二.大楽直毅
屋敷で騒ぎがあったようだが、別館だと聞いた。
「別館なら孝毅たちか。あの一家がどうなろうと、わしの知ったことではない」
大楽直毅は甥の孝毅の顔を思い出しながら、そう呟いた。孝毅は兄、春毅の一人息子だ。春樹の急死を受け、大楽塾の塾長に就任してから、そろそろ一年が経つ。
直毅は孝毅の叔父として、大楽家の古老として、そして大楽塾の副塾長として、甥を支えて行く立場にあった。
昨日、直毅は本年度の特待生の名簿を持って、孝毅のもとに報告に行った。だが、孝毅は名簿をろくに見ようともせずに、「全て叔父さんにお任せします」と言った。
直毅を信用して言っているのなら問題ないのだが、直毅には孝毅が塾の経営に興味を失っているように感じた。
特待生は一年間、授業料免除となり、塾の講義を受講することができる。来年の入試で有名大学に合格してくれれば、良い宣伝になるからだ。特待生からは授業料を徴収することができないので、塾の収入に響く。人選には慎重にならざるを得ない。
特待生は入塾の際の成績から講師により選出された特待生候補の中から、最終的に塾長判断により決定される。それを孝毅は名簿をろくに見ようともせずに、全て直毅に丸投げしたのだ。塾経営の難しさがまるで分かっていないといえた。
これまで、大楽塾は大手塾と覇権を競うようにして売上を伸ばして来た。このままでは、大楽塾は孝毅の代で成長を終え、凋落の一途をたどるかもしれない。それを直毅は危惧していた。
だが、孝毅にも言い分はあるようだ。
いままでのやり方は古臭くて、時代に合わなくなってきている。インターネットの時代に、塾に生徒を集めるやり方では、いずれは少子化の波に飲み込まれてしまう。
「これからは新しい視点で、塾の経営を行って行かねばらなない」と孝毅は言う。
この古臭くて、時代に合わないとは、自分のことを言っているのだと直毅は感じている。冗談ではない。直毅は常に時代を先取りして生きて来た。
大学を卒業すると東京に出て、最初はバンドを組んで歌手デビューを目指した。その夢が破れると、「芝居で舞台に立つ」と俳優の道に進んだ。
才能に恵まれなかったようで、結局、親の脛を齧り続ける結果となってしまった。三十路の誕生日を前に、父の弘毅から「何時までも親の脛ばかり齧っていないで自活しろ!」と仕送りを止められてしまった。
食い詰めて帰郷すると、父親は家業の大楽塾を手伝うことを命じた。流石に、浮草のような生活に疲れ果てていた。父親の言葉に従った。以来、創業者一族として大楽塾の経営に参与して来た。
だが、父親の跡を継いだ兄、春樹には、「幾つになっても子供のままで大人になれないやつ。もっと周りに気を使わないと、経営者としては失格だ」と厳しい言葉を投げかけられた。
その反動だった訳ではないが、春毅が病を得て急逝した時に、「孝毅では若すぎる」と塾長の座を狙って孝毅と激しい後継者争いを繰り広げた。結局、当時、まだ健在だった祖母の奈津子が、「塾は孝毅に継がせなさい」と言ったため、直毅は塾長の座につけなかった。
奈津子はその後、春毅の後を追うようにこの世を去っている。
孝毅は、特待生といった古臭いやり方に興味がないのかもしれない。だから、叔父の、直毅の好きなようにやれば良いと思っているのだ。
「塾長がそうおっしゃるなら、私の方で判断して特待生を決めておきましょう」
直毅は名簿を手に塾長室を出た。
孝毅は「よろしくお願いします」丁寧に頭を下げていたが、心の中で舌を出していたのではないだろうか。誠意が全く、感じられなかった。
その甥の家で何事か起こったようだ。
直毅は椅子を回転させると、窓から外を見た。門前にマスコミらしき、人だかりが出来ていた。大楽家は名家だ。ハイエナのようなマスコミが噂を聞きつけてやって来たのだ。
窓から様子をうかがっていると、恐らく刑事だろう、塾を出て来た男が、わっと報道陣に取り囲まれているのが見えた。
報道陣を前に、怒鳴っていいた。もみくちゃにされていた。
「まるでハイエナだな」
直毅は背もたれの高い黒革張りの椅子にふんぞり返った。
副塾長室にはマホガニー製の懐古調の机が窓際にでんと据えられ、背後が一面、ガラス張りになっている。直毅が執務する副塾長室は、孝毅のいる塾長室を一回り小さくした広さだったが、室内の調度は直毅の趣味でアンティーク調の家具で固められていた。
部屋の中央には、来客を迎える為の西欧風の脚の細いクラシカル・アーム・ソファーが置かれている。
大楽塾の広い敷地を一人の女性が颯爽と歩いて来るのが見えた。既に講義は始まっている。生徒ではない。
――野口綾子。
最近、孝毅がご執心の講師だ。遠目にもスタイルの良さが分かった。
綾子は大楽塾に勤める国語講師で、年は孝毅より二つ下の二十九歳。もともと都内の大手予備校で教鞭を取っていた人気講師だったが、先代塾長の春毅が一体どうやったのか大楽塾に引き抜いて来た。
綾子は都内の一流大学を卒業している。在学中に、小さな塾で国語講師のアルバイトを始めたところ、その美貌と教え方のうまさから瞬く間に人気講師となった。人気が人気を呼び、いくつかの予備校の引き抜きを経て、今では押しも押されもせぬ人気講師となった。そして、その美貌から、テレビのクイズ番組に回答者として招かれたりする。それがまた評判を呼び、芸能人並みの知名度を誇る人気講師となった。
中国地方では大手の予備校と言える大楽塾だったが、大楽塾への移籍は綾子にとって都落ちの感が否めなかったことだろう。
無論、大楽塾では下へもおかぬ待遇で綾子を迎えた。
破格の年俸はもとより、市内に高級マンションを用意して、綾子を迎えた。あまりの好待遇を嫉妬する人間がいたが、人気講師であった綾子の引き抜きは、大楽塾の知名度を一気に押し上げた。
現在、広島校、山口校、福岡校で週に一度、教鞭を取ってもらっているが、綾子が教壇に立つようになってから、広島校、山口校、福岡校は軒並み生徒数が増加していた。
最近では下関校と小倉校でも不定期で講義を行ってもらっている。
相変わらずテレビ出演も多く、講義は臨時休校となることが多かったが、綾子の授業は何時も定員オーバーとなった。
大楽塾のイメージ・キャラクターとしても活躍してもらっている。大楽塾のテレビ・コマーシャルや町中に張り出されるポスターに綾子が起用されていた。
綾子の引き抜きは春毅が打った最後の妙手だった。
野口綾子は大楽塾の顔となった。
「父も母も、山口の出身ですし、高校まで山口に住んでいました。母は今も山口に住んでいて、独り暮らしをしています。もう良い年ですので、山口に戻って、母の面倒を見たいと思っていました」
大楽塾へ移籍した理由を問われると、綾子はそう答えた。




