「いつき」という女の子
「ね、となり座れば?」
彼女は、ギターを動かして、人ひとり分座れる場所を作る。
彼女は、さっき歌っていた彼女とは別人のように思えた。
幼い、でもどこか大人びて危なげな雰囲気だったのに、一気にどこにでもいるような大学生に見える。
「うん」
僕は、ベンチの端によそよそしく座った。
気のベンチは、ぎしっと音を立てた。湿気を吸って少し湿っていた。
「さっきの曲、好きなの?」
僕は、彼女にもう一度同じ質問をした。
「好きというか、、」
彼女は、ギターのほうを見つめながら続ける。
「こういう恋しかできない人、いるじゃん。」
さっきまで、どこか別の世界の人のように感じていたのに、どこにでもいる身近な女の子に見えた。
多分彼女は、そういう恋をしているんだろう。僕には、わからない考えだ。
「君は、どんな曲のタイプなの?」
彼女は、にやっと笑う。
どういう意味だろう?僕がどういう曲のタイプという意味か、どういう恋愛をする曲のタイプという意味か、、。
多分、彼女にとってはどちらでもいいんだろうけど。
「First Love とか?宇多田ヒカルの」
僕は、一番好きな曲を出した。
「一途なんだw」
彼女は、茶化すように笑った。
やっぱり、どういう恋愛のタイプかを聞いてたのか。
僕は、少しむっとしたけど、気に留めないようにした。
「あんまり、人を好きにならないけど、好きになったら一途ではあるよ。」
そう言ったあとで、ふと考えた。
僕は、どういう恋をしてきたんだろう。
高校生の時は、普通に同じ部活の子に告白されて付き合ってたけど。
大学に入ってから、好きという感情がわからなくなったように感じる。
「一途な人に好かれてみたいな。やっぱ一途が最強でしょ」
彼女は、僕のほうを見てにやっと笑う。
僕に向けての言葉ではないことが、僕には明確に分かった。
街灯に照らされた僕と彼女の影が、なんだか非日常を感じさせた。
いつもなら、僕一人のはずだった。
「僕がこの曲の歌詞知ってたの、昔好きだった人が良よく歌ってた。」
僕は、少し彼女との間に一線引く。
なんだかんだ、やっぱり僕は高校の時から時が進んでいないのかもしれない。
「君は?やっぱり好きな人いるんでしょ?」
僕ばかり身の上を話しているみたいで気になった。
彼女は、少し苦笑いしながら答える。
「バンドやってる人。彼からギター教えてもらった。」
彼女は、伏し目がちに大きなギターを見つめる。
最初は気が付かなかったけど、ギターの下のふちに小さなステッカーが貼られていた。
黒くて、いかついロゴのやつ。
よくライブハウスで見る、パンクバンドのステッカーだった。
蛇の絵柄が描かれている。
どちらかというと、少し悪趣味な感じで、彼女の雰囲気には似合わなかった。
「これ」
少し照れたように言う。
「彼の」
僕は一瞬、意味が分からなかった。
「ギター?」
彼女は頷く。
「うん」
「貸してもらってるの?」
彼女は少し考えてから言った。
「貸してるっていうか」
肩をすくめる。
「置いていった」
「置いていった?」
「うん」
ギターのヘッドを見つめる。
「そのまま、使っていいよって」
彼女は、弦を軽く弾いた。
「これ弾くとさ」
「彼の音するんだよね」
僕は、なんだか心がざわついた。
彼女の歌はとても大きいはずなのに、小さな彼女の箱庭で窮屈そうにしているような、そんな感覚。
依存体質な女の子はもちろん知っているけど、彼女の歌が魅力的な分、本当にもったいないと心の中で思った。
「付き合ってるの?」
僕は、そう聞いた。いつもだったらこんなこと聞くようなタイプじゃないけど、彼女があまりにオープンに聞いてくるし話すから、口からそう出てしまった。
彼女は、肩をすくめる。
「どうだろ」
少し間が相手から、彼女は皮肉気に言う。
「私のこと、多分好きじゃないと思う。」
僕は、彼女がそのバンドマンが好きなのだということが分かった。
彼女は、少し寂しそうだけど、悲しんでいる風には見えなかった。少し諦めが入っているような、そんな感じ。
「でもさ」
彼女は、僕のほうを見て、少し楽しそうに笑った。
「曲は作ってくれるの」
「それってどう思う?」
僕は、何も言えなかった。彼女と彼がどういう関係なのか、あまり知らないし、適当なことは言えない。
でも、彼女に「私のこと、多分好きじゃないと思う。」といわれる男は、ろくな奴じゃない気がすると思う。
「だって、好きでもない人のために、曲なんて作れないでしょ?」
彼女は、やっぱりどこか依存しているみたいな雰囲気を感じた。
「そうだね。何も思わない相手には、作らないと思う。」
僕がそう言うと、彼女は嬉しそうにギターを持ち上げた。
そして、「コン、コン」とギターを控えめにたたく。
その音が、夜の森に小さく響いた。
さっきまでの雰囲気とは違う、ギターをたたく小さな木の音さえ、何か妙な雰囲気をまとっている。
彼女の視線は、どこか宙を見ているようにうつろになる。
ギターの位置を丁寧に確認して、指を動かした。
ギターの音が鳴る。
ゆっくりした穏やかなテンポ。
でも、さっきの掠れたようなつぶやくように歌う歌声ではなくて、どこか軽快だった。
彼女の声は、幼さをまとい、誰かの心に直接届かせるようだった。
理屈じゃ説明できないけど、彼女の声は妙に耳に残った。
息を吸う音。
言葉になる前の、小さな空気の揺れ。
音にならない一瞬の沈黙まで、僕の耳に届いてくる。
上手い歌とは、少し違う気がした。
もっと近い。
すぐ隣で、小さく話しかけられているみたいなそんな感覚。
秘密を打ち明けるみたいに歌うんだ。
彼女が、こちらを少し見る。でもさっきと同じように、目が合うか合わないかのうちにそらされてしまった。
僕は、やっぱり彼女をすごいと思った。
さっきまでの彼女とはまるで別人だった。
趣味の悪いギターに見えていたのに、彼女が音を奏でた瞬間に、まるで最初から彼女のものだったかのように自然に馴染んだ。
蛇のステッカーも、どことなく彼女の味のように見えてしまう。
この歌は、きっと彼が作った曲だ。
でも、この歌を本当に自分のものにしているのは、多分、彼女の方なんだと思った。
最後のギターの音が鳴り終わる。
彼女は、いたずら気に顔をゆがめてにやっとする。
「いつきって曲、私の名前」
得意げそうに笑う彼女を、僕はただ見つめた。
何を返していいかわからなかった。
でも、彼女の歌声が僕の耳の奥でずっと響いている。
彼女の歌と、歌っているときの彼女の存在が、僕の中で形容しがたい特別なものに感じた。
彼女は、この世界で彼女しかいないという、妙な感覚があった。
上手いとか、儚いとか、そういう言葉では説明できない。
ただ、もしこの声が消えてしまったら、同じものは、もう二度とどこにも現れない気がした。




