Mission.4
「ソフィ、もっとこっち寄ってよ。そんなに離れていたらベッドから落っこちちゃうわよ」
「問題ありません。如何なる状況での休息を可能とする訓練を受けています。屋上の端――転落防止用の低いコンクリートの上でも、落ちることはありません」
私は無意識でも体の平衡感覚を保つことができる。
それだけじゃない。無意識の中でも周囲の動きを感じることができる。
油断も隙も、私には無い。
ふふっ、とお嬢様が小さく笑った。
「じゃあ私が落っこちないように護って、ソフィ」
背を向けたまま、私は問う。
「どうしてほしいのですか?」
「ぎゅっと抱き締めてほしいの。お願い」
難題を押し付けてくる。
他のボディーガードたちもこのようなのだろうか。気になるところだ。
背を向けたまま、数秒の沈黙。
――任務だ。
そう自分に言い聞かせ、私はゆっくりと振り返った。
ベッドの上で、無防備にこちらを見上げるお嬢様。
灯りを落とした室内で、その表情はやけに柔らかく見える。
お嬢様は微笑みながらゆっくりとこちらに背を向けた。
「……失礼します」
そこに私は距離を詰める。
本来なら入ってはいけない領域。
わずかな動きでも、毛布の擦れる音がやけに大きく響いた。
けれど私は、言われた通り、後ろからそっと腕を回した。
ふわり……。
甘くて、温かくて、胸の奥を直接撫でるような匂いが鼻腔を満たす。
思考が一瞬、白く弾けた。チカチカと、脳が痺れる。
これは想定外。
驚きに呼吸がわずかに乱れる。
だが、私はボディーガードだ。プロとしてのプライドがある。動揺を悟られるわけにはいかない。
衝動を押し殺し、力を調整しながら、壊れ物を扱うようにお嬢様を包み込む。
「……もっと強く抱いてもいいわよ?」
「……分かりました」
……私が温める側のはず。
それなのに。
伝わる体温。
小さな呼吸の動き。
ぴたりと重なる感触。
気づけば、私の方がじんわりと温まっていくのが分かる。
この世界を私は知らない。
胸の奥が、落ち着かない。
任務中に感じるはずのない熱に、私はわずかに身を強張らせた。
「……これで、よろしいのでしょうか」
確認するように問いかけると、お嬢様は安心しきった声で答えた。
「うん。ソフィに抱き締められてると安心する。……けどね――」
そう言って、彼女は私の手をそっと引き寄せ――自分の胸に当てさせる。
とくん。
とくん。
確かな鼓動が、手のひらに伝わってきた。
「ほら……ドキドキもしちゃう!」
そう言って、恥ずかしそうに笑う。
その一言で、熱が一気に顔へと集まった。
視線を逸らしても、頬の火照りは誤魔化せない。
対処法を知らない事態に、私は恐怖を感じた。
いつぶりだ……こんなふうに、体の震えを必死に押さえたのは。
今すぐ離れたい。そしたら震えは止まる。
理性で分かっているのに、腕の力が、ほんの少しも緩められなかった。
離したくない。心のどこかで、何かがそう言った。
そのまま、数秒。
私は、離すのを忘れていた――。
「……んっ……」
小さく、お嬢様が吐息をこぼす。
「……ソフィ?」
その声で、私はようやく気づいた。自分の手がまだそこにあると。
「……っ、申し訳ありません!」
反射的に謝り、慌てて手を引き抜いた。
まるで熱いものに触れていたかのように、指先がじんと痺れる。
「不注意でした。決して、その……意図があったわけでは――」
言い訳めいた言葉が口を突いて出る。
お嬢様は一瞬、きょとんとしたあと、
すぐに首を横に振った。
「ううん……」
少し間を置いて、顔を伏せる。
「……アナタなら、好きなだけ触っても……」
その最後の言葉は、毛布に吸われたみたいに小さくて。
私の能力を持ってしても、聞き取れなかった。
「……?」
聞き返そうとして、やめる。
今は、それを確認していい状況ではないと、理性が判断した。
私はただ、距離を保つように腕を戻し、
いつもより少しだけ硬い声で告げる。
「……もう休みましょう。お嬢様」
返事の代わりに、彼女は安心したように身じろぎし、再び静かになった。
聞き逃したあの言葉が、妙に胸に引っかかり続けている。
考えていても、意味はない。
私は目を閉じ、意識を深く沈めた。




