塾長夫人の座②
「貴重な情報、ありがとうございました。我々の方で、詳しく調べてみます。他に、何か事件に関して気が付いたことはありませんか? どんな些細なことでも結構です。お姉さんに関係のあることなら、何でも聞かせて下さい」
社交辞令のように言って、会話を打ち切ろうとしたが、和正は意外な話を始めた。「実は、この間、孝毅義兄さんに会いにいったのです。裕のことがありましたので、義兄さんと話をしたいと思い、塾に尋ねて行きました」
「大楽孝毅さんと、どんなお話をされたのですか?」
「義兄さんに、『姉ともう一度、やり直してくれませんか?』と頼みました。姉が愚図愚図と離婚に同意しないのは、まだきっと義兄さんに未練があるからだと、そう思ったもので、義兄さんに姉とのことを考えなおして欲しいと頼みました」和正の口調に熱がこもる。
玲と和正は、仲の良い姉弟だったのかもしれない。
「あなたのお父様は、大楽孝毅さんが離婚の慰謝料を支払うのが惜しくて、離婚に同意しなかったとおっしゃっていましたが――」
「どうですかね・・・姉は子供の頃から、素直ではありませんでしたからね。僕には、姉がまだ義兄さんと別れたくないのだという気がしていました。いや、姉自身、自分の気持ちに気が付いていなかっただけかもしれません」
「それで、大楽孝毅さんの反応は、どうだったのですか?」
「義兄さんは笑って取り合ってくれませんでした。姉が義兄さんに未練があるなんて、百パーセント無いと言っていました。姉が離婚の話を切り出さないのは、塾長夫人の座が気に入っているからだと、そう義兄さんは言っていました」
「塾長夫人の座ですか?」
「はい。大楽家に住んでいれば、どこに行くにも塾の関係者と顔を合わせます。顔を合わせば、皆、姉のことを『塾長夫人』と持ち上げてくれます。プライドの高い姉は、そのことが気に入っていました。塾長夫人の座を捨てるのが惜しくて別れないだけだと、義兄さんは言っていました。確かに、姉は人に褒められた性格ではないかもしれません。でも、塾長夫人と呼ばれたくて離婚をしないのだと言われると、ちょっと違うような気がしました。義兄さんは何も分かっていない。姉は義兄さんのことが好きだったので別れたくなかった――僕はそう思っています」
「お姉さんは随分と敵の多い方だったようですね」
「姉は思ったことを直ぐに口にする性格でしたからね」和正は残念そうに首を振った。
生長は丁寧に礼を述べると、和正と別れた。和正は一礼をすると、奥へと消えて行った。
生長と浅井は車に乗り込んだ。
「慰謝料のことは一言も言っていなかったな。もう一度、大楽孝毅から話を聞いてみる必要があるな」
「塾に戻りますか?」
「そうだな・・・その前に、愛人から話を聞いてみたいな」
「藤田真衣ですね。そう思って、さっき、事務所で住所を聞いておきました。市内のアパートに住んでいます」
「おっ!仕事が早いね~気が利くね~」
「はは。お役に立てて何よりです」
「君は僕のカプセル怪獣みたいなもんだ」
「カプセル怪獣って、あの弱っちいウルトラセブンの味方ですか?」
「あはは。ぴったりだろう?」
「チョウさん。勘弁して下さいよ。僕、そんなに役に立ちませんか?」
浅井の恨み言を聞きながら、藤田真衣のアパートに向かった。
車中で一旦、山縣に報告を入れた。
生長は難しい顔で「はい、はい」と頷いいた。電話を終えた生長に浅井が「課長から何ですって?」と尋ねた。
「どうやら捜査本部が立つらしい。一月前に美祢であった殺人事件と関連性があるというだ」
殺害に「シアン化カリウム」が用いられている点など、二つの事件に共通点が見られた。捜査本部を立ち上げ、二つの事件の関連性を公にし、捜査を進めて行くことになったようだ。
「美祢の事件ですか?」
美祢の殺人事件は県警の捜査一課で、生長たちとは別の班が捜査を担当していた。詳しい捜査状況は知らないが、のどかな農村で起きた殺人事件とあって、目撃情報が皆無で同僚の刑事たちが苦戦していることを浅井は聞き知っていた。
「連続殺人事件となると、厄介な事件になりそうだ」
「二つの事件がどう繋がっているのでしょうね」
浅井の質問に生長は何も答えなかった。




