遠ざかる黄金郷
例えて言うなら、蜃気楼を追いかけているようなものだ。
追いかけても追いかけても、それは遠ざかっていく。僕が近づいた分だけ、遠くへ行ってしまう。そんな感じだ。
ああ、これは夢なんだろう。僕はすぐさま理解した。僕が現在立ち尽くしているのは灼熱の砂漠。こんな場所は日本にはないだろう、という場所だ。そして、僕が追いかけているのは像として現れない不確かなもの。間違いない、夢だ。
しかし、夢のはずなのに、どうしてこんな熱いのだろう。じりじりと肌が焼けるほどに熱い。
「待てよ、待ってくれよ」
それでも僕は、何か分からないものを必死に追いかけている。まったく無駄な行為だ。でも、追いかけろと本能が囁く。
「あっ!」
砂に足を取られ、転倒してしまった。砂は熱くなかった。どうしてだ?
「変だ。何か変だぞ……」
奇妙な違和感が僕を覚醒へと導いていった。
「うわぁぁぁぁっ!」
目が覚めた僕は、瞬時に事態を把握した。パソコンデスクにうつ伏せになった状態で、寝落ちしてしまったのだ。
僕はすぐさま時計を確認する。十一時四十八分だ。そんなにも寝ていたのか?愕然としながらも、まだ午前中であることに安堵した。
次に原稿の振興具合をチェックする。ある程度進んで寝落ちしたか、あるいは、妖精さんが僕に代わって書いてくれているかもしれない。開いてあるテキストファイルを見てみると……。
「ご、五行!!」
たったの五行。しかも、随分と散らかった意味不明の文章になっていた。最後の一行なんて『だfひえrgひtうぇtrjq』と明らかに睡魔に負けた状態で書かれたものになっている。
「ど、どうしよう……」
もう一日しかない。いや、一日もないのだ。しかも、せっかく昨晩考えた構想のほとんどを忘れている。
「と、とりえず。昼飯でも食おう。腹が減っては戦もできんからな」
僕は、パソコンをスリープ状態にし、部屋を出た。決して現実路逃避したわけではないことを書き加えておこう。
「さて、何を食おうかな」
階段を下りながら、昼飯はどうしたものかと考えた。朝食も食べていないので、かなり腹は減っている。午後からの真の戦いに向けて、しっかりとしたものを食べたい。でも、調理に時間をかけるわけにもいかない。
「カノンもどうせ沢山食べさせろとか言うんだろうなぁ」
そういえばカノンはどうしているだろうか?昨晩の夕食があまりにも質素なので、きっと僕以上に腹を空かしているはずだ。
などと考えてリビングに入ると、ソファーの上で行き倒れのように転がっているカノンの姿があった。
「カノン!」
「うう……。ひもじい……」
「悪かった。今すぐ用意してやるからな」
この状態なら、量さえ食わせたば質に文句はつかないだろう。僕は冷凍ピラフ大盛とうどんを作ることにした。
「ぷはぁ。ご馳走様。一時はどうなるかと思ったわ」
完全に回復したカノンが、うどんの汁を最後の一滴まで飲み干し、どんぶりを置いた。当然、大盛のピラフも全部平らげやがった。僕も相当腹減りであったが、カノンの食いっぷりは見ているだけで胃がもたれそうになった。
「そうか。そりゃよかったな」
「ところで、小説はちゃんと進んでいるんでしょうね?」
「さて、洗い物をしよう」
「ねぇ、進んでいるの?シュンスケを信じて監視していなかったけど、もし進んでいなかったら、私にも責任があるんだからね」
「晩飯は何にしようかなぁ……」
空になった食器を手に席を立つ僕。しかし、カノンが僕の服の裾を掴んだ。
「あんた……、何もできていないんでしょう?」
「離せ、カノン!僕には洗い物という崇高な使命が……」
「今のシュンスケに、小説を書く以外の使命はないの!まったく……」
カノンが卓上にあった僕の携帯電話に手を伸ばした。
「な、何をする気だ?」
「ナツネエに言うのよ」
「待て!それだけは止せ!」
「駄目よ。ナツネエに言われているのよ。シュンスケがサボっていたら、遠慮なく電話しなさいって」
「サボっていない!資料に目を通していて、仮眠していただけだ」
