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血塗られた大楽刀自  作者: 西季幽司
エピローグ
70/70

金のわらじ②

 綾子が戻って来るのを静江は寝ずに待っていた。

「お母さん、来てたの? 今日は帰宅が遅くなるって、言ったのに・・・」

「あら、そうだったかしら?」

 恍けて見せたが静江のことだ。ちゃんと覚えているに違いない。今日は広島校で講義がある日だった。講義の後、試験の採点をしてから戻るから、帰宅は遅くなると伝えてあった。

「無理して起きていることなんてないのに――」と綾子が咎めて言うと、静江は「あなたこそ、無理して講義を掛け持ちする必要なんてないのよ」と言って、綾子の手からボストンバッグをひったくった。

「仕方ないじゃない。頼まれたんだから。頼まれると、断れない性格なの。お母さん似ね」

「私に似てくれなんて、頼んでいないわよ」

「頼まれて似る訳じゃないでしょう」

 親子は声高に言い合いながら、リビングに向かった。

 静江は祖母の実家で一人暮らしを続けている。大楽塾の講師となり、綾子は山口に戻った。大楽塾に移籍する条件として、市内の一等地に、マンションを社宅として提供してもらっている。そこで静江と一緒に暮らすつもりだったのだが、「まだまだ、あなたの世話になんかならない」と言って、苔むした実家での一人暮らしを止めようとしない。

「お母さんの面倒くらい、私が見るから――」と綾子がいくら言っても、「嫌だ。それじゃあ、まるでお婆ちゃんみたいじゃない。私はそんな年じゃあ、ありません! まあ、年とっても、あんたに面倒見てもらうつもりなんて無いけど。あんたのお荷物になるくらいなら、お祖母ちゃんのところへ行った方がまし」と取り合ってくれない。

 そして、いまだに近所のスーパーでパートを続けている。生活を切り詰めて、稼ぎは遺族への送金に費やしているに違いない。

 それでいて綾子の面倒を見る為に、ちょくちょくマンションにやって来る。「一緒に暮らそう」とマンションの鍵を渡してあるので、勝手に出入りする。広島校で講義がある日は、「食事を作っている時間なんてないでしょう」と言って、留守中、マンションに上がり込んで食事の支度をして綾子の帰宅を待っている。

 面倒を見てもらう気はないのに、綾子の面倒は見ようとする。綾子がそのことを指摘すると、静江は「あはは」と快活に笑って、「私はあなたの母親だもの」と当然の権利だと言わんばかりに笑い飛ばす。

「お母さん、もう遅いから、今日はここに泊まっていってよ」

 静江はそれには答えずに、ボストンバッグを床に置くと、「何か食べるでしょう。今、温めるわ」と台所に立った。

「新幹線でお弁当を食べたから要らない」

「ちょっとでも良いから、野菜を食べなさい。鍋にしておいたから」

「ねえ、今日はもう遅いから、ここに泊まっていってよ」

「迷惑でも、終バスが終わったから、ここに泊めて頂くわ。全く、もう少し早く帰って来てくれれば、こんなところに泊まらなくて済んだのに」

 運転免許を持っていない静江は、バスに乗って綾子のマンションにやって来る。バスが終わると、タクシーで帰るのは勿体ないと、綾子のマンションに泊まって行くことがある。

「あら、こんなところだなんて、心外だわ。大楽さんが手配してくれたマンションよ。良いマンションでしょう」

「ここに泊まると、明日の朝、早起きして家に戻らないと行けないじゃない。あなたは寝ているから知らないのよ」

「ねえ、そんな面倒なことしないで、ここで一緒に暮らせば良いのに――」と綾子が言うと、「何を言っているの。私のことなんかどうでも良いから、早く良い人を見つけて、その人とここで暮らしなさい」と説教されてしまった。

「全く・・・」食卓につくと、温めてくれた綾子の好物のミネストローネを運んで来てくれた。

「取り敢えず、これを食べてから、ゆっくりお風呂に入りなさい」

「うん」綾子は素直に頷くと、静江の作ったミネストローネを口に運んだ。

 静江は料理が得意で、どこで覚えたのか和食から洋食までレパートリーが幅広かった。もともと料理好きだったようで、生きて行くのもやっとの生活の中でも、料理に対する情熱を失わなかった。

(美味しい)と綾子は静江に感謝しながら、ミネストローネを味わった。

「ちょっと小腹が空いた」と静江も皿を持って来て、綾子の前に腰を掛けた。

「ねえ、お母さん。ずっと聞きたかったんだけど・・・」綾子が言い難そうに話しかける。

 帰りの新幹線の中で、ずっと考えていたことだ。何時か静江に聞いてみたいと思っていた。

「なあに?」と静江が顔を上げる。

「昔ね、お祖母ちゃんから聞いた話なんだけどね。お母さん、昔、大楽塾の先代塾長からお金を借りたみたいなこと、お祖母ちゃんが言っていたの・・・」

 静江が先代の塾長の大楽春毅から金を借りたという話を祖母の恒子から聞いていた。綾子が移籍先として大楽塾を選んだ理由のひとつに、苦しい時に母親に金を貸してくれた先代塾長に対する恩返しの意味があった。

