あの子、苦手
ちょっと前まではあり得ないことだと思っていた。
だってそうだろ?男子高校生の一人暮らし自体が希少価値というか現実にあり得ない状況なのに美女が……。あ、このイントロダクションはかなり前にやったか。しかも、三回目だ。なので省略。
帰宅するなり失神した秋穂を助け起こし、とりあえずリビングまで運んだ。久々に会って失神されるなんてお兄さんとしてショックなのだが、まぁあんな光景を見たらショックかもしれないな。
幸い、秋穂はすぐに意識を取り戻した。しかし、ソファーから起き上がるなり、僕に往復ビンタをしてきたのだ。
「な、何をするんだ!」
「折檻です。空港にも空港駅にも乗換駅にも最寄り駅にもバス停にもマルヤスにもノジマドラッグにも迎えに来なかったからです。当然の折檻です」
ソファーに座りなおす秋穂。いただきます、と言ってテーブルの上の麦茶を口にした。
「それは悪かったよ。だって、お前がいきなり帰ってくるもんだから……」
「いきなり?私は、随分と前からメールでお知らせしていましたが?」
「すまん、しばらくメールをチェックしていなかったんだ」
ぱしん。再び秋穂の平手が飛んでくる。僕は逃げることなく、それを受け止める。確かにそれは僕が悪い、ごめん。
「まったく、兄さんは相変わらず駄目ですね。アニメばっかり見ているからですよ」
「アニメは関係ないだろう、アニメは」
と言いながらも、秋穂の視線がカノンとレリーラに注がれているのが気になった。
秋穂は、悲しくなる某反戦アニメを十回連続見てきたような悲壮感に満ちた顔でカノンを凝視していた。カノンはその視線を受け、明らかに戸惑っていた。そういえば、カノンと秋穂は初対面になるんだな。ちゃんと紹介しておくか。勿論、表向きのプロフィールで。
「こいつは、カノン。カノン=プリミティブ=ファウ。メールで教えただろう?父さんの知り合いの人の娘だと」
「知っています。お父さんにもちゃんと聞きました」
僕は、ほっと胸を撫で下ろした。『創界の言霊』の効力は、遠く離れた父親にも効いているらしい。
「ほれ、カノン。ちゃんと挨拶しろ」
「カノンよ。よろしく」
カノンが無愛想に言う。秋穂です、と短く答えた我が妹は、すっと視線をカノンの隣に座るレリーラに移した。やはり幼女のことも気になるか……。
「こいつはレリーラ。カノンの親戚の子で、訳あって預かっているんだ」
「おう!レリーラじゃ。よろしゅうな」
極悪幼女にしては愛想のいい笑顔だった。秋穂は仏頂面のまま、秋穂です、と愛想なくいい、ぷいっとレリーラから再びカノンに視線を戻した。
「なんじゃ!態度悪いな!」
秋穂の態度に抗議するレリーラ。しかし、秋穂はまるで意に介しておらず、カノンを足先から頭のてっぺんまでじっくりと観察するように眺めている。特にカノンの胸の辺りを集中的に見ているような気もしないでもないが……。
「な、何よ……」
「こらぁ!オレを無視すんなや!」
「何でもないです」
そっぽを向く秋穂。その瞬間、勝った、という呟きが聞こえたが、忘れることにしよう。秋穂、間違ってもその台詞をカノンに面と向かって言うなよ。
「それよりも兄さん、私はお腹が空きました。兄さんと素敵なランチを取ろうと考えていたので、空港から家まで何一つ食べていません。冷蔵庫に何かありますか?作りますので」
「ごらぁぁ!なんでオレは無理なんじゃ!」
「秋穂はゆっくりしていろ。せめてもの罪滅ぼしだ。僕が作ってやるよ」
「兄さんが?兄さんが私に料理を作ってくださる?」
他人には分からないほど微かであるが、秋穂の表情が和らいだ。お?機嫌を直してくれたか?
