ですね」

 などと言いながら、ついてくる秋穂。何か裏があるのではないかと薄気味悪く思ってしまった。


 オタメイトで無事特典を手に入れた僕は、意気揚々とカノン達との集合場所に向かう。相変わらず暗い顔の秋穂が亡霊のようについてくる。

 するとちょうどいいタイミングでカノンから電話がかかってきた。首尾は上々。任務はちゃんとこなせたようである。

 「よし。こっちも終わったから例の所で集合な」

 『分かったわよ』

 カノンが了承したので、僕は携帯電話を切った。

 「例の場所ってどこです?」

 僕とアニメショップめぐりをしている間、終始不機嫌だった秋穂が輪をかけて不機嫌そうに尋ねてきた。

 「オキバ名物『ゴートゥーヘブンカレー』だ。メイド喫茶でもよかったんだが、オキバ初心者のお前にはまだハードルが高いだろうからな」

 「普通のカレー屋さんなんですか?」

 「オキバ以外にもあるチェーン店だ」

 なら安心しました、と秋穂は今日はじめて安堵の表情を見せた。

 電話を受けてから歩くこと五分。ゴートゥーヘブンカレー荻野橋店に到着した。店に入るとすでにカノンとレリーラは着いていて、ちゃんと四人席を確保していた。

 「うわぁ……。メニューが多いですね」

 席に着き、メニューを広げた秋穂が驚きの声を上げた。ゴートゥーヘブンカレーは、非常にメニュー数が多く、辛さの段階を組み合わせると百種類近くあるらしい。ゴートゥーヘブンカレー初心者は、まずこのメニューの多さに驚き、困惑するのだ。

 「今日は何をしようかな……。この前はメンチカツカレーの『そこそこ中辛』だったから、夏野菜カレーの『おおよそ大辛』にしようかな」

 すっかりゴートゥーヘブンカレーの虜なったカノンは、毎度毎度違うカレーの違う辛さを楽しんでいる。しかし、そういう楽しみ方はまだまだ初心者である。

 「オレはカツカレーの『おおむね小辛』や。これ一択や」

 レリーラも数度来ているが、いつも同じカレーの同じ辛さを注文している。一見、通の食べ方のようであるが、僕に言わせればまだまだだ。

 「僕は茄子とトマトのカレーの『そろそろ激辛』だ」

 そう。本当の通とは、同じメニューで辛さを変えていくものなのだ。僕はこの一年間、茄子とトマトのカレーばかりを辛さを変えて楽しんでいる。

 「秋穂はどうするんだ?」

 「え、ええ。兄さんと同じでいいです」

 「え?本当にいいのか?結構辛いぞ」

 このゴートゥーヘブンカレーのもうひとつの特徴は、辛さの段階が豊富なことだ。一番甘口の『苺大福に練乳をかけたような甘さ』から最も辛い『ゴートゥーヘブンしても責任を取りません』まで全二十段階ある。ちなみに僕が頼んだ『そろそろ激辛』は十三段階。相当辛い。

 「そ、そうよ。私もリタイアしたんだから……」

 カノンが心配そうに秋穂を見る。

 「大丈夫です」

 強情な秋穂は、きっとカノンを睨み返し、僕と同じものを注文してしまった。ど、どうなっても知らんぞ。

 カレーが来るまでの間、僕はカノンが入手した戦利品をチェックした。よしよし、ちゃんと間違わずに買ってこれたな。

 僕が満足していると、カノンが背中からビニール袋を差し出してきた。

 「ほらほら!あんたが欲しがっていた『メイドと執事のあれやこれ』のイベント限定CDよ。たまたま通りかかった中古屋で見つけたのよ」

 それは『メイドと執事のあれやこれ』の放送開始前に行われたイベントで配布されたドラマCDだ。ネットオークションにも出品されていたが、高値がついてしまうのでなかなか手が出ないので、ずっとオキバの中古屋で探していたのだ。

 「でかしたカノン!」

 僕は手を打って喜んだ。カノンに一万円を渡しておいて正解だった。

 「いやぁ、本当にでかしたぞカノン!僕の長年の教育が実ったわけだ」

 「長年って、まだ半年も経っていないわよ。あ~あ、でもこれで私も本格的なオタクか……」

 そう言いながらも満更でもない様子のカノン。僕から言わせればまだまだであるが、オタクの端くれになったことは認めてやってもいいかもしれない。

 「……!!」

 突如、机を打つ激しい音がした。僕の隣に座る秋穂がお冷の入ったグラスを鬼の形相で握り締めていた。どうもそのグラスを机に強く置いた音らしい。

 「どうした?秋穂」

 具合でも悪いのだろうか、それとも手洗いにも行きたいのだろうか。

 「な、なんでもないです……」

 秋穂は、必死に何かに耐えているような感じであった。

 その直後、店員が四人分のカレーを運んできた。カレー独特の香辛料の匂いが鼻腔を擽る。

 「じゃあ、いただきます!」

 カノンがスプーンで豪快にカレーをすくい、一気に頬張る。恍惚の表情を浮かべながら、一味一味噛み締めるように咀嚼する。こいつが飯を食っている姿を見ていると、何でも美味しそうに思えてくる。

 「カツやカツ~。オレ、ほんまトンカツ好きやわぁ」

 ご飯の上に乗っているトンカツ一切れをスプーンですくうレリーラ。まずはカツだけを食うのが通や、と言いながら、こいつも実に美味そうにトンカツを頬張った。

 「さて、僕もいただくか」

 僕も一口いただく。香辛料の香ばしい味。そしてその後に広がる強烈な辛さ。くぅ~、たまらん!

 「わ、私も」

 僕の様子をじっと見ていた秋穂がようやくスプーンを動かした。一口分すくってスプーンを口の中に入れた。瞬間、秋穂の顔が真っ赤になった。

 「……っ!!けほっ、けほっ!」

 なんとか一口飲み込んだ秋穂だったが、あまりの辛さにむせてしまったようだ。慌てて水を一気飲みする。

 「な、何ですか……。これは……」

 「だから言っただろう。カノンでさえリタイアしたんだ。お前には絶対無理だって」

 「そんなことは……」

 秋穂は再びスプーンを手にしようとした。しかし、その手はかすかに震えていた。

 「秋穂。頼んだんだから、ちゃんと食べろよ」

 意地悪で言ったつもりはない。兄として食べ物を残さないということをちゃんと妹に躾けないと駄目なのだ。だけど、本当に食べさせるつもりはない。秋穂がちゃんと反省の弁を述べれば、許してやって僕が秋穂の分も食べてあげるつもりだ。

 「……もう、いいです」

 しかし秋穂は、スプーンを置き、立ち上がった。

 「秋穂!」

 「もういいです!帰ります!兄さんなんて嫌いです!」

 秋穂は、僕に一発ビンタをお見舞いしてから、走りながら店を出て行った。俯いていたのではっきりとは分からなかったが、秋穂は泣いているように見えた。

 

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