「あ、ナツネエ?やっぱりシュンスケが……」
「や、やめろぉぉぉっ!」
僕はカノンから携帯電話を奪取しようとした。しかし、武力でカノンに勝てるはずもなく、アームロックをかけられた挙句、僕の現状を悉く夏姉に通報されてしまった。
「いやぁ、俊助。頑張っているかね?」
通報してから約三十分後。夏姉が紗枝ちゃんを引き連れて駆けつけてきた。
夏姉は怒っているのかと思いきや、表情はいつもと変わらない。口調にも怒っている要素は微塵も感じられない。助かった……。
「あ、これは差し入れのシュークリーム。全部ワサビ入りだから、俊助が残さず食べてね」
あ、やっぱり怒っていらっしゃる。僕は、夏姉からシュークリームの箱を受取りながら、こいつをどう処分しようか必死に考えた。
「お、お邪魔します」
紗枝ちゃんがおずおずと靴を脱いであがってきた。彼女はたまたま夏姉の家にいたので、付いてきたらしい。
「そういえば紗枝ちゃんは、僕の家に来るの初めてだっけ?」
「は、はい。というよりも、男性の先輩や同級生の家に行くのも初めてです」
だから先輩のベッドがどうなっているか見たんです、とか変なことを言う紗枝ちゃん。よし、このワサビ入りシュークリームは紗枝ちゃんに食べさせよう。
「おう!カノンちゃん!」
僕がどう紗枝ちゃんを騙そうか考えると、先に上っていた夏姉がリビングにいるカノンを発見した。
「あ、ナツネエ。ごめん、シュンスケ見張れなかった……」
「いやいや、グッドジョブだよ、カノンちゃん。カノンちゃんの通報がなければ、こいつはますます怠惰になって原稿を上げなかっただろうからね」
怠惰になっていない!ちょっと資料に目を通したり、仮眠をしただけなんだ!
「さて、行きますか」
「夏姉?どこか行くの?」
「決まっているだろう?俊助の部屋さ。こうなったら、皆でおやすみからおやすみまで徹底的に俊助を見張っちゃる」
固い決心をした夏姉が二階へとあがる。もう僕には止めることなんてできなかった。
こうして僕の部屋には、夏姉、紗枝ちゃん、カノンが居座ることになった。
夏姉は入ってくるなり、さて新作のエロス同人誌はどこかな、と家捜しを始めた。ふふん、夏姉。僕だって進化しているんだ。そう簡単には見つかりませんよ。
紗枝ちゃんは、バッグからメモを取り出し、ハン元帥は綺麗に整えられたベッドに寝転ぶなり自らの手を下半身に……と呟きながらペンを走らせた。僕は、メモを取り上げ、びりびりに破ってゴミ箱に投げ捨てた。
「うひょーっ!エロス発見!」
クローゼットに頭部を突っ込んでいた夏姉が、薄い本を片手に高らかに叫んだ。うわっ!クローゼットの引き出し部分の裏に隠していたのに、すぐ見つかるなんて……!
「ほほう、キラキラ鏡先生のなぎさ本ですな。音読してあげよう。『ら、らめぇぇぇぇ。浩輔!そ、そんな太いの入らない……』」
「うわぁぁぁぁっ!やめて!」
夏姉から薄い本を奪還しようとする。しかし、夏姉にも武力では敵わない。夏姉は、素早く僕に首四の字固めをかけながらさらなる音読を続ける。
「『ほら、なぎさ。この太いのがいいんだろう?』『らめぇぇぇ!太いの、太いのらめなんだからぁ……』『駄目駄目言いながら、嬉しそうな顔をしやがって』『う、嬉しくなんか……。あ、ああああん!』」
うわぁぁぁぁん。やめて、やめてくれぇぇぇぇっ!
紗枝ちゃんがさっきと別のメモを取り出し、ハン元帥は体を縛られたままBL小説の音読を聞かされた……意識していないはずなのにハン元帥の下半身は……と凄い勢いでペンを走らせる。
カノンは、顔を真っ赤にしながらも、夏姉の音読と紗枝チャンの独り言に聞き入っていた。
「な、夏姉!僕の監視に来たんだろう!邪魔してどうするんだよ!」
とにかくこのカオスな状況を終わらせたかった。しかし、そこへ……。
「オッス!俊助!秋穂ちゃんに頼まれたんだけど……」
勝手に家にあがり込んできた美緒。勢いよく僕の部屋のドアを開けるなり、顔を凍りつかせた。
僕にはさらなるカオスの予感しかなかった。