「ああ――」と静江は一瞬、驚いた表情を浮かべてから、「嫌だ。あなた、まさか変な勘違いをしていないでしょうね?」と悪戯っぽく言った。

「何よ、変な勘違いって?」

「大楽君とは学校の同級生だったのよ。それだけ」

「同級生? 本当にそれだけ」

 学校の同級生と言うだけで、ぽんと大金を貸してくれたとは思えない。父親の知彰も静江とは高校の同級生だった。高校時代、三人がどういう関係だったのか、綾子は興味があった。

「ほら、やっぱり疑っている。だから話すのが嫌なのよ」と静江はふくれっ面をした。

「御免なさい。でも、お母さんがお金を借りるなんて、どんな間柄なんだろうと、ずっと気になっていたのよ」

 何事にも弱音を吐かない母親が、金の無心に行った相手だ。よほど深い関係にあるのではないかと勘ぐってしまった。

「そうねえ~大楽君との関係を説明するのは、ちょっと難しいかもね。でもね、あなたが考えているような関係ではないのよ」

 静江は一瞬、遠い目をした。綾子は黙って次の母親の言葉を待った。

「狭い町だもの、大楽君とは小学校からずっと一緒だったわ。誕生日が近かったから、小学校に入学した時、最初に隣の席に座ったのが大楽君だった。妙に縁があって、小学校は三年生と四年生の時にクラスが別れたけど、残りの四年間は同じクラスだったの。中学校も二年間、高校は三年間、同じクラスだったのよ」

「幼馴染って訳?」

「そうね~小学生の頃に、大楽君のお城みたいなお屋敷に遊びに行ったこともあるしね・・・うふふ」静江は当時を思い出したのか楽しそうに笑った。

「仲が良かったのね」

「ええ。授業中は先生の目を盗んで、ずっとおしゃべりをしていたわ。高校の時・・・二年生の時かしら。大楽君が私の前の席で、彼、授業中ずっと後ろの私の方を向いて話をして、先生に何時も怒られていたわ」

「恋人同士だったの?」

「いいえ。違うわ。大楽君には当時、彼女がいたの。私の友達でね、それで彼女のことで色々相談なんか受けていたのよ」

「ふ~ん・・・」

「それだけよ。とっても仲良しだったから、困ってお金の無心に行ったら、彼、事情を聞かずにお金を貸してくれた。お父さんのことをよく知っていたし、あの事件は地元でニュースになっていたから、どこかで聞いて、心配してくれていたんだと思う」

 幼馴染のもとに金の無心に行った当時の母の心境を思うと、綾子の胸がちくりと痛んだ。

「学生時代、お母さんに恋人いなかったの?」

 知彰が同じ高校にいたはずだ。どうやって知り合ったのか聞いてみたかったが、父親の話は家ではタブーのようになっていて、綾子は「その頃、お父さんはどうしていたの?」と言う言葉を飲み込んだ。

「あら、それは内緒よ。お母さん、若い頃はね、結構もてたんだから」

 静江はそんな言い方をした。若い頃の母の写真を見たことがある。祖母が言っていたが、若い頃の静江は衆目を集める美人だった。そのDNAはきちんと綾子に受け継がれている。

 春毅も静江も、お互いに魅かれ合っていたように綾子には思えた。幼い二人は良好な二人の関係を壊したくなくて、お互いの気持ちを確かることができなかったのかもしれない。

 春毅のもとに借金に行った時、静江に昔の面影など無かったことだろう。静江はきっと春毅にやつれた自分の姿など見せたくなかったはずだ。

 その時の静江の気持ちを考えると、今度は胸がずきずきと痛んだ。

本作には四重の密室が登場する。塾を囲う塀がひとつめ、屋敷を囲う塀がふたつめ、みっつめは屋敷の玄関、四つ目は部屋の鍵と、被害者は四重の密室にいた。更に、東京を発端とする連続殺人事件を用意して、物語を盛り上げようとしたのだが、ふと気がつくと、これだけの条件を掻い潜ることができる犯人が限られてしまった。

しかも、連続殺人事件にしてしまった上に、犯行現場が関東から山口へと大移動してしまった。その関係上、更に犯人が絞られてしまった。

その分、事件関係者の人生模様に筆を費やした。楽しんでいただけたなら幸いだ。

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