乙女の決意
だが、前途は暗いばかりではない。なにしろ、同人誌即売会なのだ。やるべきことはまだたくさんあるし、まだ見ぬお宝を発掘していかなければならない。
午後十二時。自由時間を終えた悟さんと紗枝ちゃんが帰ってきた。ここで売り子を交代。僕とカノンが自由時間になるのだ。
『スクールホイップ』の声優トークショーを見てきた悟さんは、見るからにほくほく顔で、当然のように『スクールホイップ』関連のグッズを大量購入していた。
紗枝ちゃんも、両手に紙袋を持ちながら顔を紅潮させていた。勿論、重い荷物を持って力んでいるのではない。明らかに大量購入したBL系同人誌に興奮していた。売り子としての仕事をそっちのけで読み始めようとして、夏姉に没収させられていた。
「じゃあ、夏姉。僕も行ってきます」
「おう、いってらっしゃい。例の物、頼んだよ」
何だかんだ言って、僕にも自由時間をくれた夏姉。その代わり、女装させられたし(しかも即売会が終わるまで脱いでは駄目らしい)、加えて企業ブースで販売されている『高次元戦士バルダムXXX』の限定プラモを買ってくるという任務を与えられた。夏姉のあまりの優しさに、涙などとっくに涸れてしまった。
「おう待てや、兄ちゃん!オレも連れてけや!」
僕とカノンがブースの外に出ると、レリーラが追いかけてきた。
「幼女。お前は大人しくしていろ」
これからの僕にはやるべきことがたくさんある。夏姉に頼まれたプラモを買わないといけないし、同人誌やグッズの物色もしなければならない。そしてメインである『メイドと執事のあれやこれ』第二期のイベントにも参加しなければならないのだ。ミッションは無数にある。幼女に構っている場合ではない。
「いやじゃ。オレも連れていけ!」
頑なな幼女。だが、僕も一歩も引けない。
「悟さんがいるだろう?あの優しい優しいお兄さんに構ってもらいなさい」
「いやじゃ!あの兄ちゃん、いきなりオレを膝の上に座らせようとしたんじゃ。あの兄ちゃん、優しいけど、なんか怖いんや」
珍しく弱音を吐くレリーラ。う、うん。確かに悟さんの傍に置いておくのは危ないかもしれない……。でも、ミッションをこなすだけではなく、同じく自由時間を与えられたカノンの面倒も見なければならない。またルールを知らないカメラ小僧にカノンが絡まれる可能性もあるのだ。そこへさらに自由奔放な幼女の世話となれば、とてもじゃないけどミッションを全うすることはできない。
僕が逡巡していると、それを否定と受け取ったのか、レリーラが噛み付いてきた。
「なんじゃなんじゃ!兄ちゃん、そんなにオレのことが嫌いけ?カノンのことは構ってやるのに、オレは無視か?そりゃそうやわな。オレよりカノンの方が色っぽいしな。なんじゃかんじゃ言って、兄ちゃん、カノンのことが好きやろ?」
僕がカノンのことを好きだと?じょじょじょじょ冗談にもほどがある。僕が三次元で好きなのは、千草さんだけだ。
「ふざけるなよ、幼女!僕がカノンのことを好きだと?僕がこんな暴力女を好きになると思うか?それに、色っぽいというのはな、もっと胸がばいんばいんで……、ぎゃぁぁぁぁ痛い!」
いきなりコブラツイストをかけてきたカノン。い、痛い!胸当てがもろに背中に食い込んでいく。いつもよりも数倍痛い!