「ああ、ゆっくりしておけ」
僕が席を立つと。
「わ、私手伝う」
カノンが続いて席を立った。再び秋穂の表情が余人には判別できない程度に曇った。
「オ、オレも手伝うで、兄ちゃん」
「兄ちゃん……?」
さらにレリーラが続こうとした。しかし、兄ちゃんという言葉に反応した秋穂の手が伸び、レリーラの襟首を掴んだ。
「な、何するんじゃ!今まで散々無視してきたくせに!」
「兄ちゃん……。兄ちゃんって、それは兄さんのことですか?」
「当たり前じゃ。兄ちゃんは兄ちゃんやろ」
「幼女だと思って安心していましたが、やはり駄目ですね。兄さんを兄さんと呼んでいいのは、私だけです」
「キャハハハハハ!あ、あかん!わき腹はほんまにあかん!!」
会話を聞いていて、一時はどうなるかと思ったが、じゃれ合っているようなので、別にいいか。僕は昼食作りに専念しよう。冷凍うどんがあまっているから、うどんでいいか。秋穂も久しぶりに日本食が食べたいだろう。
「私、あの子苦手……」
僕が調理している間に、カノンがどんぶりを並べながら愚痴をこぼした。
「あの子って、秋穂か?まぁ、そういうな、一ヶ月の辛抱だ」
「一ヶ月……」
うんざりと肩を落とすカノン。
「なんか、とらえどころがないというか、何を考えているのか分からないというか……」
「兄である僕も、時々あいつが何を考えているか分からん時があるからなぁ……」
秋穂は表情に乏しいというか、あまり喜怒哀楽を顔に表すことをしない。怒っていると突如、さっきのようなビンタが飛んできたりする。それでも昔に比べれば随分と秋穂の表情を見分けることができるようになったのだが。
「苦労しているわね、あんたも」
カノン、お前もその苦労を一ヶ月味わうことになるんだぞ。
カノンがいろいろと手伝ってくれたせいか、うどんはすぐに完成した。四つ分キッチンのテーブルに並べる。
「ほら、できたぞ」
リビングに向けて声をかけてやると、秋穂がやって来て僕の隣に座る。しばらくして、秋穂のくすぐり攻撃で瀕死状態にあったレリーラがよろよろと立ち上がってきた。
「兄さん、随分と料理がうまくなったものですね」
「そりゃ、一年近く自炊していればな。嫌でもうまくなる」
「自炊が嫌ならアメリカにいらっしゃればいいのに」
「そっちの方が嫌だ」
「まったく、兄さんは……」
秋穂は、携帯電話を取り出し、自分の分のうどんを携帯電話のカメラ機能で撮影していた。
「何だぁ?そんなにうどんが珍しいこともないだろう?アメリカの友達に見せるのか?」
「……。そんなところです。いただきます」
秋穂は、むすっとしたまま携帯電話を閉じ、手を合わせた。
僕は、食事をしながら秋穂の機嫌を直すべく、いろいろと話をしようと思っていたのだが、当の秋穂は無言のまま、もの凄い勢いでうどんを口の中に掻き込んでいった。よ、よほど腹が減っていたんだな。汁まで全部飲み干してしまった。
「ごちそうさまです。美味しゅうございました、兄さん」
一番に食べ終わった秋穂が手を合わせた。そ、それにしても早いな。僕なんてまだ半分も食べていないぞ。
「兄さん。私はちょっと着替えてきます」
「ああ、そうだな」
席を立ち、旅行鞄を抱え、二階へとあがる秋穂。
「ねえ、まずいんじゃないの?」
僕の正面に座るカノンが秋穂の背中を見送りながら言った。
「ん?何がまずいんだ?」
「だって、あの子の部屋、私と先輩が……」
カノンが言い終わらないうちに、秋穂が足早に二階から降りてきた。当然、服はそのままだ。何事かと思っていると、僕の前に立ち、ぱしんと一発ビンタを放ったのだ。
「な、何をする!」
「それはこっちの台詞です。どうして私の部屋が使われているんですか?」
「どうしてって、カノンとレリーラが使って……」
ぱしんぱしん。今度は往復ビンタだ。
「勝手に入った挙句、人に使わせるなんて……」
「いいだろう。いない間ぐらい。一時期は服と下着も……」
あ、火に油を注ぐようなことを言ってしまった。最近はカノン用の服をいくら買い足しているが、こっちに来た当初は秋穂の服を着せていたのだ。またビンタがくる……、と思ったのだが、秋穂は何故か余裕に満ちた笑みを浮かべていた。
「兄さん、嘘をついてはいけません。服はともかく、下着のサイズが合うはずがありません」
はっ!そうだった。下着はカノンに合うサイズがなかったから、買いに行かせた記憶があった。
「どういう意味よ!」
カノンが椅子をひっくり返しながら立ち上がった。
「それにしても困りました。私の部屋が使えないのなら、仕方ありませんね。私は、兄さんの部屋を使うことにします」
「ちょっと!無視しないでよ!どういう意味かって訊いているのよ!」
「おいおい、秋穂。それなら僕が出ていかなくちゃならないだろう。カノンとレリーラには母さんの部屋を使わせるから」
何を言い出すんだ、秋穂は。勝手に部屋を使わせ僕への嫌がらせか?僕は絶対に自分の部屋を明け渡さないぞ。
秋穂は、不服そうに顔をしかめながらも、着替えをするために二階へと戻っていった。さてと、早くうどんを食って、後片付けをしないと。
「ねえ、聞いているの!どういう意味かって言っているのよ!サイズが合わないことなんてないんだからね!」
「カノン、無駄や。あの姉ちゃん、相当手強いで……」
 




