アイドルの矜持
「何だ、この紙?」
新田俊助だ!
「うわ!駄目ぇ!」
「え?『メイドと執事のあれやこれ』の二期だって?マジ?」
「駄目だって!」
紙を取り返すよりも、無意識のうちに手が出てしまった。千尋の鋭い一撃が、新田先輩の腹部にめり込んだ。
「ぐ!うう!」
腹を抱えうずくまる新田先輩。紙を落としたのですかさずそれを拾う。
「ご、ごめんなさい。つい……」
「ついも糸瓜もあるか……。なんだよ、僕の周りのリアル女は暴力的な奴ばかりだな」
「先輩も悪いんですよ。見ないで言ったのに……。でも、どうしてこんなとろこに?」
「紗枝ちゃんに言われたんだよ。お前が元気ないのは僕のせいだって。だから謝れって。どうして僕が謝る必要があるんだ」
ぶつくさ言いながらも、紗枝ちゃんに言われたとおり千尋の所までは来たのだ。なんだ、結構いい所ある先輩じゃないか。
『何考えているんだ?私……』
千尋は、はっとした。この先輩は、千尋の敵なのだ。
「お前、『メイドと執事のあれやこれ』二期のオープニングを歌うのか?」
「そ、それがなんだというんです!」
「凄いじゃないか!見直したぞ!」
本当に嬉しそうな笑顔になる新田先輩。危うくドキリとしてしまうほどであった。
「そ、そんなに凄いんですか?そのアニメ」
「凄いもくそもあるか。昨年の『ヌータイプ』で人気アニメランキングの年間三位だぞ!」
「へ、へぇ?」
いまひと凄さが分からず、適当に相槌を打った。
「それだけじゃないぞ。一期のオープニングは、週間ランキングで五位を取ったんだぞ。勿論、総合ランキングだぞ」
「そうなんですか!」
それはリアルに凄いと思った。そういえば、最近のランキングではアニメソングが上位になることは珍しくないのだ。
「そうだ。凄いんだぞ。でも、お前はあまり乗る気じゃなさそうだな」
うっ、この先輩、鋭い。千尋は、渋々頷いた。
「似非オタクだからアニソンを歌う資格がないとでも思っているのか?」
「そういうのもありますけど、なんかアイドルとして自信をなくしたんです」
千尋は、滔々と自分が今抱えている悩みのようなものを語り出した。不思議な気分だった。あれだけ毛嫌いしていたはずの先輩なのに悩みをさらけ出すなんて……。
「ふん……」
千尋が話をしている間、黙って聞いてくれていた先輩。何か良いアドバイスを貰おうとは思わないが、聞いてもらうだけですっきりとした……。
「馬鹿かお前は」
ば、馬鹿?前言撤回!無性に腹が立ってきた。また殴ってやろうか!
「僕達が知らなかっただけで、アイドルとして人気がないと思う?馬鹿だろう?いくらテレビに露出しているとはいえ、日本の全国民に知られるなんて不可能だ。逆に何様のつもりだ?」
「きょ、極論です!」
そんな理屈、新田先輩に言われるまでもなく承知している。
「それに僕達オタクという人種は特別だ。お前らの人気パラメーターに加算するな」
「でも、私はオタクキャラを演じてきてけど、それってオタクからみたら偽者だってまる分かりなんでしょう?」
「気がついている奴もいるかもしれないがな。だが、そんなことは関係ないだろう?」
「関係なくないでしょう!きっとファンの皆は私のことを笑っているんだ……」
「はっきり言おう。そんな奴はファンじゃない。ファンと言うのはな、そういうことも含めて好きになるものだ」
そういうもの、なのだろうか……。そういうファンの心理なんて、考えたこともなかった。
「それにな。お前は何がしたいんだ?」
「え?」
「学校で自分が『ふゅちゃーしすたーず』のひとりだと隠していたようだが、その理由は何だ?」
「そ、それは騒ぎになると困るから……」
「違うな。お前は、単に自意識過剰な自分を楽しんでいるだけだ。自分が人気者で、姿を晒せば皆が騒いでくれる。そういうことを妄想しているだけだ」
そんなんじゃない!心の奥底から叫びたかったが、声が出なかった。黙っていると肯定しているみたいで嫌だ。でも、何故か声を出せない……。
「だから、僕達が『ふゅーちゃーしすたーず』のことを知らないと知った時、腹が立ったんだ。まぁ、腹立つよな。自分が人気アイドルだと自惚れていたんだから」
「う、自惚れてちゃ悪い!」
我ながら逆ギレだと思った。そうだそうだ!人気者だと自惚れて何が悪い!
「悪くはない。アイドルなんて多かれ少なかれ、そういう連中の集まりだろう?僕が言いたいのは、アイドルとして自惚れるのなら、とことんやれってことさ。アイドルとして人気者でいて、注目されたいんだろ?」
「とことん、やる?」
「そうだ。自分がオタクキャラを演じることに疑問を持つな。似非オタクキャラがばれてしまったのなら、猛勉強して完全なオタクキャラになればいい。『メイドと執事のあれやこれ』の二期オープニングを歌うのなら、間違いなくオタク層の人気は取れるぞ」
新田先輩、励ましてくれている?言葉はきつく、オタクになれと言う励まし方はどうかと思うが、なるほどそうかもしれないと強く納得させてくれる情熱のようなものは感じ取れた。
新田先輩に指摘されたように、千尋は、学校では『ふゅーちゃーしすたーず』のチッヒーであることを隠し、気がつかれないことを楽しんでいた。確かにそれは、自分が全校生徒が知っていて当然、という自惚れの裏返しだった。
だが、千尋は、そんなくだらない妄想に耽るためにアイドルになったわけではないのだ。
当然だ。ステージで歌って踊ることが楽しい。ファンからの声援を浴びるのが嬉しい。だから、アイドルをやっているのだ。
「だから歌えよ。『メイドと執事のあれやこれ』の二期オープニング」
「か、考えてみる!」
とは言ったものの、千尋の決意は固まっていた。
チャイムが鳴って、一足先に屋上を後にする新田先輩。なるほど紗枝ちゃんが憧れるわけだ。
「な、何考えているんだ!私!」
首をぶんぶんと振る千尋。変なことを考えるな。今は、ソロデビューのことだけを考えろ。