「カノン!マジで痛い!ヤバイ!ギブギブ!」
心なしか、体中からメキメキという悲鳴にも似た音が聞こえるのだが……。しかし、カノンは技を解く気配を見せない。
「カノン!そのぐらいにしとけ!マジで兄ちゃん死んでまう!」
流石にレリーラが止めに入った。それでようやく技が解けたが、体のあちこちが痛かった。
「カノン!痛いじゃないか!」
僕が抗議のために振り返ると、カノンは怒ったような、それでいて泣いているような顔で、ごめんとだけ呟いた。まったく、こいつは……。
「もう、仕方ない!お前も連れて行ってやるから、絶対僕の指示に従えよ」
「分かった、兄ちゃん。やっぱり兄ちゃんの方が優しいわぁ」
幼女……。都合のいいことばっかり言いやがって。
「カノン。レリーラの面倒見てやってくれよ」
「……。分かったわよ」
カノンは、完全にふて腐れていた。
「で、何処行くんや?オレ、腹へってもうたわ」
朝早かったもんな。僕も腹が減っている。でも、今は昼飯を食っている場合ではない。
「飯は後だ。とにかく夏姉から与えられたミッションを遂行する方が先だ。こいつを失敗すれば、もう僕の命はない」
「え~~っ!オレ、腹と背中がくっつきそうや」
「くっつくか!アホ!」
古典的なこと言いやがって!突っ込みを入れる度に僕の空腹も拡大していくだろうが。
「仕方がない。カノン、レリーラと一緒に飯を食ってこい。座れるとは限らんが、一階のホールに机と椅子があるから」
僕は携帯していたコンビニの袋を差し出した。ちゃんと三人分、しっかり買っておいたのだ。
「ほへ~。兄ちゃん、やるなぁ。よっしゃ、ここは兄ちゃんの好意に応えて飯でも食ってくるか?カノン」
「う、うん」
釈然としない感じのカノンだったが、食いしん坊大王としては空腹に勝てなかったのだろう。カノンは、コンビニの袋を受け取った。
「いいか?飯が終わったらブースに戻れよ。勝手歩き回るって変なフラグを立てるなよ」
エレベーターで一階へと下りるカノンとレリーラを見送った僕は、『高次元戦士バルダムXXX』の限定プラモを売っている企業ブースへと急ぐ。事前情報では、かなりの在庫量があるとされているが、急ぐに越したことはない。
「あれ?新田先輩?」
もう少しで企業ブースがあるフロアというところで、背後から呼び止められた。しかも、新田先輩だと?クラブで唯一の後輩である紗枝ちゃんは、単純に先輩としか言わない。さらに言えば、後輩の知り合いなど紗枝ちゃん以外には一人しかいない。僕は恐る恐る振り向いた。
「あ、赤松……」
学校で見るぼさぼさ髪の毛でなければ、牛乳瓶の底眼鏡もかけていたに。今時の女子高生らしいファッションに大きめのサングラス。自分が芸能人であることを隠すためなのだろうが、ただその格好は、どう見てもこの会場では浮いていた。
「何ですか?その格好……。コスプレって奴ですか?」
明らかに軽蔑の視線を向ける赤松千尋。く、くそっ。ちょっと興奮するじゃないか。
「う、うるさい。僕だって好きでやっているわけじゃない」
「でも、様になっていますよ。なんなら、うちのグループに来ますか?」
褒められても嬉しくない。っていうか、死んだってアイドルグループになんか行くものか。
「そんなことよりもお前は何をしているんだ?」
「本番前の気晴らしの散歩よ。それに会場の雰囲気も確認しておきたいし」
ふむ。随分と前向きになったものだ。あれだけオタクを馬鹿にし、アニソンを歌うことに抵抗を感じていたはずなのに。
「どういう心境の変化だ?この前会った時は、まだ煮え切らない感じだったのに」
「先輩のせいですよ。あの日、先輩と屋上で話をしていたら、なんか吹っ切れちゃって。やっぱり、私はアイドルでいたいんだなって改めて思ったんですよ。どういう形であれステージに立っていたい、歌っていたいと思うと、折角のチャンスを不意にしたくなかったんです。それに『メイドと執事のあれやこれ』って結構面白かったんですもの」
「見たのか?第一期」
「見ました。しかも二回も」
なんとも殊勝な心がけだ。短期間で全十三話ある第一期を二回も見たのだから、これはもう第二期のオープニングを託しても問題ないだろう。
「で、誰が気に入ったんだ?」
「三条院さんかな?ああいうサバサバとした美人は、やっぱり憧れるな」
なるほど。三条院は、女性ファンから人気のあるキャラだ。しかし、雪平なぎさ一択の僕とは相容れないな。
「まぁ、僕はなぎさしか見えないんだがな」
「はぁ?あり得ない。なぎさって男に媚びたところがあって、あざとい」
「馬鹿言うな!あんないい娘を捕まえて……」
「いい娘?三条院さんの方がもっといい娘でしょう?ちょっと自分の気持ちを素直に言い表せないだけで、自分に対してすっごいプライドを持っているでしょう?それがかっこいいじゃない!特に第九話で浩輔とのデートよりも剣道の試合を選んだところなんて感動ものじゃない!あれがなければ、きっと浩輔は三条院さんのものだったわね」
さらに反論しようと思ったが、本当に楽しそうに笑っている赤松千尋を見て、気が削がれてしまった。『メイドと執事のあれやこれ』のトークを心の底から楽しんでいるようだ。なぎさを批判するのは許さんが、こいつもこいつでちゃんと『メイドと執事のあれやこれ』を見てファンになったのだ。それは認めてやらねばなるない。
「まぁ、頑張れよ。僕も見に行くから」
「そうなんだ……。うん。頑張るよ」
じゃあね、と手を上げて人ごみに消えていく赤松千尋。その逞しい背中を見送った僕は、イベントの成功を確信した。きっといいイベントになるだろう。何事もなければ……。




