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血塗られた大楽刀自  作者: 西季幽司
第二章「名家と名探偵」
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塾長夫人の座③

 藤田真衣は孝毅に山口市内のアパートを用意してもらい、そこに住んでいた。大楽家からの養育費で生計を立てており、仕事をしていなかった。真衣はアパートにいた。

 生長たちが刑事だと知った真衣は玄関先で露骨に顔をしかめながら、「大楽家の奥様の事件については、何も存じ上げませんし、私には関係ありません!」と言った。

「中でお話を聞かせてもらえませんか?」

 孝毅の子供を身籠った時、病床にあった先代塾長の春樹を尋ねて直談判をしたと言う評判だったが、実際に会ってみると、真衣は気の小さそうな小太りの女性だった。小柄で肉付きが良く、大楽玲とは正反対の女性と言えた。そこに孝毅は魅かれたのだろう。

 半場強引に部屋に上がり込んだ。

 幸い、子供は隣の部屋で寝ているという。お茶を煎れるというのを断って、「事件当日、八時から十時の間、どこで何をしていらっしゃいましたか?」とアリバイを尋ねた。

「その時間なら近所の公園にいました」

「公園ですか?」

「はい。この近くに公園があって、孝敏を連れて遊びに行っていました。あの日に限らず、毎日、そうです。朝、九時くらいに公園に行って、一時間程度、子供を遊ばせています。毎日、顔を合わすお母さん方がいますので聞いて見て下さい。皆さん、私がいたことを証言してくれると思います」真衣はそう言って、主婦の名前を何人か挙げた。

 裏を取る必要があるが、アリバイは固そうだ。

「あなたは被害者から『殺してやる』と言われたことがあるそうですね」

「ああ、はい。でも、そんな言い方ではありませんでした。出産前に、『母子共々、ご無事だと良いですね』と嫌味なことを言われました。まあ、その台詞だけでは、ごく普通の社交辞令にしか聞こえないと思いますけど、当時、私は村田病院に通っていたのです。奥様が村田家の出だということを忘れていました。診察の時に、院長先生がやって来て、『堕ろしますか?』なんて聞かれたことがありましたし、病院でしょう。こっそり毒でも盛られたらと、怖くなりました。そこで、病院を変えて無事にあの子を産みました」

「殺してやると脅された訳ではないのですね?」

「はい。刑事さん、もう済んだ話です。昔のことです。今更、奥様を殺したって、私に何の得があるというのですか?」真衣が訴える。

 これで晴れて孝毅と結婚できると言うのなら、殺害動機になるが、真衣は既に孝毅に捨てられてしまっている。孝毅は今、野口綾子に夢中だ。

 野口綾子の母親と大楽孝毅の父親が幼馴染であったことは確認済みだ。綾子はその関係で孝毅が気にかけてくれるだけだと言うが、どうだろう? 下心が見え見えだった。

 話が済むと、生長と浅井はアパートから追い出された。真衣が名前を挙げた主婦に聞き込みを行ったところ、事件当日、真衣は孝敏を連れて公園に来ていた。

 真衣のアリバイが証明された。

「さて、どうしますか?」とハンドルを握りながら浅井が尋ねた。

「大楽塾に戻ろう。まだ孝毅がいるかもしれない。村田院長から聞いた慰謝料の話をぶつけてやろうじゃないか」

「やっぱり、やつが一番、怪しいですよね」

「おいおい、先入観は持つなよ。証拠だ。証拠が必要だ」

「でも、この状況だと、やつが大楽塾の塾長じゃなければ、任意で取り調べくらい出来るんじゃありませんか?」

「まあ、そうかもしれないな・・・」

 生長はそれ以上、答えなかった。


 大楽塾に戻ると、孝毅はまだ塾長室にいるという。

 面会を申し込むと、渋々とだが会ってくれた。

「刑事さん。今日、二度目ですよ。私もね。暇じゃないんだ。一体、今度は何ですか? 玲を殺した犯人が分かったのですか?」孝毅は不機嫌さを隠そうともせずに、二人を迎えた。

「奥さんから離婚を切り出されていて、巨額の慰謝料の支払いを求められていたという話を聞いたのですが、本当でしょうか?」生長が孝毅に切り込んだ。

「慰謝料? はは、一体、誰がそんな話をしたんです。確かに家を追い出されて、一年近くになりますけど、玲から離婚の話が出たことは一度もありませんよ」

「離婚の話は出ていなかったのですか?」

 一年近く別居状態にあったにも関わらず、離婚の話は一度も出なかったと言う。憲和の証言と大きく食い違っていた。

「ええ。もともと僕に落ち度がある訳ですから、玲から離婚を切り出されても仕方ないと思っていました。ですが、玲から離婚の話が出たことはありません。玲が何を考えていたのか、今となっては分かりませんが、離婚の話が出なかった以上、慰謝料について、何か言われたという記憶はありませんね」

「慰謝料の話はしていないのですね?」

 孝毅はしつこいとばかりに「ええ、そうです」と憮然とした表情で頷いた。

「大楽さんの浮気が原因で家を出られたのですよね?」

「いやだなあ~刑事さん、警察は浮気も取り締まるんですか?」孝毅はにやりと笑って話をはぐらかせた。

「いえ、そう言う訳ではありません」

「先ほども申した通り、悪いのは僕です。家を追い出されても文句は言えませんでした。お互い頭を冷やすために、少し離れて暮らすのも悪くはないと考えました。玲もそう考えていたのではないでしょうか?」

 孝毅、いや大楽塾にとって、玲との離婚は経営に与える影響が大きい。孝毅と玲が結婚するまで、両家の古い因縁により、村田病院の関係者はもちろん、患者にまで大楽塾は避けられていた。

 玲の結婚により、両家の関係は大きく改善し、塾の生徒に病院関係者や患者の家族が増えた。少子化で悩む塾の経営の助けとなった。孝毅には玲と離婚したくても出来ない訳があったが、玲には離婚を拒む理由はなかったはずだ。

「事件当日、ご夫人に呼び出されてお屋敷に向かったとのことでしたが、それは慰謝料の話だったのでは?」

「違います」

「では、甥っ子の大楽裕さんの件ですか?」

「えっ!」と孝毅の顔に動揺が広がった。

「大楽裕さんが、あなたがたの留守中、女性を同伴の上、お屋敷の寝室を利用したことで、ご夫人は随分、ご立腹だったとお聞きしました。あなたに裕さんの処分を迫っていたとか」

「そこまでご存じなら、お話することは何もありません」

 どうやら図星のようだ。

「ところで、最近、講師の野口さんと特別、親しくされているようですね?」

 孝毅は一瞬、顔を強張らせたが、直ぐに表情を崩すと、「ふう。嫌だな~刑事さん。誰がそんな話をしたのですか・・・全く」と大げさにため息をついて見せた。

「誰が言ったのか知りませんけど、誤解ですよ。野口先生は我が塾にとって非常に重要な講師です。こちらとしては、細心の注意を払って、先生が講義をしやすい環境を整えているだけです」

「なるほど。野口さんとは仕事上の付き合いだけだと言うことですね」

「野口先生と講義のあり方について、個別に、何度か打ち合わせをさせて頂きました。きっと下世話な人間がそれを見て、あらぬことを噂しているだけだと思います。変な噂を立てられると塾の経営に影響が出てしまいます。誰が言っているのか調べて、法的措置を取ることを検討させて頂きますよ」

 孝毅は生長と浅井を前に「憤懣やるかたない」と言った様子を見せた。それも白々しい演技に見えた。

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